第五十話  「孝元天皇」(1)

図 故百嶋氏作成「金神系図 」

生年は故百嶋氏推定

前話では、宇摩志麻治命と壱與によるスサノオの復権と「狗奴国」の復活について記述しました。

孝元天皇の治下では、瀛氏金山彦の擡頭が始まります。それを表わした系図が上記の「金神系

図」です。

北熊本から筑後地方に信仰されているのが「金神信仰」で、神様は「金山彦」です。

金山彦の別名に「珍色許男(うずしこお)」があります。

神武天皇に反逆した長髄彦の母は金山彦の娘櫛稲田姫です。長髄彦が母方の名を名乗る際は「彦

国瀛津彦(ひこくにおけつひこ)」或いは「瀛氏統領の名珍彦(うずひこ)でした。

「瀛氏統領珍彦」の名は以下の人物に引き継がれます。

①長髄彦の御子 「彦太忍信命(ひこふとおしのぶのみこと)」別名「内色許男命(うちしこお

のみこと)」

②彦太忍信命と豊玉彦の娘葛城高千那姫こと菅忍姫との御子「屋主忍男武雄命命(やぬしおしお

たけおこころのみこと)」 屋主忍男武雄心命は後に孝元天皇の養子に迎えられます。

③屋主忍男武雄心命の弟甘美内宿禰(うましうちすくね)

兄屋主忍男武雄心命が孝元天皇の養子に入り、皇子となったため、急遽「瀛氏統領珍彦」を継

承。「宿禰」の姓は「天皇の皇子の弟」であるが故に「宿禰」の姓が与えられたと考えられま

す。

④孝元天皇と山下影姫との皇子「武内宿禰」

武内宿禰の名は、臣下に降った事によります。

 

○皇后・妃と皇子・皇女

○故百嶋氏のメモ

○『古事記・日本書紀』による系譜の捏造

 

1.『古事記』が記す皇后・妃と皇子・皇女

(1)穂積臣等の祖内色許男命(うちしこおのみこと)の妹、内色許売命(うちしこめのみこと)

を娶り、大毗古命(おおひこのみこと)・少名彦建猪心命(すくなひこたけるいごころのみ

こと)・若倭根子日子大毗毗命(わかやまとねこおおひびのみこと)の三柱。

「神々の系図-平成12年考」によると、内色許売命のまたの名は山下影姫・蘇我姫と云

い、父彦太忍信命(ひこふとおしのぶのみこと祖父彦國意祁都ことナガスネヒコ、祖母は八

坂刀女)と母葛城高千那姫またの名菅忍比咩(すがのおしひめ)との間に生まれた王女で、

兄は屋主忍男武雄心命(やぬしたけおこころのみこと)としています。

したがって、内色許男命は彦太忍信命と同一人物と云うことになります。

ようやく「蘇我」の名が出来ます。蘇我氏は金山彦一族です。

同系図によると孝元天皇と山下影姫の御子は建内宿禰と大彦命またの名建沼河命の二柱とし

ています。。

(2)内色許男命の娘伊迦賀色許売命(いかがしこめのみこと)を娶り、比古布都押信命(ひこふ

つおしのぶのみこと)の一柱。

(1)より比古布都押信命は内色許男命と同一人物で、『古事記』の記述は腑に落ちません。

(3)河内の青玉繋(あおたまかけ)の娘、波邇夜須毗売(はにやすひめ)を娶り、建波邇夜須毗古

命(たけはにやすのみこと)の一柱。

「神々の系図-平成12年考」によれば、「河内の青玉繋」は大己貴命と豊玉姫の王女で、

「日牟礼氏青玉繋」といい、御子に波邇夜須毗売が生まれとありますが、同系譜は捏造の可能

性があります。

・日牟礼氏を祀る神社

「日牟禮八幡宮」 滋賀県近江八幡市宮内町

正しくは「ネ+豊」です。

祭神:誉田別尊・息長足姫尊・比賣神

本来の祭神「青玉繋」が削られています。

写真  日牟禮八幡宮   出典:じゃらんネット

写真 日牟禮八幡宮「萬灯祭」    出典:同社HP

(4)葛城の高千那毗売を娶り、味師内宿禰の一柱

「神々の系図-平成12年考」によれば、葛城高千那毗売(かつらぎたかちなひめ)またの名

菅忍比咩(すがのおしひめ)は父豊玉彦、母武内足尼(たけうちすくに)の間に生まれ、兄は

武夷鳥(たけひなどり)です。。

夫の彦太忍信命との間に生まれたのが山下影姫としています。

味師内宿禰(うましうちすくね)は屋主忍男武雄心命の弟になります。

(5)木の国造の祖宇豆比古の妹山下影日女を娶り、建内宿禰の一柱。

「神々の系図平成-12年考」によると、宇豆比古(うずひこ)とは武内宿禰のことです。

山下影姫は宇豆比古の妹ではなく、宇豆比古の母となります。

2.『日本書紀』が記す皇后並びに妃の皇子・皇女

(1)皇后欝色謎命(うつしこめのみこと)を娶り、大彦命と稚日本根子彦大日日(わかやまとねこ

おおひび)天皇・倭迹迹姫命の三柱。

不思議なことに皇后欝色謎命の両親の記述がありません。

欝色謎命は皇后ではありません。孝霊天皇とハエイロネとの間に生まれた皇女倭迹迹日百襲

姫(やまととひももそひめ)は後に孝元天皇の皇后となります。

(2)妃伊香色謎命(いかしこめのみこと)を娶り、彦太忍信命(ひこふとおしのぶのみこと)の一

柱。

妃伊香色謎命の両親の記述もありません。

(3)河内青玉繋(あおたまかげ)の娘埴安媛を娶り、武埴安彦命(たけはにやすのみこと)の一

柱。

3.故百嶋氏のメモ

『日本書紀』が記す鬱色謎命こと山下影姫の兄屋主忍男武雄心命は『古事記』が記す少名彦建

猪心命(すくなひこたけるいのこころのみこと)と同一人物です。

故百嶋氏のメモによれば、“狭霧(運命の別れ道)を超えて、屋主忍男武雄心命は孝元天皇の皇

子になったとしています。

大いなる寛容性を示した孝元天皇を“聖(ひじり)神”として後世 に語り継がれ、また彦太忍

信命は“天之狭霧神”と呼ばれました。

 

  図 「ナガスネヒコこと彦国瀛津命(ひこくにおけつのみこと)」系図 

4.『古事記・日本書紀』による系譜の捏造

彼らが最も腐心したのは、孝元天皇の皇后にあります。本当の皇后「倭迹迹日百襲姫」を

どうしても削りたい理由があったようです。

  表 孝元天皇を中心とする家系図

区分 名前 御子名
皇后 倭迹々百々襲姫

父:孝霊天皇、母:ハエイロネ

開化天皇別名底筒男命・物部保連・阿倍相丞
山下影姫別名内色許売命・蘇我姫

父:彦太忍信命別名内色許男命

母:葛城高千那姫

大彦命

武内宿禰

埴安姫

父:彦太忍信命 母:不明

武埴安彦

おそらく偽造系譜

養子 屋主忍男武雄心命

父:彦太忍信命

母:不明

孝元天皇薨去後は臣下に降り、忍山(おしやま)宿禰を名乗る。

    

次回は「孝元天皇」(2)です。

 

 

 

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