謎の女神シリーズ  第七話「鴨玉依姫」

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写真上 愛知県津島市天王川祭  「巻わら船」

 

キーワード

 ○賀茂氏とは

 ○賀茂別雷神社と賀茂御祖神社

 ○鴨玉依姫とは

 ○大山咋神とは

 ○神直日神とは

 

はじめに

「鴨の長明をご存知ですか.800年前くらいの方。この方は下賀茂大社に伝わっている本当のことを発表すべきではないかと阿蘇家の下克上派と対立されているのです。阿蘇は悪いことばっかりやっているのです。阿蘇は藤原です。それでもって鴨の長明さんは本当のことを発表したいがために藤原から首になってお止めになった。

ところがこの頃に為って、下賀茂大社さんがやっと平成年間に為っておとなしく本当のことを発表されました。

玉依姫.玉依姫、すなわち、この玉依姫とこちらの玉依姫の名前は同じだが、実際は人物が違うのだということを発表されました。

本当の神武天皇のお母さんはこの方です。1893歳(西暦2012年を起点に換算)、神(かむ)玉依姫です。このお宮さんは京都の下賀茂大社(中略)そして、名前は同じだが、人物が違うという玉依姫。皆様がご存知の鴨玉依姫(以下、カモタマヨリヒメと表記)です。年齢は1833歳。60歳違います。

それから、この神カモタマヨリヒメの長女も玉依姫です。活(はえ)玉依姫です。(中略)宮崎の神話は嘘。

これ(カモタマヨリヒメ)を神武天皇の母とされている。朝鮮の玉依姫と宮崎の玉依姫は同じですが、神武天皇の母だと法螺を吹いています。

一方、下賀茂大社の玉依姫は全然違います。すなわち、下賀茂大社に八咫烏(やたがらす)のお嬢さんとして鎮座しておられる神玉依姫はあくまで神武天皇の母なので、これは本当です。なんでこのような法螺が成立したかというと、これは阿蘇家の特に贈崇神天皇のグループが熊襲と一緒になって法螺を吹いたのです。(後略)」

20011年5月28日 百嶋由一郎先生講演 神社研究会より

 

1.賀茂(鴨とも表記)氏とは

聞き慣れない「古代豪族賀茂氏」とはどのような政治勢力だったのでしょうか。

(1)Wikipediaによる解説

①天神系

地祇系賀茂氏とは別系統で、(『鴨氏始祖伝』)なお、「山城国風土記」逸文では、賀茂

縣主の祖の賀茂建角身命(かもたけづぬみのみこと 天神系)は、神武天皇の先導をした後、

大和の葛城(地祇系賀茂氏の本拠)を通って山城国に至ったとしています。

②神魂命(かもすのみこと)系 白(ペー)族統領大幢主

代々賀茂神社に奉齋され、山城国葛野郡・愛宕郡を支配していました。

③地祇系

大鴨積命(海幸彦こと天忍穂耳命)を始祖とし、三輪系氏族の一派に属する.大鴨積命は大物

主神の子、または後裔の大田田根子(事代主の別名)の孫で大和国葛上郡の高鴨神社・鴨都波神

社・葛木御歳神社付近を本貫としています。

(2)「百嶋神社考古学」説

②の神魂命とは、白(ぺー)族統領大幢主の別名で大若子命とも呼ばれていました。

支配領域は日本海沿いの「出雲・丹波・丹後・越前・越中・越後・羽前・羽後国」にまで及

び、また「山城・伊勢国」の大地主神として君臨していました。

大幢主は賀茂氏の始祖」といえます。

①の天神系「賀茂建角身命」は、大幢主の後継者として、「海神豊玉彦、別名小若子命・八咫

烏」とも呼ばれていました。

すなわち、「豊玉彦は第二代賀茂氏の統領」でした。

賀茂氏は巨大になりすぎた政治集団を補佐するため、豊玉彦と櫛稲田姫との御子「鴨玉依姫によ

 る賀茂氏の裏方支配」が形成されました。

その後、鴨玉依姫は「大山咋(おおやまくい)」という優秀な伴侶を得て、賀茂氏の裏方支配を

強化していきました。

第二代賀茂氏統領豊玉彦は九州王朝の命を承け、後継者となった彦火々出見命、後の経津主命と

共に関東へ進出します。

その結果、賀茂氏の従前の支配地は揺るぎます。

豊玉彦・経津主命の没後、「賀茂氏」は分断し、そこに登場したのが鴨玉依姫の次男ツヌガアラ

シトは、母鴨玉依姫による「賀茂氏の裏方支配」では飽き足らず、「賀茂氏の別家」を立て、自ら

を「賀茂別雷命」と名乗ります。

すなわち、③の「地祇系賀茂氏」の登場です。

ところが、賀茂別雷命の野望は思わぬ所から破綻します。

支配地として赴任した大和国で、自らをハツク二シラスこと神武天皇であると法螺を吹いたので

す。このことが露見し、九州王朝から召喚命令を承けたのです。

その後は、改悛し開化天皇の管理下に入り、住吉三神の一坐“中筒男命”として活躍します。

 

