謎の女神シリーズ  第八話「虚空津比売命(そらつひめのみこと)」

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はじめに

 『記紀』には虚空津比売命に関する記述はなく、俗説のみ跋扈しているのが現状です。

俗説とは「息長足姫後の神功皇后の御妹(おんいもうと)は虚空津比売命」とする説です。

虚空津比売命の「虚空(そら)」について、私の理解は「実体のない空間」と考えています。

したがって、「虚空津比売命は実体のないお姫様」と考えられます。

となると、「実体を伴う姫様」が存在した可能性が見いだせます。

長らくこの疑問に対する確かな解答が見出せませんでしたが、「百嶋神社考古学」に巡り会い、独

りよがりかも知れませんが、ようやく理解できるようになりました。

しかし、正史『日本書紀』とは異質の内容を含んでおり、すんなりと理解することは難しいかも知

れません。

 

キーワード

 ○虚空津比売とは

 ○豊姫(ゆたひめ)とは

 ○豊姫(ゆたひめ)の系図

 

1.虚空津比売とは

(1)「百嶋神社考古学」

虚空津比売を祀る主な神社

○八幡古表神社 大分県中津市伊藤田  神紋“花菱”

ご祭神:息長帯姫(しなたらしひめ)尊・虚空津比売命

同社が伝承する「細男舞」「八乙女舞」とは、

①「細男(せいのお)舞」(別名神相撲、勝ち抜き相撲)

傀儡子とそれを操っての傀儡子の舞い(細男舞)と神相撲は古表神社の長い歴史と共に

特色ある民族文化として今日まで継承されています。

   「小さな神が大きな神々に立ち向かう

東御殿三島大神の活躍で西御殿は窮地に追い込まれ、此処で活躍したのが西の大トリこそ、住吉

 大神。小さな体ながら力強い取り組みで東の神々を次々と倒し、迎えるは西の大トリ祇園大神。大

きな身長差を跳ね返し、六連勝で西に勝利をもたらします。

参照:福岡県築上郡吉富町観光・物産ガイド

②「八乙女舞

八乙女とは

稚日女(わかひるめ)大神(=卑弥呼宗女壱與)

爾保津(にほつ)姫大神(=豊玉姫)

八街(やちまた)比売大神(=瀛津世襲足姫)

広田大神(=天照大神)

石坂姫大神(=イザナミ)

豊受姫大神(=伊勢外宮様)

立田大神(=市杵島姫)・

美奴売(みぬめ)大神(=八女津姫、父天種子・母百姫)

以上、いずれも九州王朝を代表する女神たちで、最も年少の女神は美奴売姫であることから、

時代は開化天皇の御代以降に奉納されたと推測します。

○古要神社  大分県中津市伊藤田  神紋は“剣花菱”

ご祭神:息長足姫命・虚空津比売命

同社も八幡古表神社で行われる「神相撲」を伝承しています。

不思議なことに、両社とも「虚空津比売」に関する伝承は伝わっていません。

故百嶋氏は両社に共通する「古」を「胡」とし、「胡(えびす)」は西から来た胡人の意で、

「表・要」は酒泉(万里の長城の西の終点嘉峪関)とメモに残されています。

写真  細男舞  出典:福岡県築上郡吉富町観光物産ガイドHP

先頭の大男が祇園大神、三番目の黒い小男が住吉大神と考えられます。

写真 八人の天女「八乙女舞」 出典:故百嶋氏のメモ

(2)「百嶋神社考古学」継承者 “ブログひぼろぎ逍遥”古川清久氏

虚空津比売の実体を神社縁起などから調査し、「虚空津比売の本名は豊姫(ゆたひめ)別名

與止日女」とする説を提起しました。

同説を根拠としたのが

①『高良玉垂神秘書(こうらたまたれじんぴしょ)』筆者大祝職物部神津 麿保房

第七条

「皇后の御妹に二人おわします、一人は宝満大菩薩、一人は河上大明神になり給う。これ豊姫

   (ゆたひめ)のことなり。」

注)『高良玉垂神秘書』

久留米市の高良大社に伝わる縁起書の一つ。

宝満大菩薩とは「鴨玉依姫」と推測します。

第一条

「神功皇后、異国征伐の後、三男月神底筒男尊(そこつつおのみこと)は皇后と夫婦となり

給う。嫡男日神の垂迹 表筒男尊は皇后の御妹豊姫と夫妻なり。その御子大祝日往子(おほ

ほおりひゆきこ)と申すなり。この底筒男尊・表筒男尊の二人は皇后と共に皇宮におわしま

す。三男月神の垂迹 底筒男尊、皇居に住まわれる間、位を設け、太政大臣物部保連と申し

給う。藤(とうの)大臣は干珠満珠を借り給う時の仮の名なり。」

注)

