第三十七話  「饒速日命(にぎはやひのみこと)」

写真 「弥五郎どん祭」

九州南部、宮崎県と鹿児島県に伝わる巨人伝説の主人公

出典:鹿児島県曽於市観光協会公式ガイド

巨体が歩く?!曽於市大隅町の伝統

○ニギハヤヒとは

○ニギハヤヒのまたの名

○天照大神と饒速日命を祀る神社

1.ニギハヤヒとは

『先代旧事本紀(せんだいくじほんき)』によれば、父天押穂耳尊(あめのおしほみみのみこ

と)、母高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)こと高木大神の娘豊秋津師媛拷幡千々姫(とよあ

きつしひめたくはたちちひめ)との間に誕生したが故に天孫であり、皇孫と称す。

本名は天照國照櫛玉饒速日尊(あまてらすくにてらすくしだまにぎはやひのみこと)といい、

またの名を天火明命(あめのほあかりのみこと)、天照国照彦天火明尊、饒速日命、膽杵磯丹杵

穂命(いききにきほのみこと)と云う。

「神々の系図-平成12年考」によると、ニギハヤヒは山幸彦こと彦火々出見命とし、海幸彦こ

と天之忍穂耳命の年齢は山幸彦より2歳年長で、山幸彦の父であるはずもありません。

「天神の子」とは、「呉太伯王家の男系天皇」を指しますが、ニギハヤヒは大幡主と大日孁貴

(おおひるめむち)との私生児の可能性を指摘しました。大日孁貴は神武天皇の政治的しくじり

によって神武天皇と共立することになり、ニギハヤヒは、「女系天皇の御子」へと昇格したこと

になります。したがって、ニギハヤヒは「天神の子」とみなすことが出来ます。

図  山幸彦と海幸彦系図

2.ニギハヤヒのまたの名

(1)少年期の名「大屋彦」 通称山幸彦

(2)『魏志』倭人伝が記す伊都国長官「爾支(にき)」

(3)天香山命(あめのかやまのみこと)

・新潟県西蒲原郡弥彦の弥彦神社

ご祭神:伊夜彦神(いやひこかみ)(=天香山命)

古川清久氏はブログ「ひぼろぎ逍遥」で、香春岳(かわらだけ)の香春(かわら)神社の主

祭神こそ山幸彦の妃辛国息長大姫またの名大目姫(=伊勢下宮の豊受大神)、天香山命とは香春

岳の支配者である豊受大神(とようけおおかみ)の夫であるとし、故百嶋氏の指摘を補強してい

ます。

写真  弥彦神社    出典:同社HP

後方に聳えるのが神体山「弥彦山」

(4)弥五郎どん

九州南部、宮崎県と鹿児島県に伝わる巨人伝説の主人公

写真  弥五郎どん祭 出典:鹿児島県曽於市観光協会公式ガイド

巨体が歩く?!曽於市大隅町の伝統

(5)五十猛命(いかたけるのみこと)

紀伊国一宮の「伊太祁曾(いだきそ)神社」の祭神は五十猛命またの名を大屋毘古神(別名

伊太祁曾神・射楯神)。播磨国総社の「射楯兵主(いたてひょうず)神社」の祭神は射楯大神

(=五十猛命)。筑紫野市の「筑紫神社」の祭神は筑紫大明神(=白日別神、五十猛神)です。

同神が祀られている分布地域は、石見・武蔵・越中・飛騨・常陸・肥前・筑紫・伊豆・丹波

国です。

写真 紀伊国一宮 「伊太祁曾神社」

(6)猿田彦大神(一名白髭大明神)

・伊勢市宇治浦田の「猿田彦神社」摂社「佐留女神社」

写真 「佐留女(さるめ)神社」   出典:伊勢志摩観光ナビ 

猿田彦神社境内にある「佐留女神社」のご祭神は豊受気姫こと佐留女(猨目)。猿田彦と猨女

は、本当に仲睦まじい「夫婦神」で生涯連れ添いました。

・島根県安来市西松井町の「出雲路幸(いずもじさち)神社」

ご祭神:猿田彦命・天細女命

両神が大変仲睦まじかったとする伝承にふさわしい祀られ方です。分布地域は山代・阿波・越

中・越前・日向・伊賀・伊勢・美濃・武蔵・近江・陸奥国です。

猿田彦系統の物部軍後継者は物部宗家宇摩志麻遅命(うましまじのみこと 高良物部系)です。

なお、猿田彦の「猿田」とは「赤米田(あかまいた)」と故百嶋氏は述べています。

(7)天火明命(火明命・彦火明命・天照国照彦天火明命とも表記)

・京都府宮津市の「籠(この)神社」の祭神は彦火明命(ひこほあかりのみこと)

・愛媛県西条市周敷の「周敷(すふ)神社」の祭神は火明命(ほあかりのみこと)です。分布地

域は丹後・但馬・伊予・尾張国に集中。

表 ニギハヤヒの妃と御子たち「神々の系図-平成12年考」より作成

名前 血縁関係 生年 またの名など
ニギハヤヒ 本人 AD140年 彦火々出見命・猿田彦など
豊玉姫 最初の妃 AD153年 タゴリ姫・若狭姫
ウガヤフキアエズ 豊玉姫の御子 AD170年 天稚彦・アジスキタカヒコネ命
豊宇気姫 二番目の妃 AD154年 猨女・天細女
宇摩志麻遅命 豊宇気姫の御子 AD174年 物部宗家
細姫 豊宇気姫の御子 AD180年 後の壹與

生年は故百嶋氏の推定

3.天照大神と饒速日命を祀る神社

    古川清久氏から事前に電話で「重大ニュース」の内容を聞いていましたが、届いた書簡を開封して驚きました。

    宮原誠一氏「ブログ神社見聞牒 2017年5月28日」No.008 ヒミコ宗女イヨ」

  (内容の抜粋)

筑後、筑豊では天照大神宮の神社では「天照大神」を祀っているのか、「ニギハヤヒ」を祀っているのか、分からない場合があります。表向きは「天照大神」を祀り、実際は「ニギハヤヒ」を祀っている神社が多いのです。
直接、天照大神を祀る神社は筑前、筑後では少ないのですが、これが物部の中心地(物部はのちに筑後から筑豊に移動展開する)の筑豊地区に入ると天照大神宮はほぼ全て「ニギハヤヒ」という男神を祀っている状態です。「天照大神」、「ニギハヤヒ」のいずれを祀るにせよ、扁額には「天照大神宮」と書かれている場合が多い。あるいは、「天照大神」、「ニギハヤヒ」が親子で祀られている神社も見かけます。
「天照大神」、「ニギハヤヒ」の祀り方が異なる天照大神宮の区別を4種類に分けて、代表的な神社を拾ってみました。
1.「ニギハヤヒ」を表向き祀る天照大神宮
福童神社 祭神・天照国照彦火明命 福岡県小郡市寺福童846
2.天照大神を表向き祀るが、本当の祭神は「ニギハヤヒ」を祀る天照大神宮・甲條神社

3.天照大神を表向き祀るが、本当は「ニギハヤヒ」と共に祀る天照大神宮田手神社

祭神・撞賢木厳之御魂向津媛命 佐賀県神埼郡吉野ヶ里町田手1527

4.「ニギハヤヒ」を表向き祀るが、天照大神と共に祀る天照大神宮
伊勢天照御祖神社(大石神社) 祭神・天照国照彦天火明命 福岡県久留米市大石町132

 

 

次回は「倭女王卑弥呼」です。

 

 

 

 

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