第五十三話  「開化天皇」(1)

写真  光の道 宮地嶽神社 出典:宮地嶽神社HP

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『古事記・日本書紀』ともに正統天皇である孝霊・孝元天皇と同様に簡潔な記事に徹しています。

  皆さん、不思議と思いませんか。

何故か、御子の日子坐王の系譜を詳細に記しているのが特徴的です。

○開化天皇即位前の名

○『古事記』が記す開化天皇の皇后及び妃との皇子・皇女

○『日本書紀』が記す開化天皇の皇后及び妃との皇子・皇女

 

1.開化天皇即位前の名

(1)藤大臣(とうのだいじん)とは

藤大臣とは、「干珠・満珠」を借りるための仮の名。

(2)阿倍相丞とは

津屋崎(現福津市津屋崎町)一帯に進出し、宮地嶽神社の大祝(おおほおり)になった時

の名です。同社の宮司は代々「安倍」氏が継いでいたことで知られており、したがって、

「阿倍相丞」は「安倍相丞」が本来の表記と考えられます。

写真 世界遺産「新原(しんばる)・奴山(ぬやま)古墳群」

出典:福津市公式HP

前方後円墳5碁・円墳35碁・方墳1期

写真  光の道 宮地嶽神社 出典:宮地嶽神社HP

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図   福津市津屋崎周辺地図

(3)物部保連とは

高良大社の大祝となった時の名で、同社が物部氏の支配下にあったため「物部」を名乗った

と考えられます。

2.『古事記』が記す開化天皇の皇后及び妃との皇子・皇女

(1)丹波の大県主由碁理(ゆごり)の娘、竹野比売(たかのひめ)との間に比古由牟須美命

(ひこゆむすびのみこと)の一柱。

○竹野比売を祀る神社。

竹野(たかの)神社 京都府京丹後市丹後町

ご祭神:竹野媛・建豊波豆羅和気命(一説には、彦湯産隅命)日子坐王命(ひこますおう

のみこと)

写真   竹野神社  出典:京丹後観光会社公式HP

周囲は「女神」を祀る神社が目白押しです。

『和名抄』に丹後国竹野郷がみられ、竹野郡も最近まで地名として遺存しており、竹野比売も丹

後国竹野郷にゆかりのある人物であることは確実で、また日子坐王が旦波国(古代の旦波国は但

馬・丹波・丹後にかけての広大な領域であった)の首長玖賀耳之御笠(くがみみのみかさ)を征伐

したとの記事が『紀-崇神紀』にあり、竹野比売は開化天皇の妃ではなく、日子坐王の妃であった

蓋然性が高く、比古由牟須美命は日子坐王と竹野比売との王子であったと推測されます。

(2)庶母伊迦賀色許売命(いかがしこめのみこと)との間に御真木入日子印恵命(みまきにゅうひ

こいにゑのみこと)・御真津比売命(みまつひめのみこと)の二柱。

庶母とは、白水社の『中国語辞典』によると、嫡出子が父の妾を云う場合の母とあります。

『古事記・日本書紀』共に伊迦賀色許売命を孝元天皇の妃と記述しています。よほど余裕がないので

しょう。

「神々の系図-平成12年考」によると、御真城入日子命またの名をツヌガガアラシトは贈崇神天皇

と同一人物で、父大山咋、母は鴨玉依姫であることは前述しました。

したがって、同記事は崇神天皇を開化天皇の御子として紛れ込ませることを目的にしていたと考え

られます。

(3)丸邇臣の祖日子国意祁都命(ひこくにおけつのみこと)の妹意祁都比売命(おけつひめのみこ

と)との間に日子坐王の一柱。

日子国意祁都命はナガスネヒコのまたの名であることは前述しました。

したがって、妹意祁都比売命は武内足尼(たけうちのすくに)こと瀛津世襲足姫(おきつよ

そたらいしめ)で、夫は天之御影神(あめのみかげのかみ)こと天忍穂耳命(あめのおしほみ

みのみこと)です。

(4)葛城の垂見宿禰(たるみすくね)の娘鵰比売(わしひめ)との間に建豊波豆羅和気王(たけと

よはずらわけおう)一柱。

建豊波豆羅和気王は、後述する息長宿禰王の王子と重複しています。

3.『日本書紀』が記す開化天皇の皇后及び妃との皇子・皇女

(1)妃丹波竹野媛を娶り、彦湯産隅命(ひこゆむすみのみこと)の一柱。

(2)伊香色謎命を皇后とし、生まれたのが御間木入彦五十瓊殖(みまきにゅうひこいにゑのみこ

と)天皇の一柱。

(3)和珥臣の遠祖姥津命(おけつのみこと)の妹姥津姫(おけつひ め)を娶り、彦坐王(ひ

こますおう)の一柱。

『古事記』と同様に嘘で固めた系譜です。

 

次回は「開化天皇」(2)です。

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