写真 夕日に映える大富神社 出典:同社HP
○宮と陵墓
○孝元天皇を祀る神社
1.宮と陵墓
孝元天皇の宮も、その名「根子」が示すように先代孝霊天皇の宮「根子城」である蓋然性が高
いと推測します。
陵墓は偉大な先帝孝霊天皇の陵墓地近くと推定しています。
図 那珂川市市ノ瀬町「不入道」周辺の地図
2.孝元天皇を祀る神社
故百嶋氏の手書きメモによると孝元天皇には「大富神(おおとみのかみ)」「天日腹大科度美神(あめのひばらおおしなとみのかみ)」というまたの名が記されています。
『記』は〔大国主の系譜〕で、オオクニヌシの子八島牟遅神(やしまむちのかみ)の後裔として布忍富鳥鳴海神(ぬのおしとみなるみのかみ)、天日腹大科度美神を記し、天日腹大科度美神は天之狭霧神の娘遠津待根神(とおつまちねのかみ)を娶り、遠津山岬多良斯神(とおつやまざきたらしのかみ)が生まれたとしています。
なぜか八島牟遅神より下、遠津山岬帯神より前、十七世の神と記しています。
〔神々の生成〕ではオオクニヌシを神とする記述はないにもかかわらず、布忍富鳥鳴海・天日腹大科度美神・遠津山岬多良斯神を十七世の神とする記述は矛盾に満ちています。
おそらく多安万侶は、布忍富鳥鳴海神並びに天日腹大科度美神の両神が正統な天皇の後継者であることを熟知していたようです。
(1)聖(ひじり)神を祀る聖神社
大阪府和泉市王子町 「聖神社」 主祭神:聖大神
聖神社は九州王朝東遷第二期に造られた神社と推測されます。
写真 聖神社 出典:大阪府神社庁
(2)大富神(おおとみのかみ)を祀る神社 神社本庁別表神社
福岡県豊前市大字四郷丸山田 大富神社の末社四公神社
ご祭神:大富神
写真 夕日に映える大富神社 出典:同社HP
注)「別表神社」
Wikipediaによると旧の官国弊社や一部の大きな神社については、神職の進退に関して一般神社と同じ扱いをすると不都合があることから「役職員進退に関する規程」において特別な扱いをすることを定めている神社。
富山県下新川郡朝日町の○秘神社
理由は不明ですが「大富神」はその名を徹底的に秘されているようです。
(3)天日腹大科度美神を祀る神社
大森神社 雲南市木次町
写真 大森神社 出典:出雲お社倶楽部
日原神社 雲南市大東町
『出雲國風土記』に記載或神社
ご祭神:大日孁貴尊(おおひるめのみこと)・天之日原大科度美神
日原神社 京都府舞鶴市女布
ご祭神:若晝女神(わかひるめのかみ 孝霊天皇の皇后細姫別名壱璵)・天之日原大科度美神
伝承を忠実に守り、親子を祭祀しています。
孝元天皇は孝霊天皇に従って、出雲~日本海沿岸まで巡幸したことがうかがわれます。
故百嶋氏のメモによれば、「天日腹大科度美神」の“科(しな)”と“度美(とび)に注意喚起され
ています。”科(しな)“はスサノオの娘「辛国息長大姫の息長(しな)」、”度美(とび)“は、ナ
ガスネヒコのまたの名「登美彦の登美(とび)」を暗示しています。
この暗示は開化天皇の皇后息長帯比売(しなたらしひめ)こと神功皇后の出自に繋がっていきま
す。
3.遠津山岬多良斯神とは
母遠津待根神は孝元天皇の妃山下影姫.またの名小立(ひじ)足尼・蘇我姫です。
故百嶋氏の手書きメモによれば、遠津山岬多良斯神とは孝元天皇の皇子大彦命を指し、実弟を
武内宿禰としています。
『紀-景行天皇紀』では、北陸方面に派遣されたのは武内宿禰としていますが、大彦命を祀る神
社は北陸方面、とくに富山県・新潟県に集中しています。
他方、武内宿禰を祀る神社は島根県が最密集地区で、次に続くのが福岡県・福井県です。この
事実から、北陸方面に派遣されたのは大彦命と考えられます。
大彦命は故百嶋氏の手書きメモによれば珍と記されています。
スサノオの嫡子ナガスネヒコやその系譜に連なる建南方の叛によって、スサノオ系の地位や勢
力は徐々に衰えました。スサノオの復権に尽力したのが、瀛津世襲足姫並びに孝霊天皇の皇后壹
與こと細姫達であったと故百嶋氏は述べています。
彼女らの思いは実現し、以下の系譜へと繋がっていきます。
スサノオ→ナガスネヒコこと彦国瀛津→天之狭霧神こと彦太忍信命→屋主忍男武雄心命(孝元
天皇の養子)→大彦命
ところが、故百嶋氏は「大彦命」ではなく「武内宿禰」とも述べています。
どちらが本当か、よくわかりませんが「九州王朝内の側近珍彦」こと武内宿禰であり、九州王朝支
配地拡大路線を担う将軍珍彦」こと大彦命の二人の「珍彦」が存在したのかもしれません。
次回は「開化天皇」です。