2.賀茂別雷神社と賀茂御祖神社

(1)賀茂別雷(かもわけいかづち)神社  通称上賀茂社

先ず、同神社名にある別(わけ)に注目してください。「別」の意味は、「正統な賀茂氏

の系統では無く、別系統の賀茂氏」を表わしています。

同社の境内摂社をみれば、その素性がわかります。

境内摂社 片山御子神社

ご祭神:賀茂玉依姫命

    同社のご神紋  「二葉葵

境内摂社 新宮神社

ご祭神:高龗神(たかおかみ 本名神沼河耳命 別名金凝彦)

高龗神は天忍穂耳命の父 藤原氏によって贈られた神沼河耳命こと綏靖天皇

賀茂別雷命は、どうやら阿蘇の暴れん坊集団を支配していたようです。

(2)賀茂御祖(かもみおや)神社 通称下賀茂社

ご祭神:西殿 賀茂建角身命(大幢主の嫡男 豊玉彦 別名八咫烏)

東殿 玉依姫(豊玉彦のお嬢さん豊玉姫に仮託した姨神玉依

同社は、神魂命系賀茂氏を祀っていますから、「正統な賀茂氏」と推測されます。

同社摂社の河合神社

ご祭神:神武天皇の御母(おんはは)神玉依姫

神玉依姫(かみたまよりひめ)は大幢主のお姉さんで、初代神武天皇の御母(おんはは)で

す。

賀茂建角身命は「正統な賀茂氏の統領」でもあります。

詳しくは、山ちゃんブログ「第四話 神産巣日神」をご覧ください。

 

3.鴨玉依姫とは

『記紀』ともに、鴨玉依姫の直接的記事は無く、「玉依姫」とのみ記されています。

そのため、鴨玉依姫を祀る神社調査には時間がかかりますが、ある一定の法則があります。

それは「神功皇后+応神天皇+玉依姫」がセットで祀られている神社を探すことです。

心強い味方はブログ「玄松子の記憶」です。

・筥崎宮 福岡市東区箱崎町1丁目

主祭神:応神天皇・神宮皇后・玉依姫

故百嶋氏は「玉依姫とは鴨玉依姫」と講演会で述べています。

応神天皇と神宮皇后は後に合祀されたと推測します。

・宝満宮竈門(かまど)神社  福岡県太宰府市大字内山字御供屋谷

主祭神:玉依姫

相殿神:神功皇后・応神天皇

同じくご祭神「玉依姫」は「鴨玉依姫」でしょう。

話は変わりますが。神武東遷後に皇后の名前が代わっていることにお気づきでしょうか。

・神武東遷前

『記』では、阿比良比米(あいらひめ)、『紀』は吾平津媛(あいらつひめ)とあります。

・神武東遷後

『記』では富登多多良伊須岐比売命(ほとたたらいすきひめのみこと)、『紀』は三島湟咋

(みしまみぞくい)の娘勢夜陀多良比売(せやだたらひめ)と美和の大物主神との間に生まれ

姫蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)としています。

「姫蹈鞴五十鈴媛命の母は玉依姫、すなわち、姫蹈鞴五十鈴媛命の母は神武天皇の母でもある」

という俗説がありますが、根拠のある話しではありません。

「百嶋神社考古学」では、

賀茂玉依姫の父は白族統領豊玉彦、母は瀛氏(いんし)統領金山彦の娘櫛稲田姫(別名イカコヤ

ヒメ)としています。

本当のお名前は、神玉依姫と区別するため「鴨玉依姫」と呼ばれました。

また、「鴨玉依姫」と名付けられた理由は「賀茂氏の裏方支配」を任務づけられていたと故百嶋

氏は述べています。

「裏方支配があれば、表の支配者」が存在するはずです。

「表の支配者は鴨玉依姫の父親豊玉彦」と考えられます。

 

