謎の女神シリーズ 第六話「天細女命(2)」

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図 宮原観音堂入り口の観音橋に描かれた飛天女  出典;ブログ神社見聞牒No.130

(熊本県球磨郡あさぎり町岡原北1323)

キーワード

○天細女命の異名「おたふく様・おかめ様」

○アメノウズメこと辛国息長大姫はなぜ豊受姫(豊宇気姫とも表記、以下トヨウケヒメと表記)に名を改めたのでしょうか。

○トヨウケヒメのその後

○トヨウケヒメを祀る神社

 

1.天細女命の異名「おたふく様・おかめ様」

天細女命が「おたふく様・おかめ様」の異名で祀られていることをご存知ですか。

Wikipediaによると「おたふく様を、最近は醜女(しこめ)の代名詞とされていますが、下ぶく

れのお顔でふっくらとしているのが特徴で、平安期の昔から、これが日本美人の典型とされていまし

た。」とあります。

そういえば、高松塚古墳壁画に描かれた婦人は「豊かな頬」が特徴的です。

「おかめ様は古くから存在する日本の面(仮面の一つ)で、丸顔で鼻が低く丸く、頭が小さく垂髪

で、頬が丸く豊かに張り出した特徴を持つ女性の仮面」としています。

また、「おたふく様・おかめ様のモデルはアメノウズメ」という俗説もあります。

私見は「福をもたらす女神」の代名詞と推測しています。

推測の根拠を故百嶋氏の講演録から借りると

最初の夫志那津彦は、後に「大年神」として現代まで篤く崇敬され、『記紀』では、「アマテラス

の御子天忍穂耳命と記され、また、藤原氏によって格上げされ、後の贈孝昭天皇」と述べてい

ます。

「二番目の夫彦火々出見命は、孝霊天皇の親衛隊長として力量を発揮し、後に白族豊玉彦の後継者とし

経津主命」の称号が与えられました。

また、二人の御子、宇麻志麻遅命(うましまじのみこと)は九州王朝正規軍を編成し、大水口物部

軍の大将軍として活躍し、もう一人の御子壱與(いよ)について『魏志倭人伝』は、卑彌呼の後継者

として13歳で即位し、後には孝霊天皇の皇后細媛(くわしひめ)として夫孝霊天皇を支えた。」と述

べています。

以上の歴史的経過をみると、アメノウズメこと辛国息長大姫の存在は、九州王朝にとってなくては

ならない存在でした。

また、福をもたらす女神でもありました。

写真 博多の櫛田神社 節分大祭 「大おたふくの面」 出典:Wikipedia(10/03/2023

14:00)

