第五十四話 「開化天皇」(2)

写真 網野銚子山古墳遠景  出典:京丹後市HP

国指定文化財(史跡)

○日子坐王の系譜

○山代の大筒木の真若王の系譜

○迦邇米雷王(かにめづちおう)の系譜

○息長宿禰王の系譜

 

1.日子坐王の系譜

(1)古事記

①山代の荏名津比売(えなつひめ)、またの名刈幡戸弁(かりはたとべ)を娶り、大俣王・小

俣王・志夫美宿禰王(しぶみすくねおう)の三柱。

刈幡戸弁の「戸弁(とべ)」は女性首長(酋長)を意味することは前述しました。

上記三柱を祀る神社

佐波加刀(さわかと)神社滋賀県長浜市木之本町川合

ご祭神:日子坐王・大俣王・小俣王・志夫美宿禰王・沙本毘古王(さほひこおう)・袁耶

本王(をざほのおう)・佐波遅(さは じ)比売王・室毘古王

ここで注目するのは「沙本毘古王」です。

写真  佐波加刀神社 出典:滋賀県神社庁

また志夫美宿禰王は京都府京丹後市丹後町の「志布比神社」にも祀られています。この三柱は

父日子坐王が支配した「旦波国」で活動したと推測されます。

不審な点は三男の志夫美宿禰王の「宿禰」にあります。

後に太安万侶による「トリック・スター」として登場します。

天皇の側近として従事する庶子や外戚(皇后の実家)に与えられていた「宿禰」の「姓」を持

つ理由が不明です。

②春日の建国勝戸売(たけくにかつとめ)の娘沙本の大闇見戸売(おおくらみとめ)を娶り、沙本毗

 古王(さほひこおう)・袁耶王(をざほのおう)・沙本毗売命(さほひめのみこと)またの名を佐

波遅比売・室毗古王の四柱。このうち沙本毗売命は後に仁天皇の皇后になります。

春日は、現佐賀市大和町大字尼寺に存在する「春日校区」で、「沙本」は藩政時代以前に存在し

た佐嘉郡佐保川嶋郷と考えられます。現在の嘉瀬川は「佐保川」と呼ばれていた可能性がうかが

え、春日の建国勝戸売は、春日の地を開発した女性首長で、後継者は沙本毗売命と考えられます。

したがって、沙本毗古王以下の弟妹は旧肥前国佐嘉郡で育ったと考えられます。

沙本毗古王は袁耶王(をざほおう)と共に「佐波加刀神社」で祀られていることから、父彦坐王

の支配地である「旦波国」で活動していたと考えられます。沙本毗売命は後述します。

③近つ淡海の御上の祝職の天御影神(あめのみかげのかみ)の娘、息長(しな)の水依比売(みずよ

りひめ)を娶り、丹波の比古多多須美知能宇師王(ひこたたすみちのうしおう)・水穂(みずほ)