嫡男日神こと表筒男尊:安曇磯良 妻は豊姫 御子は大祝日往子(おおほおりひゆきこ)

三男月神こと底筒男尊:開化天皇、皇后は神功皇后

②河上大明神を祀る與杼日女神社 佐賀市大和町川上  別称「河上神社」 肥前国一宮

ご祭神:與杼日女命(よどひめのみこと)と豊姫は同一神

   嘉瀬川流域には同社を含め六社存在します。

豊姫を豊玉姫とする俗説がWikipediaにも記されていますのでご注意ください。

写真  嘉瀬川「精霊流し」毎年8月15日実施 嘉瀬川河川敷 出典:佐賀市観光協会HP

読経が流れるなか、大小さまざまな鷦鷯船が流され、幻想的な 風景を醸し出します。

赤司八幡宮  福岡県久留米市北野町赤司

対外的なご祭神:與止比咩命・高良大神・(武内宿禰)・道主貴 止與比咩命・八幡大神

(応神天皇)

わざわざ「対外的なご祭神」と断っている珍しい神社です。

由緒によると、創祀は天照大神様の神勅“汝三神 宜しく道中に降居して天孫を助け奉り、天孫

のために祭かれよ。“を受けて、筑紫の道中(筑紫平野の中心部)、御井郡河北の地に天降りし

た。“とあります。

(3)「百嶋神社考古学」継承者 “ブログ神社見聞牒”宮原誠一氏

同氏は古川清久氏説から、一歩進めて「ブログNo.25 神功皇后生誕の地・佐賀県背振の野

波神社」を取り上げています。

長くなるので、一部を抜粋すると

『紀』が記す「氣長足姫尊とその両親である父氣長宿禰王(しなすくねおう)、母葛城高額

姫(かつらぎのたかぬかひめ)」を祀る神社の発見です。

○野波神社  佐賀県佐賀市三瀬村杠

ご祭神:神功皇后・武内宿祢・淀比咩大神(淀姫神)

同社下之宮

ご祭神:神功皇后のご両親である息長宿祢命、葛城之高額媛

写真 野波神社下之宮 案内板

(4)息長足姫 後の神功皇后一家の系譜

私も両氏に触発され、故百嶋氏が残された数々の「神々の系譜」を繋ぎ合せ、足りないところ

は古川清久氏にお知恵を借りたり、調査の依頼をしました。また、“ブログ「玄松子の記憶」”から

関連する神社を一社毎に調査照合作業を行うなどして、ようやく完成したのが下記の表です。

インターネットの検索機能のお陰だとしみじみ思います。

今後、「AIの時代」が普及することを思うと「期待と不安」が入り交じります。

表  「息長帯比売の系譜」

                  神功皇后

息長帯比売

AD226年

父 息長宿禰

AD200年

スサノオの曾孫

 

祖父 大筒城真若王こと

建南方命

スサノオの孫

AD174年

 

 

曾祖父 天忍穂耳命

AD138年

曾祖母 武内足尼

スサノオの娘

AD152年

 

祖母 八坂刀売

高木大神の曾孫

AD164年

 

 

 

曾祖父 天忍日命こと興津彦

天忍穂耳命の御子

AD158年

曾祖母 雨宮姫

建盤龍命と阿蘇津姫の御子 AD179年

 

 

母 葛城高額比売

AD216年

スサノオの曾孫

祖父 多遅摩比多訶

スサノオの孫

 

 

曾祖父 沾解尼師今こと多遅摩比那良岐

スサノオの御子

曾祖母 不明

 

祖母 菅竈由良度美

AD178年

曾祖父 豊玉彦

AD132年

曾祖母 木之花咲耶姫

AD150年

注)生年は故百嶋氏の推定

上記系譜を辿ると、神功皇后はスサノオ系のお姫様であることが一目瞭然です。

また、葛城氏もスサノオ系一族と推測されます。

 