2.アメノウズメこと辛国息長大姫はなぜ豊受姫(豊宇気姫とも表記、以下トヨウケヒメと表記)に

  名を改めたのでしょうか。

その契機となったのがAD205年頃(注)に起きた「熊襲と呼応した建南方たけみなかた)の

 」と推測します。

すなわち、『魏志倭人伝』が記す「倭国大乱」、『紀』が記す「狗奴国の乱」です。

狗奴国(くぬこく)は南九州を本拠とし、その王は建南方で、父は志那津彦、母は志那津姫で、

昔氏統領スサノオの孫となります。

「狗奴国の乱」が勃発した理由について、“ブログ神社見聞牒”を主催する宮原誠一氏は、「北熊

本から南筑後における熊襲の内乱」とし、また使嗾者(黒幕)を大国主と指摘しています。

建南方が熊襲の内乱に乗じた目的は、「スサノオの嫡男長髄彦の叛で失った狗奴国の再興」にあ

ったと推測します。

対する九州王朝軍は、壱與の実兄宇麻志麻遅命(別名和知津見命)、腹違いの兄拝跪の神こと御年

神、同じく腹違いの兄大山咋等で構成されたようです。

当初、士気の高かった建南方軍は奮戦しましたが、軍事力では及ばず、建南方軍は徐々に追い詰めら

れて行きました。

此処で立ち上がったのが、父の志那津彦改め天忍穂耳命(あめのおしほほみのみこと)と母の志那

津姫こと辛国息長大姫でした。

故百嶋氏の講演録によると父は降伏の説得、母は建南方を伴い、山背国に向かい、九州王朝の最

有力者豊玉彦にお詫びし、助命嘆願を申し出ます。」

豊玉彦は快く引き受け、阿蘇耳族のお姫様奈留多姫、改名後は八坂刀売(やさかとめ)を建南方の妃

に迎え、諏訪の地に逼塞することを条件として、無事、建南方の助命が許されました。

建南方の助命に関して最大の功労者は13歳で卑彌呼の後継者となった壱與(いよ)と推測します。

壱與は「狗奴国再興」を願っていたようです。

建南方の母志那津姫は、これを機に九州王朝への忠誠を誓うと共に恩人豊玉彦の「豊」の一時を借

り、名をトヨウケヒメに名を改めたと推測します。

同乱沈静後、九州王朝は乱の黒幕大国主に断を下します。

それは「九州からの追放」です。大国主はこれを受けて関東へ去ります。

この騒動は『記紀』が記す「大国主の国譲り」の本質です。

 

(注)古代史山ちゃんブログ第46話「孝霊天皇」(1)では「建南方の乱」をAD195年頃としました。その根拠は後漢の実質的な滅亡年から推測しましたが、故百嶋氏作成の「神々の系図-平成12年考」に記される「壱與・奈留多姫の生年」を考慮すると、年齢的に矛盾があり、10年繰り下げて、「建南方の乱をAD205年頃」に訂正しました。

3.トヨウケヒメのその後

故百嶋氏は講演会録で「孝霊天皇によるAD228年(注) 第二次九州王朝御神霊護送船団に多

くの豪族も随伴した。」と述べています。

また、同船団の「船長は61歳の鴨玉依姫、梶取りは椎根津彦」と故百嶋氏は述べています。

参加メンバーは、孝霊天皇・皇太子後の孝元天皇・皇后細姫・妃ハエイロネ・ハエイロチ姉妹・

皇子の大吉備津彦太瓊命(桃太郎のモデル)・彦狭嶋命兄弟と部将達でした。

武将達の中心は、新たに親衛隊長に就任した宇麻志麻遅命や天足彦(別名彦坐王 ひこますお

う)とその王子ヤマトタケルと推測します。

その痕跡を示すのが樂樂福(ささふく)神社です。

写真 樂樂福神社由緒略記  鳥取県西伯郡伯耆町宮原

ご祭神:孝霊天皇・皇后細姫・妃ハエイロネ・ハエイロチ姉妹・皇子の大吉備津彦太瓊命(桃太

郎のモデル)・彦狭嶋命兄弟

(注)AD228年

故百嶋氏作成の「神々の系図-平成12年考」が記す年齢を精査すると鴨玉依姫の生年はAD179

年ですから、61歳となる年はAD240年となり、12年の乖離があります。

トヨウケヒメ夫妻もおそらく参加していたと推測しますが、彼らの目的は、

(1)第一次九州王朝御神霊護送船団に参加した神々を祀ること

具体的には「天照大神・豊玉彦の父大幡主」を祀ることにあったと推測します。“ブログ神社見聞

牒”を主催する宮原誠一氏は「No.008ヒミコ宗女イヨ」で、天照大神は夫饒速日命の実の母であ

り、父は大幡主と指摘しています。

天照大神の御子として認知された饒速日命は、以後天火明命(あめのほあかりのみこと)の名を時宜

に応じて使い分けするようになったと推測します。

その痕跡を示すのが、以下の二系統の神社です。

「天照大神+トヨウケヒメ」で祀る神社

「天照大神+ニギハヤヒ」で祀る神社(主に九州地方)

とても夫妻で巡行することは困難で、二手に分かれた巡行もあったと推測します。

(2)「地方の産業活性化」

トヨウケヒメのご神徳を調査すると

「稻をはじめとする五穀豊穣・養蚕の神・織物の神」が挙げられますが、忘れてならないの

は「保食(うけもちの)神・御饌都(みけつ)神」です。

4.トヨウケヒメを祀る神社

(1)丹後国

    元伊勢籠(この)神社   京都府宮津市大垣430)
ご祭神:彦火明命(ひこほあかりのみこと彦火々出見命)とありますが元のご祭神は豊受大

神と考えられます。

同社は元々、本来のご祭神は大幡主を祀っていました。

丹後の天羽衣伝説 奈具神社 京都府宮津市由良宮ノ上

ロマンを壊すようで申し訳ありませんが、アメノウズメのイメージに似合いません。おそらく

「美保の松原の三穂津姫(=豊玉姫)の伝承が誤伝されたと推測します。

主祭神:豊宇賀能賣命(とようかのめのみこと)

