第四話 「神産巣日神(かみむすひのかみ)」

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○神産巣日神とは

○神産巣日神のまたの名

○カミムスヒ神と大國主の関係

1.神産巣日神とは

  『記』を含む文献からタカミムスヒと同様にカミムスヒの実体を辿ってみましょう。

・「天地のはじめ」

カミムスヒは独神なり。

・「キサガイヒメとウムギヒメ」

八十(やそ)神(かみ)によって焼き殺された大穴牟遅神(おおなむちのかみ)の母は嘆き悲しみ、母は天に上ってカミムスヒに息子の再生を願ったところ、カミムスヒはキサガイヒメとウムギヒメを遣わし、火傷(やけど)療法によって無事麗しき男神となって蘇生しました。

 僅かな記事しか見えませんが、実は倭国の最重要な神様で、『魏志』倭人伝が記す「漢倭奴国王(かんのいぬこくおう)」で知られる金印を授与された「奴国王」で、「出雲の御祖(みおや)」でもあります。

図3  「大穴牟知命」画 青木 繁 出典:アーディソン美術館

注)左キサガイヒメ(赤貝) 右ウムギヒメ(蛤)

中央大穴牟知命

2.神産巣日神のまたの名

(1)神漏伎命(かむろぎのみこと)

月次(つきなみ)祭(さい)で詠み上げられる祝詞の冒頭部分に后神(きさきかみ)の名が確認できます。

高天原に神留り坐す皇睦神漏伎命(すめらむつかむろぎのみこと)・神漏弥命(かむろみのみこと)以て、天社国社と称え竟へ奉る皇神(すめらかみ)等の前に白さく(以下略)

(2)櫛御氣野命(くしみけのみこと)

   写真5 出雲國一宮「熊野大社」 島根県松江市八雲町熊野

出典:同社HP

ご祭神:加夫呂伎熊野大神櫛御氣野命(かぶろぎくまのおおかみくしみけのみこと)

(3)櫛田大神

写真6 「櫛田神社」福岡市博多区上川端町 出典:福岡市HP

ご祭神:大幡大神(櫛田大神)

(4)熊野大神

写真7 「神魂(かもす)神社 島根県松江市大庭町

出典:同 社HP

ご祭神:熊野大神

(5)天穂日命(あめのほひのみこと=野城大神)

写真8 「能義神社」島根県安來市能義町 出典:安来市HP

ご祭神:天穂日命(野城大神)

(6)国常立尊(くにとこだちのみこと).

写真9 御嶽神社 出典:御嶽教大本疔HP

ご祭神:國常立尊

 

(7)熊野速玉男神(くまのはやたまおのかみ)

写真10 熊野速玉大社 和歌山県新宮市新宮 出典:同社HP

ご祭神:熊野速玉男神

(8)大若子命

写真11 伊勢神宮外宮摂社「大間國生(おおまくなり)神社

出典:伊勢神宮HP

ご祭神:大若子命・乙若子命

3.カミムスヒ神と大國主の関係

太安万侶が仕掛けたトリック、『日本書紀』の辻褄合わせが「出雲国譲り」です。

不思議なのが、建御雷(たけみかづち)に降伏した大国主が立派な宮殿を立ててもらい、膳夫(かしわで)となって火錐式(ひきりしき)を行い、神産巣日(かみむすひ)の神を寿(ことほ)ぐ祝詞を唱える場面です。

降伏後の大国主に立派な宮殿をプレゼントすること自体が不自然で、さらに、アマテラスを称えるのならともかく、神産巣日の神を寿ぐ祝詞を行うのは考えられません。

考えられるのは、大国主が御祖(みおや)神産巣日神を称える祭祀を行ったとする伝承が本来の姿かもしれません。

故百嶋氏は、大国主(正確にはオオナムチノミコト)を神産巣日神の入り婿としています。「出雲の国譲り」の舞台は出雲ではなく、九州としています。

表5 「大穴牟遅神(=大己貴命)」を中心とする系図

神名 血縁関係 生年 またの名など
カミムスヒ 義理の父 AD110年 大幡主・奴国王・白族統領
神漏弥命 義理の母 AD110年 元の名イザナミ
アカルヒメ 義理の母 AD130年 磐長姫(いわながひめ)
豊玉彦 義理の兄 AD132年 八咫烏(やたがらす)
大穴牟遅神 本人 AD142年 カミムスヒの入り婿大国主
キサガイヒメ 大穴牟遅神の

最初の妻

AD147年 市杵島姫・スセリヒメ・オキツシマヒメ(宗像三女神の一人)
ウムギヒメ 大穴牟遅神の

二番目の妻

AD153年 豊玉姫・タゴリヒメ(宗像三女神の一人)

注)生年は故百嶋氏の推定

  

  次回は「白(ぺー)族統領神産巣日神こと大幡主」です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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