第九十八話 番外編「日本の古代馬」 

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写真 福岡県嘉穂郡桂川町寿命「王塚古墳―石室前室」 出典:王塚装飾古墳館HP

○福津市津屋崎町の渡半島「神代に放ち給うた馬の牧跡」

○日本の「在来馬」

○朝鮮半島の「在来馬」

 

1.福津市津屋崎町の渡半島「神代に放ち給うた馬の牧跡」

渡半島は「神代に放ち給うた馬の牧跡」の言い伝えがあり、現代でも「牧の大明神の祠」が残っています。

九州王朝に貢馬を放牧した場所は、渡島(福津市津屋崎町)・勝島(宗像市神湊)・能古島(福岡市西区)・地島(宗像市地島)・大島(宗像市大島)などで、主に島嶼部・半島でした。

現代でも、それぞれの牧場には、其の牧場の入口を守る「牧大明神・牧口大明神」が祀られています。

図  渡の牧跡「神代に放ち給うた馬の牧跡」福津市津屋崎町渡

出典:綾杉るな女史主催「ひもろぎ逍遥」2011年6月9日

 

2.日本の在来馬

出典:Wikipedia (2021/12/06 11:30)

馬種 体高 頭数(2011年)
北海道和産(道産子) 125~135cm 1,085
木曽馬 125~135cm 162
御崎馬 100~120cm 80
対州馬 125~135cm 29
野間馬 110~120cm 66
トカラ馬 100~120cm 128
宮古馬 110~120cm 30
与那国馬 110~120cm 141

この他、純血腫が絶滅している中、大型在来馬として南部馬・三春駒・三河馬・能登馬・土佐馬・日向馬・薩摩馬・甲斐駒などがあり、これらは主に軍馬として利用されていました。

『魏志-倭人伝』の記述とは違い、縄文・弥生期に遺跡から40例を超える小型馬と中型馬の骨や歯が発見されています。

写真 福岡県嘉穂郡桂川町寿命「王塚古墳―石室前室」

出典:王塚装飾古墳館HP

写真 福岡県田川市大字伊田「猫迫2号墳」から出土した馬形埴輪と武人埴輪

出典:田川市教育委員会HP

よく見ると、「鞍・鐙」がみえます。出土品の中には「鞍・鐙金具」が検出されています。

したがって、この馬型埴輪は明らかに軍馬をモチーフとして製作されたと考えられます。

高句麗好太王との戦いに、福津市津屋崎町渡の牧場で養育した軍馬を投入したと推測されます。

3.朝鮮半島(38度線以南)の在来馬

下記の写真(1)・(2)をご覧ください。

(1)の写真に写る人物と比較すると、日本の在来馬より、随分と小型で、軍馬には不向きなようです。

写真(1) 在来馬「韓馬(からうま)」

詳しい年代は不明ですが、(朝鮮)戦争中に撮影したとみられます。

写真(2) 「乗馬状態の韓馬」

馬体が左に傾いており、重い荷物を運ぶには不適かもしれません。

写真(1)と同様に周囲の人物から、小型馬と認識できます。

写真(1)・(2)共に出典:うみねこ博物館Ancient Photography

 

次回は「清寧天皇」です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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