謎の女神シリーズ 第十四話 「神大市姫」

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○神大市姫の家系図

○神大市姫の母埴安姫とは

○神大市姫のご神格

 

 

 

はじめに

  皆さんは奈良県桜井市箸中の箸墓古墳の被葬者」をご存知ですか。

宮内庁書陵部は「(神)大市姫」と治定(じじょう)しています。

『日本書紀』には登場せず、『古事記』のみに登場するです。

Wikipediaによると、スサノオ系図に登場し、父は大山津見神で、櫛稲田姫の次に須佐乃男命の妃と成り、大年神と宇迦乃御魂(ウカノミタマ)を産んだとあります。

ご神格は「農耕神・食糧神」として信仰されたとあります。

ところが、同神を祀る神社を調査すると、別の姿が見いだされます。

同神について、故百嶋氏が提唱した「神社考古学」から検証してみましょう。

 

1.神大市姫の家系図

(1) 両親

父は越智族統領月読命後の大山祇命、母は白(ぺー)族統領大幢主の妹埴安姫別名草野姫

   (カヤノヒメ)です。

(2) 夫と御子

最初の夫は昔氏(ソクシ)統領スサノオで、御子に辛国息長(カラク二シナ)大目姫別名大

   目姫・天細女(アメノウズメノ)命後の豊受姫です。

スサノオの暴挙に堪えかね、大幢主の嫡男豊玉彦の元へ逃げ込み、後に豊玉彦の妃となり、

御子は八心大市彦(ヤゴコロオチヒコ)のみのようです。

 

2.神大市姫の母埴安姫(ハニヤスヒメ)別名草野姫(カヤノヒメ)とは

父の大山祇命については、古代史シリーズで詳述していますので、今回は母神大市姫につ

いて述べたいと考えます。

埴安姫の父は白(ペー)族統領白川伯王、母は不明ですがおそらく白族の関係者と推測

されます。

姉は神武天皇の御母(おんはは)神玉依姫、兄は大幢主という華麗な家系に誕生しまし

た。

出生地は白川伯王が治める「奴国」で、養育された地は背振山地の麓「鹿路(ろくろ)地区

と推測されます。

地図  佐賀県神埼市背振町鹿路周辺地図

18歳頃に瀛(イン)氏統領金山彦の正妃となり、櫛稲田姫が生まれ在すが、夫の金山彦は鉱山開発のため、伊豫国へ共に移動します。

その痕跡を示すのが、大山祇神社が伝える『三島宮御鎮座本縁並びに宝基伝 後世記録等のこと』・『三島宮社記』が記す最初に祀られた神「面足尊(オモタルノミコト)と偟根尊 (カシコネノミコト)」に見ることが出来ます。

『日本書紀』が記す「天神六代面足尊と偟根尊」とは、百嶋神社考古学では

面足尊=金山彦 偟根尊=埴安姫別名草野姫となります。

ところが、両神は肌が合わなかったようです。私が知る限りでは両神を祀る神社は一社のみです。

両神は一年ほどで別れ、埴安姫はその後伊豫国へ移動してきた大山祇命と結ばれ、名を草野姫(カヤノヒメ)に改め、誕生したのが神大市姫です。

草野姫は伊豫國から讃岐国を経て阿波国へ移動後、当地では「麻・紵麻」の栽培を普及させ、収穫物は繊維製品(衣服など)として大いに用いられ、民の暮らしを豊かにしました。

その功績を称え、阿波国では多くの神社に草祖(クサノオヤ)草野姫として祀られています。

また、全国に点在する「麻積(おみ)」という地名は、その名残と推測します。

別名に野槌神などがあります。

同神を祀る神社はブログ“玄松子の記憶”を参照ください。

その後、兄大幢主が支配する紀伊国へ移動し、30代以降は甥の豊玉彦が支配する山代国を経て孫の天細女命後の豊受姫が支配する伊勢国へと移動したと推測されます。

不思議なのは、「漬物の神」として祀られています。

萱津神社  愛知県あま市上萱津字車屋

主祭神 鹿屋之比売神

残念なのはこれほど高い格式の女神を伊勢神宮豊受大神宮(外宮)摂社の「清野井庭神社」が序列第九位に置かれていることです。

主祭神  草野姫命

写真 清野井庭(きよのいば)神社  出典:伊勢志摩観光ナビ

3.神大市姫のご神格とは

出生地は伊豫国、養育地は母埴安姫と同じく背振山地の麓「鹿路地区」と推測します。

最初の夫は昔(ソク)氏統領素戔嗚尊で、生まれたのが天細女命(アメノウズメノミコト)です。

神大市姫のご神格で最も輝きを放つのが市場の神です。

全国に点在する「大市(おち)の地名は、そこに市場が形成された名残」と推測します。

市場では物々交換をして互いに必要な物を手に入れ、次第に市場経済を促し、いつしか交通の要衝となり、道路も整備され、終には経済圏が形成されました。

この経済圏を発生せしめたのは、神大市姫の尽力によるものと推測します。

後に、民は神大市姫を市場の守護神として崇め、祀るようになりました。

その証左が以下の神社です。

市神社(イチガミシャ) 愛知県津島市米町

ご祭神 大市比売命・大歳神・宇迦之御魂神(神大市姫の別名)