表 「鴨玉依姫」を中心とする家系図

名前 関係 生年 別名など
豊玉彦 実父 AD144年 八咫烏・小若子
櫛稲田姫 実母 AD146年 瀬織津姫
鴨玉依姫 本人 AD179年 神直日・林姫
ウガヤフキアエズ 最初の夫 AD182年 味鋤高彦根・天稚彦
安曇磯良 最初の夫との御子 AD197年 表筒男
大山咋 二番目の夫 AD174年 熊甲安羅梶彦・大直日
活玉依姫 二番目の夫との御子 AD199年 夫事代主
稲氷命 同上 AD202年
賀茂別雷 同上 AD207年 御間城入彦・ツヌガアラシト・贈崇神天皇
倭彦 同上 AD209年 椎根津彦

生年は故百嶋氏の推定

鴨玉依姫の最初の夫は、甥のウガヤフキアエズ(本名味耜高彦根命、別名天稚彦)で、二人の間に

安曇磯良(あずみのいそら)があります。

二人目の夫は「熊甲安羅梶彦(くまかぶとあらかじひこ)、後に出世して大山咋(おおやまくい)

と呼ばれました。

二人の間に誕生したのが、活玉依姫(たまよりひめ)・稻氷命(いなひのみこと)・ツヌガアラシ

ト(別名御間城入彦・賀茂別雷命。藤原氏によって崇神天皇の名を贈られました。)・倭彦(やまと

ひこ 別名椎根津彦)の四人が生まれました。

ツヌガアラシトは孝元天皇の御代に「四道将軍」を命じられ、各地で自称「神武天皇」と法螺を吹

きました。

ツヌガアラシトの実弟は梶取椎根津彦(本名倭彦)です。

阿蘇氏の末裔である藤原氏は、以上のことを奇貨として「下克上の歴史」に改竄したと推測されま

す。

話しを元に戻すと、「鴨玉依姫」は大変格式の高いお姫様で、夫の大山咋は家臣でもありました。

『紀』が記す姫蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)は鴨玉依姫の娘ではありません。

実の父は事代主命(別名大田田根子、変名三島湟咋)、母は鴨玉依姫の長女活玉依姫としています。

(2)「カモタマヨリヒメと大山咋神(おおやまくいのかみ)との出会い」

故百嶋氏は講演会で「甥の鵜茅葺不合命(うがやふきあえずのみこと)と過ちを犯し、二人の間に生

まれたのが安曇磯良(あずみのいそら)です。この事態に驚いた周囲は二人を引き離し、カモタマヨ

リヒメは転々と移動を余儀なくされます。その後、現在の大分県宇佐市安心院(あじむ)地区で「佐

田彦(後の大山咋)」と出会い、二人は直ぐに恋に落ち、結ばれました。

佐田彦は支配地替えにより、朝鮮半島の安羅国王として赴任しました。

そして、名を熊甲安羅梶彦(くまかぶとあらかじひこ)に改めます。

勿論、鴨玉依姫も同行し、十年ほど朝鮮半島で暮らしたと推測されます。

その間、新たに能登国が支配地に組入れられ、度々、安羅国と能登国を往復していました。

安羅国は、任那諸国のうち、小さな国家でしたが、後に国力が豊かになり、軍事力に優れた国家へと

成長します。

その功績により、熊甲安羅梶彦は支配地替えにより、山城國王として赴任します。

赴任に際して、武勇に優れた次男の御間城入彦(みまきにゅうひこ)のみを安羅国に残したようで

す。

山城国へ赴任後、名を大山咋に改めました。

 

