写真 松田聖子さん 出典:松田聖子Official site
いつまでも清楚でお美しいですね。
不慮の事故で最愛の娘さんを亡くし、ここに謹んでお悔やみ申し上げます。
○正統な天皇ではなく藤原氏によって贈られた贈天皇
○『日本書紀』が記す不思議な記述
○神渟名川耳命の移動経路
1.正統な天皇ではなく藤原氏によって贈られた贈天皇
イスラエル系「黎族(れいぞく)」は阿蘇に土着してから名を「耳族」に改め、その後、統領一族は姓を「多(おお)氏」と称しました。
阿蘇氏の末裔である藤原氏は神渟名川耳命(かみぬなかわみみのみこと)を綏靖天皇とする改ざんを行ったと故百嶋氏は力説しています。
私見は「諡号に倭の徽である倭」がなく正統な天皇とは認められません。また、「阿蘇の耳族を象徴する耳」からも、神渟名川耳命の出自が理解できるでしょう。
2.『日本書紀』が記す不思議な記述
「神渟名川耳天皇、神日本磐余彦天皇第三子也。母日二媛蹈鞴五十鈴媛命一。事代主神之大女也。(中略)都二葛城一。是謂二高丘宮一。(中略)二年春正月、立ニ五十鈴依媛一爲二皇后一。一書云、磯城縣主女川派媛。卽天皇之姨也。后生ニ磯城津彦玉手看天皇一。(中略)
四年夏四月、神八井耳命薨。卽葬二于亨畝傍山北一。(中略)(安寧天皇)元年冬十月丙戌朔丙甲、葬二神渟名川耳天皇於倭桃花島田丘上陵一。」
不審な記述が1か所みられます。
兄神八井耳命(かみやいみみのみこと)が「薨(こう)」で弟神渟名川耳天皇が「葬」では平仄(ひょうそく)が合いません。
どちらが綏靖天皇か、判断に迷う記述です。
おそらく『記紀』は神八井耳命が正統な多氏(おおし)の頭領で、他方、神渟名川耳命は同じ多氏でも血筋的に劣る「薛延陀族(せつえんだぞく)の朴氏」として認識していたためこのような表記になったと推測します。
注)韓国ドラマ「朱蒙(ちゅもん)」は、“朱蒙を扶余族の一派である薛延陀族出身”との放送
をしています。
図 故百嶋氏の「手書きメモ」
3.神渟名川耳命の移動経路
故百嶋氏作成の「阿蘇ご一家-平成12年考」によれば、贈綏靖天皇は神武天皇に従い、高千穂→草部(かやべ)→筑後へと移動し神武使神」・「鎮撫大将軍」とも呼ばれていました。
神渟名川耳命も兄神八井耳命と同様の足跡を残しています。またの名に九州では「金凝彦(かなこりひこ)」の名で金凝神社で祀られ、大和・山城では「高龗神(たかおかみのかみ)」の名で貴船神社に祀られています。瀬戸内海側の安芸・讃岐、関東全域、東北地方の日本海側、同じく日本海側の越中・越前・丹波・但馬・伯耆・因幡・出雲國、瀬戸内海側では長門・安芸・淡路國も同様に「高龗神」の名で祀られています。
写真 金凝神社 熊本県山鹿市鹿北町芋生 出典:同社HP
ご祭神:金凝命命
「製鉄の神」・カグツチ神の血筋という伝承がありますが、祖とされるカグツチ神は瀛氏(いんし)統領金山彦ですから、同伝承は疑問があります。
写真 貴船神社灯籠 京都市左京区鞍馬貴船町 出典:たび こふれ
日本海側の東北地方では、「瀬織津姫(=櫛稲田姫)」と共に祀られているのは不思議です。
正統な天皇ではないので、根拠地はあっても宮はありません。
これだけ大移動していては、埋葬地は確定できません。
余談ですが、神武天皇から神渟名川耳命に下賜されたアイラツ姫は名を蒲池姫に改め、御子に手研耳命(たけしみみのみこと)またの名建盤龍命(けんばんりゅうのみこと)が生まれています。
「蒲池氏の由来」について、氏族研究の第人者である故太田亮博士によれば「筑後屈指の名族」と指摘され、そのほかには「古代多氏の末裔」説があります。
注)歌手の松田聖子さんは、旧姓「蒲池法子さん」で、「蒲池氏」の末裔です。由緒正しい家系の人なんですね。
図 「阿蘇ご一家系図―平成12年考」
次回は「贈安寧天皇」です。