大歳神を『古事記』では神大市姫の実子としていますが、正確ではありません。本来は娘天細女のお婿さんですが、後に別れます。

同社では、毎年1月10日に初市が開かれた古令を今に伝える十日市祭が開催されています。

市比賣(イチヒメ)神社 京都市下京区本塩竃町

マンションと共存する珍しい神社で、平安時代より市場の守り神として崇められていたようです。

現在は「女人守護の神」として人気スポットです。

ご祭神 宗像三女神・神大市姫命・下照比賣命

本来は神大市姫命一坐です。下照比賣命は古代における絶世の美女の代名詞です。

大歳御祖(オオトシミオヤ)神社 静岡市葵区宮ヶ崎町

現在は、静岡浅間神社内に鎮座されていますが、登記上は独立した一社です。

賤機山(しずはたやま)の麓にあります。頂上付近には前方後円墳があります。

元々は、安倍の市の守護神

ご祭神 大歳御祖命(=神大市姫)・倉稲魂神(神大市姫の別名)

写真 大歳御祖神社   出展:しずおか文化財ナビ

4.神大市姫の別名

神大市姫にはご神格毎に別名があります。

(1)農耕神 宇迦之御魂神(倉稲魂神とも表記)

母埴安姫の血筋を継承した農耕神宇迦之御魂(ウカノミタマ)神”を祀る神社

伏見稲荷大社下社  

ご祭神 宇迦之御魂神

詳しくは山ちゃんブログ“お稲荷様を考察する”をご覧ください。

春日大社  奈良市春日野町

主祭神 春日神(武甕槌命・経津主命・天児屋根命・比売大神の総称)

比売大神は宇迦之御魂神の名を隠していると故百嶋氏は指摘しています。

藤原氏は守護社としていますが、滑稽なことに山幸彦(=経津主命)も海幸彦(=天児も祀るなど、先祖が怪しいことを物語っています。

湯田神社 伊勢市小俣町湯田字狐山

伊勢神宮皇大神宮摂社。内宮の摂社27社中第九位に列する神社

ご祭神 大歳御祖命・御前(ミマエノ)神

写真 湯田神社   出典:伊勢志摩観光ナビ

(2)水神“罔象女(ミズハノメノ)神”同神を祀る神社

 丹生川上神社  奈良県吉野郡東吉野村大字小

主祭神  罔象女神(弥都波能比賣命・丹生都比賣命とも表記)

 

白川吉見神社  熊本県阿蘇郡南阿蘇村白川

白川水源の鎭守神。草部吉見(カヤベヨシミ)神社に連なる水神です。

写真 同社境内にある白川の水源  出典:南阿蘇村HP

味水御井(ウマシミズミイ)神社  久留米市御井朝妻1丁目

主祭神  水波能売命

高良大社の摂社で、古代の遺跡を思わせる神社

写真  味水御井神社   出典:九州パワースポット情報局

(3)龍神“水波能女神”として祀る神社

八大龍王神社  徳島県美馬市脇町拝原

主祭神  水波能女神

八大龍王とは二番目の夫“豊玉彦”を指します。

写真  八大龍王神社

おわりに

神大市姫は。最初の夫である素戔嗚尊に翻弄されましたが、後に偉大な足跡を残された女神に対しての評価はそれほどではありません。

雨乞いの神に“淤加美神(オカミノカミ)”があります。同神を祀る神社と神大市姫との移動経路を調査すると、両神を同一の神とする説には疑問が残ります。

淤加美神と同じご神格を持つのが“高龗神(タカオカミ)と闇龗神(クラオカミ)”です。

故百嶋氏は

高龗神は阿蘇耳族多(オオ)氏の統領であった神沼河耳命の別名としています。

闇龗神の父は伊弉諾尊、母は伊弉冉尊で、弟は素戔嗚尊とし、本名は“神俣姫”としています。

神沼河耳命は神武天皇の信頼が篤く“神武使神”とも呼ばれていました。あろうことか。神武天皇は皇后アイラツ姫を神沼河耳命に下げ渡しました。

神沼河耳命は困惑します。出した結論は妻神俣姫と別れることでした。

不憫な姉に怒ったのが神俣姫の弟素戔嗚尊です。

怒りの矛先は神沼河耳命に向けられます。スサノオの行動は果敢で、神沼河耳命は九州を去り、大和へ逃れました。

二人は別れても心は繋がっていました。

神俣姫は九州を去った神沼河耳命の後を追いかけました。

他方、加害者のスサノオは後悔し、甥の天之忍穂耳命(当時の名は投馬国長官弥々)を支援しました。

母と叔父の期待通り、天之忍穂耳命は九州王朝内で出世の階段を昇っていきます。

以上の経緯から「高龗神と闇龗神」は同列で祀られたと推測します。

しかし、「淤加美神」が「高龗神と闇龗神」と同列で祀られることには違和感があります。

加えて、神大市姫別名罔象女命と「高龗神と闇龗神」には血脈関係はなく、三神を祀る神社をどのように考えたらいいのか、迷うばかりです。

私の出した推論は淤加美神とは高龗神と闇龗神の総称ではないでしょうか。

 

次回は 第十五話「天豊津姫」です。

 

 

 

写真  八大龍王神社

 

 

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