4.大山咋神とは

『紀』に記述はありませんが、『紀』・『先代旧事本紀』は父を大年神(天忍穂耳命))、母を天知迦

流美豆比売(あめのちかるみずひめ)としていますが、天知迦流美豆比売に関わる文献や神社伝承に

もありません。有り体に言えば素性不明の神です。

故百嶋氏作成の「神々の系図-平成12年考」では、大山咋の父は大年神(=天忍穂耳命・天児屋根

命・志那津彦)、母は市杵島姫です。母の市杵島姫は豊玉彦のお姉様の阿加流姫とスサノオの御子

で、とても格式の高いお姫様です。

したがって、大山咋神は古代の九州王朝においては格式の高い神様へと出世の階段を登ります。

能力に優れた大山咋神は成長するにつれ、名前も変わり、出世の階段を順調に歩みました。

(1)速瓶玉命時代

故百嶋氏は大山咋について、阿蘇族の本家筋に生まれたとしていますが、その父親については口を閉

ざしています。

「神々の系図」では、父を天忍穂耳命としていますが、疑問です。

幼少時代は「阿蘇国造速瓶玉命(はえみかたまのみこと)」と呼ばれ、6歳の時には「スサノオが長髄

彦の叛をお詫びするため、金山彦に打ってもらった天叢雲劔を天照大神に献上する際に孫の速瓶玉命

を同行させた。」と述べています。

幼少時代の痕跡を残す神社

・阿蘇国造神社  熊本県阿蘇市一の宮町

ご祭神:速瓶玉命・雨宮媛命(最初の妃)・高橋神(雨宮媛命との御子)

(2)天葺根命(あめのふきねのみこと)時代

天葺根命を祀る主な神社

牛尾神社  佐賀県小城市小城町池上

ご祭神:天葺根命

ところで、「天葺根命と鵜葺草葦不合命(うがやふきあえずのみこと)」の表記の違いに気づきませ

んか。

『記紀』共に鵜葺草葦不合命を神武天皇の父としています。にもかかわらず不敬ともいえる「鵜小屋

の草葺き屋根も葺けない命(みこと)」の表記は違和感を覚えます。

他方、天葺根命は「屋根を葺いた命」と対照的です。

おそらく、古代の民は二人を対比して評価していたようです。

鵜葺草葦不合命は本名ではなく「蔑称」と推測されます。

(3)佐田彦時代

その痕跡を残す神社が

佐田神社  大分県宇佐市安心院町

主祭神:佐田大神

佐太神社  島根県松江市鹿島町佐陀宮内 出雲国二ノ宮

主祭神:佐太大神

「佐太大神とは、同地で優れた行政手腕能力を発揮した天葺根命(佐田彦?)の称え名」と推測

します。

ところが、同社は「歴史学者による根拠のない牽強付会論(コジツケ主義)」に振り回され、「佐太

大神(佐太彦)は猿田彦」としています。

実に嘆かわしく残念でなりません。

(4)熊甲安羅梶彦時代

初めて、九州州王朝から重要拠点を与えられます。

その痕跡を残す神社

・甲佐神社 肥後国二宮  熊本県益城郡甲佐町上揚

ご祭神:健盤龍命(けんばんりゅうのみこと)の御子八井耳玉命(はえみみたまのみこと)

配祀神:健盤龍命・蒲池比咩命(かまちひめのみこと 元神武天皇の皇后吾平津媛)・神

倭磐余彦命(かむやまといわれひこ 神武天皇)・媛蹈鞴五十鈴媛命

ご祭神の八井耳玉命はおそらく、初代阿蘇族多氏統領の神八井耳命(かむはえみみのみ

こと)の直系で、速瓶玉命の父親と推測します。

同社は、後に阿蘇氏が覆い被さり、本当のご祭神がわからないことで知られています。

故百嶋氏は「熊甲安羅梶彦の甲は“甲佐”」と指摘しています。

したがって、同支配地が「朝鮮半島の安羅と現熊本県益城郡甲佐町」と推測されます。

・久麻加太都阿良加志比古神社 石川県七尾市

ご祭神:久麻加太都阿良加志比古・都奴加阿良斯止(熊甲安羅梶彦の次男 別名御間城入彦

藤原氏によって贈られた崇神天皇)

図 安羅国(慶尚南道咸安郡)赤で表示部分

図  熊本県益城郡甲佐町周辺地図 Yahoo地図

 