2.豊姫(ゆたひめ)とは

皇后の御妹(おんいもうと)豊姫について「神々の系図-平成12年考」では、夫安曇磯良

  嫡子は日往子(ひゆきこ)、豊姫の父はウガヤフキアエズ、母は奈留多姫としています。

したがって、豊姫は神功皇后の御妹ではありません。

では、なぜ豊姫を神功皇后の御妹としたのでしょうか。

故百嶋氏は「開化天皇の少年時代、乳母豊姫と間違いを起こし、生まれたのが、莵道稚郎子

(うじのわかいらっこ)。神功皇后に配慮して、神功皇后の御妹とせざるを得なかった。」と述

べています。

その後、豊姫は神功皇后崩御後に高良玉垂宮を出て、最終的には、佐賀県佐賀市大和町川上

「與止日女(よどひめ)神社」に落ち着かれました。

○『高良玉垂宮神秘書 第142・237』

「高良大菩薩は神功皇后崩御のあと、住み慣れた大宰府の皇居を出て、甥に当たる日往子尊を連れ

て、宝満川を小舟で下り,やがて筑後においでになり、まず久留米市大善寺に着岸。ここで御船を

新造して大舟で漕ぎ出し、大川市酒見に上陸。風浪の九九社大権現を祀り、さらに有明海に出て、

こんどは大牟田市黒崎に上陸、ここからまっすぐ北に陸行して山門郡瀬高イチカウラ、八女郡人形

原を経て高良山に登り、八葉の石畳を築いて地主神たる高樹神を退け、ついに高良山に鎮座になっ

た。ときに仁徳天皇の御宇9月13日のことであったという。」

解説を加えると、「甥の日往子尊は少年時代の開化天皇と乳母の豊姫との御子」で、開化天皇は

日往子尊を大変愛おしくしていたことが読み取れます。

日往子尊の子孫は「鏡山氏」に継承されています。

○豊姫を祀る神社

“ブログ神社見聞牒 No.58 水沼君(みぬまのきみ)の八幡神社と豊姫神社と豊姫”記事を参照

しました。

・八幡神社 福岡県三井郡北野町大字赤司(あかし)

旧社名 「延喜式」式内社 止誉比咩(とよひめ)神社 

ご祭神:応神天皇

配祀神:武内宿祢・住吉大神

旧神社名「止誉比咩神社が八幡神社に改称した際に、ご祭神が応神天皇にすり替えられた」と

推測しています。

・豊姫神社  福岡県三井郡北野町大字大城字日比生(ひるお)

旧社名 「延喜式」式内社 豊比咩神社 

ご祭神:豊玉姫

祭神が混乱している理由は旧社名「豊比咩神社」に起因し、本来の祭神である「豊姫」に代

わって「豊玉姫」が祭られたと推測します。

 

3.豊姫の系図

神社見聞宮原誠一氏作成の「豊姫を開化天皇の乳母とし配偶者とした場合の系図(3)

出典:“ブログ神社見聞牒 No.58 水沼君(みぬまのきみ)の八幡神社と豊姫神社と豊姫

豊姫の父は鵜葦草不合命、母は奈留多姫、系図にはありませんが、兄は熊襲統領河上猛です。

『記紀』が記すヤマトタケルに征伐された「川上タケル」です。妹豊姫は夫安曇磯良と共に兄

の助命を嘆願したことにより、川上タケルは阿蘇の支配地を没収されたものの、、助命された

ようです。

安曇磯良・豊姫夫妻は、大変仲の良い夫婦として知られています。

写真 (糸島市)桜井二見ヶ浦の海岸にある「夫婦岩」の真っ白な鳥居が絶景

出典:Navitime  Travel

鳥居をよく見ると「殷鳥居」ですね。

「夫婦岩」のモデルは安曇磯良と豊姫(別名與杼姫)といわれています。

 

おわりに

京都市伏見区淀本町にある與杼(よど)神社の主祭神は「豊玉姫命 別名與止日女、また神功皇后

の妹」としています。

同社の由緒は、応和年間(961~964年)に、肥前国佐賀郡河上村(現佐賀市大和町)の與止日女神

社から淀大明神を勧請とあります。

いくら何でも「豊玉姫命」は無いだろうと思いますが、いつの時代かわかりませんが、混乱する事

態が発生したのでしょう。

このような例は、全国の神社で見られます。

このような事態を看過するのが良いのでしょうか。

 

 

次回は「倭姫命」です。

 

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