第六十八話  「贈仲哀天皇」(2)

写真 忍熊王を祀る劒神社(越前国二宮) 福井県丹生郡越前町織田

祭神:素盞鳴大神・氣比大神・忍熊王 出典:同社HP

○忍熊王(おしくまおう)の反逆

○氣比大神とは

○陵墓

 

1.忍熊王(おしくまおう)の反逆

反逆の経緯は、まだ赤子であるにも関わらず、神功皇后の御子品陀和 氣命(ほむだわけのみ

こと)が太子となり、是に反発したのが異母兄の香坂(かごさか)王と忍熊(おしくま)王で

す。

香坂王は奸計によって莵餓鬼野(うがきの)で赤猪に食い殺され、同じく忍熊王は武内宿禰と

和珥臣の祖武振熊(たけふるくま)軍の奸計に よって、琵琶湖の瀬田の済で没したと記してい

ます。

和珥臣の祖武振熊について、故百嶋氏のメモによれば、父は天葺根命(あめのふきねのみこ

と)出世後の名は大山咋(おおやまくい)、母は日御碕鰐族(ひのみさきわにぞく)小野氏の娘

とあります。

建振熊の兄は大彦命(おおひこのみこと)と共に武埴安彦(たけはにやすひこ)の乱を鎮めた

和珥臣の遠祖彦國葺命(ひこくにぶくのみこと)としています。

忍熊王を祀る神社

劒神社(越前国二宮) 福井県丹生郡越前町織田

祭神:素盞鳴大神・氣比大神・忍熊王

写真 劒神社  出典:同社HP

同社は、忍熊王を「劒の御子」として祀り、同神社の縁起では「忍熊王が賊徒討伐の時、ス

サノオ大神の御神威を載き、窮地を脱し、この地を無事治めることができたことに対し、神恩

感謝の誠を捧げ、社を造り、スサノオ大神を主神に氣比大神を配神として祀ったことには

じまり、さらに忍熊王が薨去されるや、その徳を慕い、御祖神として合祀し、三座の神を劒大

明神として称えた。」とあります。

忍熊王は、劒神社の伝承によると徳のある人物として描かれています。

忍熊王の支配地は越前国丹生郡で、遠く離れた九州の神功皇后と戦う理由が見当たりませ

ん。

仮に反逆が事実ならば、それは「和珥氏内部の権力闘争」と推測します。

写真  劔大明神略縁起(鎌倉時代後期)出典:同社HP

「十四代仲哀天皇の第二皇子奉りて勧請す。天利剣尊(あめのとつるのみこと)北陸第二の守

護神なり。」

天利劔尊は、スサノオの嫡男長髄彦のまたの名であり、忍熊王・武振熊はスサノオ系の末裔

となります。

和珥氏について、故百嶋氏は「九州では鰐氏(わにし)、出雲では和珥氏、大和では春日氏

(かすがし)」と名乗っていたとするメモが残されています。

図 福井県丹生郡越前町織田周辺の地図

2.氣比(けひ)大神とは

禊ぎをするため建内宿禰は太子(品陀和氣命)を連れて、近江・若狭国を経て高志の角鹿に假宮

を建て、在地の神伊奢沙和氣命(いさざわけのみこと)は「吾が名を御子の名と交換したい。」

とのり給う。

そもそも、この説話は禊ぎをするために遠く離れた「氣比神宮」へ行く理由が飲み込めませ

ん。

氣比(けひ)神宮  福井県敦賀市曙町

主祭神:伊奢沙別神(いさざわけのかみ)

故百嶋氏は「伊奢沙別神はスサノオのまたの名」としています。

瀛氏(金山彦系)直系の櫛稲田姫の娘鴨玉依姫は、瀛氏の象徴「十字剣」を誉田別命(ほ

むたわけのみこと)に授けたと述べています。

この行為は、誉田別命を瀛氏の後継者に任命したことを物語ります。鴨玉依姫の夫大山咋は

スサノオの孫であり、したがって、鴨玉依姫の行為は瀛氏と昔氏の絆を深めたことになりま

す。

誉田別命はその証として氣比神宮の伊奢沙別神を拝むことにより、盟約を果たしたのではと

推測します。

写真  氣比神宮   出典:同社HP所収日本百名月公式サイト

3.陵墓

河内の恵賀の長江(現在の大阪府南河内郡)にあり。陵墓は恵我長野西陵とし、古市古墳群最

大の前方後円墳である“岡ミサンザイ古墳”に比定されていますが、根拠は脆弱です。

佐賀市大和町尼寺の印鑰神社の伝承では、仲哀天皇終焉の地とする伝承が伝えられています。

注)印鑰(いんにゃく)神社とは

国衙(こくが)の「印」と正倉(しょうそう)の「鑰(かぎ)」を保管し、祀った神

社。現在でも同名の神社は、全国に10社以上存続しています。

写真  岡ミサンザイ古墳(仲哀天皇陵に治定)出典:藤井寺市HP

大阪府藤井寺市藤井寺 古市古墳群で三番目の大きさ

 

次回は「仲哀天皇」(3)です。

 

 

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