第百二十三話  「敏達天皇」(3)

   写真 「稻爪神社」

○「赤浦鉄人」伝承

○九州王朝「倭国」のかげり

 

1.「赤浦鉄人伝承」

私の古代史の畏友、愛媛県在住の八束武夫氏が自費出版した『松山市の文化財めぐり 河野(こう

の)氏の歴史と伝承を訪ねて10~13p』に「赤浦鉄人」伝承があります。

(1)文献Ⅰ 河野氏系図を収める『越智系図』

「越智益躬が推古天皇の時代に異国の戎人が鉄人を大将として攻めてきたのを播州(兵庫県)蟹坂で

討ち取った」という伝承。

(2)文献Ⅱ 河野家家譜『予章紀』

「越智益躬は、推古天皇の御代に百済国から攻めてきた鉄人を播州蟹坂で退治した」という伝承

(3)文献Ⅲ 「稻爪神社縁起」(明石市大蔵町)

「推古天皇の時代に、異国から鉄人が8,000人を率いて攻めてきた.伊豫の越智益躬は勅命で九州

に向かい、敵陣に入り、偽って降伏し彼らを東に導き、明石に到着した時、俄に雷鳴が轟き、凄

まじい稲妻の中に三嶋大明神が現われて益躬を助け、鉄人たちは忽ちに撃たれてしまいます。そ

こで益躬はその地に三嶋大明神を祭り、稲妻大明神と崇めたのが稻爪神社の縁起」という。

(4)文献Ⅳ 古代逸年号を記録した『二中歴』

「鏡当四年辛丑(581年) 新羅人来る.筑紫より播磨に至り、これを焼く」

文献Ⅰ~Ⅲについて、『日本書紀-推古天皇紀』に記述はなく、「赤浦鉄人の来襲」は、文献

Ⅳが本来の事件であったと考えられます。

 

写真 明石市大藏町 「稻爪神社」 出典:明石市観光協会

ご祭神:大山祇命・面足尊(おもたるのみこと=金山彦)偟根尊(かしこねのみこと

=埴安姫)

写真 稻爪神社境外摂社「大藏八幡神社」明石市大蔵八幡町 出典:明石市観光協会

ご祭神:小千益躬

 

2.九州王朝「倭国」のかげり

九州王朝「倭国王」が敏達天皇かどうかわかりませんが、「新羅の赤浦鉄人」の侵入経路が

「筑紫~播磨」とあるので、「博多湾の防衛ライン」が、新羅の軍勢8,000人によって破られたこと

に驚きます。

「倭国軍」の戦力低下が想像できます。

瀬戸内海に通暁する「越智益躬」に勅命が降ったのは理解できますが、名誉回復のために「追捕軍」

を派遣したのかどうかもわかりません。

おそらく、指揮命令系統が行き届かないほど、軍事力に陰りがあったと推測します。

 

次回は「用明天皇」です。

 

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