写真:久麻加夫阿良加志比古神社社の「お熊甲(くまかぶと)祭」出典:shrine-heritage

(5)大山咋時代

その痕跡を残す神社

・松尾(まつのお)大社  京都市西京区嵐山宮町

主祭神:大山咋神・中津島姫命

通説は中津島姫命を市杵島姫としていますが、大山咋の出世に多大な貢献を為した

妃鴨玉依姫を祀らず、母親の市杵島姫を祀るとは考えられません。

私見は中津島姫命=鴨玉依姫と推測していますが、依然として謎は残ります。

同社はなぜ中津島姫命と表記したのでしょうか。

・日吉大社  滋賀県大津市坂本5丁目

主祭神:東本宮 大山咋神 樹下宮(じゅげぐう):鴨玉依姫命

西本宮 大巳貴神

同社の中心は東本宮と樹下宮で、西本宮は後に大神神社から勧請したと伝えられて

います。

摂社「三宮宮」 ご祭神:鴨玉依姫の荒魂

「三宮宮」の表記に違和感を覚えませんか。

同社の最大神事「山王祭」は毎年4月12日~同月15日まで開催されます。

由来は、延暦四年(791年)桓武天皇が2基の神輿を寄進されて以来。1200年以上の

歴史を有する祭と云われています。

一方、伝承によると「山王祭は大山咋神と鴨玉依姫が結ばれ、賀茂別雷神(かみいかづ

ちわけのか)を出産した光景を寿いだ神事」と伝えられています

以上から、「三宮社」の本来の表記は産宮社(さんぐうしゃ)が相応しいとと推測します。

余談ですが、同社東本宮の樹下宮の神紋は「二葉葵」です。

写真 「二葉葵」    出典:植物図鑑

写真 日吉大社「山王鳥居」 出典:同社公式HP

笠木の上に三角形の破風がついた独特の形

愛知県津島市の津島神社では、毎年7月最終週の土・日曜日に「天王川祭」が開催されます。

私も子供時代から二十代半ば頃まで十数回見学し、打ち上げ花火に興奮しました。

子供の頃から「山王様とはスサノオ様」と教えられてきました。

  大山咋神はスサノオの孫に当たります。

写真 参考  尾張津島天王川祭 宵祭 まきわら船 津島市公式HP

5.「神直日神」とは 

『記』は神直毘神、『紀』では神直日神と記されています。

Wikipediaによると、「神産みにおいて、伊邪那岐命が黄泉から帰還した際、黄泉の穢れから

禍津日神が生まれた。その禍津日神がもたらす禍(災厄)を直すために、直毘神の一柱として生まれ

た神が、神直日神とされます。

また、その後二柱目の神として大直日神が生まれ、最後に伊豆能売が生まれたとされます。

百嶋神社考古学では、「神直日神=鴨玉依姫 大直日神=大山咋」と定義しています。

私見は、祭祀における「鴨玉依姫・大山咋」のハンドルネームと推測しています。

神直日神を祀る主な神社

・警固(けご)神社  福岡市中央区天神

本殿:警固大神(神直日神・大直日神・八十禍津日神)

相殿:建角身命・豊玉姫命・神功皇后・応神天皇

建角身命・豊玉姫命は神直日神・大直日神を後見する神々として祀られていると推測します。神功皇后・応神天皇は後世に合祀されたようです。

・綾戸国中神社  京都市南区久世上久世町

ご祭神:大綾津日神・大直日神・神直日神

国中神社はスサノオを祀っています。

したがって、大直日神・神直日神をスサノオが後見していると推測します。

・伊蘇乃佐只(いそのさき)神社  鳥取県八頭郡八頭町安井宿字宮ノ原

ご祭神:神直毘神・大直毘神

・早吸日女(はやすいひめ)神社  大分県大分市佐賀関町

ご祭神:八十框津日神・大直日神・住吉三神

八十框津日神は禍(まが)を直す神で、大框津日神とも表記され、百嶋神社考古学では、

櫛稲田姫(鴨玉依姫の母)の別名としています。

肝心の神直日神が祀られていないのは不思議ですね。

早吸日女は鴨玉依姫の別名ということになります。他にも別名に林姫があります。

写真 早吸日女神社 「本殿・拝殿・楼門など」 出典:大分県観光情報公式サイト

おわりに

全国で「玉依姫」を祀る神社が散見されますが、故百嶋氏は長年に亘る調査活動で

「玉依姫の実態」を明らかにしました。

それは三人の玉依姫の存在です。

神玉依姫 白族統領大幢主の姉、神武天皇の御母(おんはは)

鴨玉依姫 瀛氏統領金山彦の孫、大山咋の妃

活(はえ)玉依姫 鴨玉依姫の娘 事代主の妃

夫の大山咋は、

大神(おほみわ)神社の主祭神は「真の大物主神」で、金刀比羅信仰で有名な

金比羅神社は日本全国に600社余り存在し、今でも海運業者や商人から篤

く信仰されています。

・金刀比羅宮  香川県多度郡琴平町

主祭神:大物主神=大山咋神

正史である『日本書紀』は、偉大な業績を残した鴨玉依姫と大山咋につい

て、冷淡な扱いです。

その理由は敢えて記述しませんが、興味を持っていただければ幸いです。

写真  金刀比羅宮の「石段」   出典:同社HP

 

 

次回は第八話「虚空津比売姫(そらつひめのみこと)」です。

 

 

 

 

 

 

 

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