第三十一話  番外編「賢人会議」

写真  厳島神社大鳥居   出典:宮島観光協会

 

○賢人会議

○九州王朝御神霊東遷護送船団の概要

御神霊護送船団に参加した神々

○御神霊護送船団に参加しなかった神々

1.賢人会議

(1)目的

「九州王朝前夜の騒乱が終息した後、大幡主が音頭を取り、阿多半島(現在の大隅半島)で

イスラエルの統領金山彦及び金海伽耶の総大将金越智が参加し、喧嘩をした後ではあったも

のの、とにかく仲良く、これから倭国を運用していこうと衆議一決しました。

(2)決定事項

・大率姫氏の太白天子(たいはくてんし)が君長(当時は天皇とは 呼ばれていません)とし

て即位。

・君長太白天子を中心に日本巡幸を思い立たれ、“九州王朝御神霊東遷護送船団”が組織された

と、故百嶋氏は講演会で述べています。

(3)“九州王朝御神霊東遷護送船団”の移動経路

九州王朝の古い神々をお守りして阿多を出発した後、霧島市溝辺町(神武天皇が青年期に過

ごした地)の地を経由して、神武天皇のふるさとである八代地区を通り、佐賀県のイズミ地区

(現佐賀市久保泉町、同町内には多くの古墳群並びに遺跡が散在しています)、福岡県の曾根

地区(現糸島市の前原町及び三雲地区、同地区には三雲南小路・井原・平原遺跡が散在してい

ます。)を経由して、徳島県のイズミ(同氏は具体的に言及されていませんが、『和名類聚

抄』に阿波國那珂郡和泉郷があるので現在の徳島県阿南市宝田・長生町付近と推測されま

す。)、大阪府のイズミ(現和泉市池上町と泉大津市曽根町にまたがる弥生時代中期の環濠集

落遺跡の周辺と推測されます)を経て、終点の天理市のイズミ(奈良県天理市丹波市町、現天

理教の総本山)に到着されました。

原田大六氏・安本美典の両氏は「平原(ひらばる)古墳を卑弥呼=天照大神の墓」と指摘さ

れています。

図 霧島市溝辺町周辺の地図

図 天理市丹波市町周辺地図

2.九州王朝御神霊東遷護送船団の概要

(1)団長

スサノオの娘市杵島姫(いちきしまひめ)で、何艘かの準構造船(上陸用舟艇を内包)を利用

した。」と故百嶋氏は述べています。

・広島県宮島にある厳島(いつくしま)神社

同社の旧名「伊都岐島(いつきしま)神社」は、平清盛によって「厳島神社」に改めたとい

う歴史を持ち、市杵島姫は宗像大社では市寸島姫命と表記され、本来の名前は“市寸=イツ

キ“にあると考えられます。”イツキ”は“斎”の意で、市杵島姫が団長として「瀬戸内海の航海安

全」を祈願した名残が厳島神社と考えられます。

写真  厳島神社 広島県廿日市市宮島町   出典:同社HP

写真  大和(おおやまと)神社  天理市新泉町  出典;同社HP

(2)護送船団の目的

この護送船団の経路に、九州王朝に関わる古い神々が祭祀されるようになり、後には北海道と

一部の東北を除く各地に伝播していったと推測されます。

この護送船団に参加した神々は、現在も各地で祀られている神々が該当します。

(3)護送船団の出発時期

故百嶋氏のメモによれば、この護送船団は西暦165年頃としています。神武天皇43歳の時でも

ありました。

3.御神霊護送船団に参加した神々

(1)大率・姫氏(し) 豹尾神神武天皇・神武天皇の姉大日孁貴(後の卑弥呼)

(2)白族統領  黄幡神大幡主 磐筒男神豊玉彦(八意思兼命)

(3)瀛氏統領  根裂神金山彦 磐裂神金山彦の妃埴安姫

(4)越智族金氏 月弓神大山祇 磐筒女神神大市姫

(5)経津主神命 彦火々出見命(大幡主と大日孁貴の御子)

(6)二神 吾勝こと天忍穂耳命 置瀬こと市杵島姫

(7)一神 神沼河耳命

(1)~(7)の神々は山梨県甲府市の天津司(てんづし)神社の社記によると「天より降り舞

楽をなした。その後、二神は天に昇り、一神は西仙川村の旧井に入ったが、九神はなお舞楽を為し

た。」と伝えています。

故百嶋氏は「二神は対馬へ新婚旅行に出かけ、一神は自らの意思で一行と離れた。」と述べてい

ます。

また、「舞楽の舞台は大型の船を模した船舞台」とメモに書き残しています。

写真  天津司神社 山梨県甲府市  出典:同社HP

4.御神霊護送船団に参加しなかった神々

(1)大国主

中期親衛隊長として九州王朝の警護職に専念。

(2)スサノオ

「神武使神の神沼河耳命をこっぴどく叩いた」ため謹慎していたようです。

 

次回は「神武天皇」(1)です。

 

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