第百二十六話   「崇峻天皇」(2)

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写真 法隆寺「阿弥陀三尊像」

○百済国から二グループの使節が来朝

○「任那復興」問題

○百済の高官がお土産を携えて俀国に来朝した真の目的

○泊瀬部天皇の暗殺

 

1.百済国から二グループの使節が来朝

崇峻二年(590)

(1)百済国が僧恵聡(えそう)・令斤(れいきん)・恵寔(えしょく)等を遣わし、佛の舎利(お釈

迦様の骨)を奉る。

明らかに外交使節を伴わない民間外交と考えられます。私見ですが、蘇我馬子宿禰が百済に要請して

実現したと推測します。

(2)百済国が恩率首信・徳率蓋文・那率富未身等を遣わして朝貢。併せて佛の舎利、僧聆照律師・令

威・恵衆・恵宿・道厳・令聞等、寺工太良未太・文賈古子、鑪盤博士・将徳白昧淳・瓦博士麻奈・文

奴・陽貴文・昔麻帝彌、畫工白加を奉る。

百済は、十六官の高官を外交使節として三品恩率、四品徳率、六品奈率を派遣しています。

(1)とは対照的で、「律師聆照をはじめとして六人」の僧を派遣し、とくに「律師聆照」は戒律に通

じた僧で、(1)とは明らかに格が違います。

『日本書紀』は、蘇我馬子宿禰が「戒と法」を学んだとありますが、恩率首信に同行して、善信尼等

を百済國へ留学させたとあります。

彼女らは百済国で何を学びに行ったのでしょうか。

おそらく「戒と法」を学びに行ったと考えられます。

(1)は蘇我馬子宿禰による民間外交、(2)は百済国と九州王朝俀国(たいこく)との外交記

事と考えられます。

 

2.「任那復興」問題

四年秋八月(592)「朕、任那を復興したい。」との希望を群臣に諮ります。

群臣は天皇の希望に同意し、

四年冬十一月、

紀男麻呂宿禰(きのおまろのすくね)・巨勢猿臣・大伴噛連(おおとものくいむらじ)・葛城烏奈良

臣(かつらぎのおならおみ)を大将軍に任命し、二万余の軍を率いて筑紫に集結します。

また、吉士金(きしのかね)を新羅に、吉士木蓮子(きしのいたび)を任那に派遣し、任那の実情を

探らせます。

皆さん大将軍の名に気づきませんか。

紀氏は「おまる」、巨勢氏は「さる」、葛城氏は「おなら」と大伴氏を除いて『日本書紀』編纂者は

悪意のこもった「蔑称」を就けています。

崇峻天皇は「任那滅亡後」三十年経過して「任那復興」を何故願ったのでしょうか。

また、二万余の軍勢が渡海せず、筑紫に留まっていた理由は奈辺にあったのでしょうか。

おそらく、威令が届かないほど政治力が零落していたのかもしれません。

 

3.百済の高官がお土産を携えて俀国に来朝した真の目的

百済国高官の外交使節は、何を目的に来朝したのでしょうか。

589年.隋が中国を統一し、朝鮮半島情勢も大きな影響を受けました。

同年、真っ先に隋の冊封を受けたのが百済です。高句麗は590年、新羅は594年で、九州王朝俀国は出

遅れました。

朝鮮半島の情勢は「百済・新羅・高句麗の三すくみ状態で、昨日の友は今日の敵」で、複雑な政治情

勢が続いていました。

とくに百済は、隋に背後の敵高句麗征討の要望を続け、俀国に対しては「任那復興という餌」を名目

に、新羅征討軍の派遣を求めていました。

俀国の対応は、百済国の甘言に乗らず、滅亡した任那諸国の実情を探ることから始め、新羅と旧任那

諸国に残存する勢力に使節を派遣しました。

その結果、「任那復興」は容易ではないことがわかり、百済の要請に対して静観することに決しまし

た。

ところが、「任那復興」を本気で支持する勢力が存在していたのです。

 

4.泊瀬部天皇の暗殺

五年十一月

馬子宿禰、諸臣に泊瀬部天皇暗殺を謀ります。

天皇暗殺後、筑紫に派遣されていた将軍を呼び戻します。

泊瀬部天皇の暗殺理由はお解りでしょう。

いったんは、物部守屋大連討伐軍に加わっていましたが、その後、百済擁護派に取り込まれるなど変

節極まりない行動に危惧を抱いていました。

それを察知した炊屋姫皇后が馬子宿禰を動かしたのでしょう。

暗殺は速やかに実行されたと考えられます。

写真  法隆寺「百済観音像」

出典:伊藤まさ子氏主催「地図を楽しむ古代史の謎」No.224

素材は「楠の一刀彫り」です。以前にも紹介しましたが、朝鮮半島では「楠」の大木が育ちません。

伊藤氏の指摘通り「Made in Japan」です。

「顔」を見てください。痩せていませんか。「痩(そう)」です。

写真  法隆寺「釈迦三尊像」 出典:Wikipedia(2022/07/12 13:45)

法隆寺は、火災に遭っていますが、釈迦三尊像には火災の迹が見られません。故古田武彦氏をはじめ、

同像は他の寺院から再建後の法隆寺に搬入されたと指摘しています。私見も同様です。

釈迦三尊像のお顔も痩せています。

写真  法隆寺「阿弥陀三尊像」 出典:法隆寺公式HP

「お顔」が痩せているのがわかりますね。

 

次回は「推古天皇」(1)です。

 

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