豊宇賀能賣命を豊受大神としていますが、私見は、習合した神、すなわち豊受姫+倉稲魂

神(うかのみたまがみ)と推測します。

倉稲魂神とは、スサノオの妃神大市姫(かみおちひめ)で、トヨウケヒメの母君であら

せられます。

また、同地では「大宮売神(おおみやめのかみ)とトヨウケヒメは同一神」としていますが、

「大宮売神は豊玉姫で、トヨウケヒメとは同一神」ではないと考えています。

詳しくは山ちゃんブログのトップページに「お稲荷様を考察する」を閲覧ください。

(2)丹波国

元伊勢豊受大神社 京都府福知山市大江町天田内60
祭神:豊受大神

(1)・(2)の両神社は、今も「元伊勢騒動」で騒いでいます。

図 丹波・丹後国の領域

(3)伊勢国

豊受大神宮(通称 外宮様)  伊勢市豊川町

ご祭神:豊受大御神

相殿神;東座 天津彦火瓊瓊杵尊 西座 天児屋根命・太玉命(=大幡主)との噂

私見は、東座天津彦火瓊瓊杵尊とトヨウケヒメとの関連は全くなく、本来は夫の彦火々出

見命と推測します。猿田彦神社境内に祀る佐留女神社の存在を知れば、容易に想像がつくと

考えます。

(4)駿河国

鎌田神明宮   静岡県磐田市鎌田

ご祭神:豊受大神

配祀神:迩迩藝之命(ニニギノミコト)・天児屋根命・天之太玉命(=豊玉彦)

白鳳二年(天武二年 671年)の創祀。伊勢国から豊受大神が渡御。

(5)信濃国

岡田神社 長野県松本市大字岡田下岡田芝宮

ご祭神:保食神(うけもちのかみ=豊受大神)

白雉五年(659年)五穀の守護神として保食神を勧請。

(8)上野(こうずけ)国

夫経津主命は九州王朝の命によって、将軍豊玉彦の副将として関東へ向います。

豊玉彦と共に九州王朝東国支配の拠点を築くなど多くの功績を挙げ、下総国一宮の香取神

宮のご祭神として祀られています。

その後、夫妻は上野国へと移動します。その痕跡を示すのが

・上野国一宮 貫前(ぬきさき)神社 群馬県富岡市一ノ宮

ご祭神:経津主命・姫大神(=豊受姫)

姫大神は養蚕と機織りの神として祀られていることからトヨウケヒメである可能性は濃厚です。

同社の神紋は「桜」です。スサノオの紋章でもあります。

鷺宮咲前(さぎのみやさきさき)神社 群馬県安中市鷺

ご祭神:経津主命・大巳貴命・保食神(=豊受姫)

大巳貴命・保食神は後に合祀されたと伝えられていますが、後世の崇敬者が経津主命の妃トヨ

ウケヒメを合祀したと推測します。

上野国以後の行動は、現時点では確認できていませんが、アメノウズメ夫妻は一生を添い遂げた

と推測します。

写真 一ノ宮貫前神社  出典:群馬の情報サイト We   群馬

写真 鷺宮咲前神社  出典:群馬の情報サイト We  ❤ 群馬

(7)伊勢国へ帰還

神社伝承では現在の東北地方(福島県・宮城県)に点在する鹿島神社の

創建は、おそらく豊玉彦の苗裔氏族が関与していたと推測します。

彦穂々出見命こと経津主命と天細女命こと豊受姫は九州王朝の東国支配活動

から解放され、同夫妻は慣れ親しんだ伊勢國に逼塞し、余生を送ったと推測します。

おわりに

古代の神々には多くの別称があります。それを紐解いたのが故百嶋由一郎氏でした。

我々が知っている「神話」の中心は『記紀』が描く男神ですが、神社伝承を辿っていく

と男神ではなく、女神の存在が際立ちます。

本稿で取り上げたアメノウズメこと後のトヨウケヒメは、現在でも伊勢の地で篤く崇敬

されています。

 

次回は第七話「鴨玉依姫」です。

 

 

 

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