○またの名高木の神・高木神
○高天原と高御産巣日神の関係
○高御産巣日神を祀る神社
- またの名を『古事記』記事から検証してみましょう。
(1)「天の岩屋戸」段
高御産巣日の神
但し、作戦プランを練ったのはタカムスヒの御子思金神です。
(2)「天若日子(あめのわかひこ)」段
高木の神
(3)「出雲の国譲り」段
高木神
以上、アマテラスが登場する八箇所のうち、七箇所にタカミムスヒが登場しています。
同神は、常にアマテラスや思金神の陰に隠れ、その実体がうかがえませんが、太安万侶は実体のない高御産巣日神を「高天原(たかまのはら)の最高権力者」という位置に規定しました。
このトリックをごまかすため、高御産巣日神よりも遙かに上位の白族(ぺーぞく)統領大幡主またの名思金神を高御産巣日神の御子に設定したのです。
流石に『日本書紀』編纂者は、太安万侶による嘘で固めた記述はしませんでした。
- 高天原と高御産巣日神の関係
関係を示すのが「高天彦(たかまひこ)神社」です。
写真 高天彦神社 奈良県御所市北窪 出典:Wikipedia
( 2021/10/17 11:00)
ご祭神:高皇産霊神・市杵嶋姫・菅原道真
本来のご祭神は「高皇産霊神一坐」です。
○「高天原故地碑(たかまのはらこちせきひ)」
韓国慶尚北道高霊郡の「私立伽耶大学校」内にある石碑です。
韓国の歴史学者の一部には「高天原の故地が韓国内にあることは、倭国が韓国(おそらく新羅)の分国である。」との主張を繰り広げました。驚くべき事に日本の歴史学者に賛同者がいます。
同説に対して、韓国の歴史学者から「スサノオの故郷は新羅のソシモリ(現在の春川(ちゅんちょん)市)であり、確かな立論ではない」との指摘もあります。
私見は、私立伽耶大学校は1993年の創立で、同石碑もほぼ同時期に建てられたもので、歴史的な根拠は存在しないと考えます。
故百嶋氏は「日本でお賽銭が集められなくなって、高天彦神社を担いでいた連中が韓国へ移した。」と述べています。
私見は、同石碑や賽銭箱を見ていませんので、どなたか教えてください。
3.高御産巣日神を祀る神社
高樹(たかき)神社 福岡県久留米市御井町
ご祭神:高皇産巣日神
表4 高御産巣日神こと高木大神を中心とする系図
神名 | 血縁関係 | 生年 | またの名など |
高御産巣日神 | 本人 | AD112年 | 高木大神 |
許氏の女 | 最初の妻 | 不明 | |
大日孁貴(おおひるめむち) | 二番目の妻 | AD134年 | 後の卑弥呼、天照大神 |
豊秋津姫 | 長女 | AD139年 | 母許氏の女 またの名速秋津姫(はやあきつひめ)豊玉彦の最初の后 |
栲幡千々姫(たくはたちちひめ) | 次女 | AD139年 | 母大日孁貴、草部吉見(かやべよしみ)後の天之忍穂耳命(あめのおしほみみみのみこと)の最初の后 |
瓊瓊杵尊(ににぎのみこと) | 長男 | AD145年 | 母大日孁貴、本名向山土本毘古王(むこうやまとほひこおう) |
古許牟須姫(こけむすひめ) | 瓊瓊杵尊の御子 | AD173年 | 御年神(みとしかみ)こと拝跪神(はいきのかみ=贈孝安天皇)の后、
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注)生年は故百嶋氏の推定
次回は「神産巣日神(かみむすひのかみ)」です。
写真 高樹(たかき)神社 出典:同社公式ウェブ
古くは「高牟礼権現」と呼ばれ、高良山の地主神
「牟礼(むれ)」は「群れ」を意味します。