の真若王(まわかおう)・神大根王(かむおおねおう)またの名八瓜の入日子王(やつりのにゅう

ひこおう)・水穂の五百依比売(いほよりひめ)・御井津比売の五柱。

天御影神は天忍穂耳命であることは前述しました。「神々の系図-平成12年考」によると、息長

水依姫(しなみずよりひめ)は父天忍穂耳命、母志那津姫こと天細女命との王女で、贈孝安天皇こ

と御年神の姉にあたります。息長水依姫と天足彦こと日子坐王の間に生まれたのが、丹波道主命

(たんばみちぬしのみこと=比古多多須美知能宇斯王)と師長姫(息長姫とも表記)の二柱として

います。

「神々の体系-平成12年考」によると天足彦(あめのたらしひこ)こと彦坐王の後継者はヤマト

タケルとあり、丹波道主命=ヤマトタケルと考えられます。

宝賀寿男氏は『越と出雲の夜明け-法令出版132p~133p』に、「但島国造系図では、但馬国造

は丹波道主命の直系ではなく、その兄弟とされる大筒木真若王(おおつつきまわかおう)の流れで

あって、神功皇后の兄弟大多牟坂王(おおたむさかおう)の後裔とされる。(中略)丹波道主族が

丹波・丹後・但馬・因幡の山陰道方面に分布・敷衍したが、これは開化天皇の子と記紀に記される

彦坐王が丹波道を押さえ、その子の丹波道主命がそれを承けて発展したことに因る。それにもかか

わらず、肝心の中心地域である「丹波」において、丹波国造家の丹波道主命の子孫の系統を伝えな

い。その事情が不明であって、釈然としない。」と記しています。

宝賀氏の二つの疑念は、

一.彦坐王の後継者と目される丹波道主命の子孫が丹波国造家の系譜から欠落し、代わって大筒木

真若王の子孫が丹波国造家の系譜に繋がっている点にあります。

二.「丹波道主命とその子孫」にあり、彼らが「丹波国」から姿を消した理由が釈然としない点に

あります。

彼らは姿を消したのではなく、元々「丹波国(旦波国)」 には住んでいなかったとしか考えら

れません。父の天足彦こと日子坐王は孝霊天皇の命を承けて丹波国へ進出しましたが、子供たちは

九州で育ち、その中の一人道主命は青年期の名をヤマトタケルと呼ばれていたと推測します。

  • 母の妹袁祁都比売命(おけつひめのみこと)を娶り、山代の大筒木の真若王(おおつつきのまわかおう)・比古意須王(ひこすおう)・伊理泥王(いりねのおう)の三柱。

「神々の系図-平成12年考」によれば、袁祁都比売命はスサノオと櫛稲田姫との間に生まれた王

女瀛津世襲足姫こと武内足尼と同一人物です。兄ナガスネヒコは豊玉彦の世話で山代に入り、名

を山代大筒木真若王に名を改めたとあります。

(3)彦坐王とは

彦坐王は山代・春日(大和北部)・近江の三上(琵琶湖東岸)・丹波の首長の娘と婚姻し、

多くの御子が誕生しました。『日本文学の歴史1 神と神を祭る者」所収の故角川源義氏の論

考「まぼろしの豪族和邇氏」で二つの和邇系譜を伝えていると指摘し、①帝王の日嗣に生じた

「和邇A系譜」と②人臣に降って、多くの同族・氏族を展開した「和邇B系譜」を挙げ、このう

ち前者が「日子坐王」の子孫の系譜であり、後者が孝昭天皇の後裔とする和邇氏十六氏に系譜

であると指摘しています。同氏は天忍穂耳命が「贈孝昭天皇」と同一人物であるとの推論に達

していたのではないかと推測しています。

日子坐王の母武内足尼が忠臣であったことは前述しました。日子坐王も母と同じく九州王朝

の忠臣として活動したことは容易に想像がつきます。

孝霊天皇による「旦波国」平定に従軍し、その成果を大いに挙げたと考えられます。

竹野(たかの)神社は巨大な前方後円墳(墳丘長190m)の神明山古墳と隣り合っている古社

で、摂社の斎宮神社に日子坐王が祀られています。同古墳が築造された当時は潟湖(竹野潟)が

付近に存在し、さらに京丹後市網野町の網野神社も同じく日子坐王が祀られ、直ぐ近くには日本

海側で最大の前方後円墳の網野銚子山古墳(墳丘長198m)があります。

写真 網野銚子山古墳遠景  出典:京丹後市HP

国指定文化財(史跡)

両古墳は日本海を見下ろす丘の上に築かれ、直ぐ近くには潟湖が存在していました。

両古墳の築造時期はいずれも古墳時代中期の4世紀末から5世紀初めとされています。両古墳

には共通して付近に古代の潟港があったとされ、これらの良港は日本海交易の拠点でした。

おそらく両古墳の被葬者は、日子坐王の系譜に連なり、同地が古代旦波国の本拠であった蓋

然性が高いと思われます。

写真  大宮賣(おおみやめ)神社 京丹後市大宮町

ご祭神:大宮賣命(=豊玉姫)

写真  網野神社  京丹後市網野町網野

ご祭神:浦島伝説ゆかりの水江浦嶋子神・日子坐王

 

写真  静神社  京丹後市網野町磯

ご祭神:丹後七姫の一人、静御前

以上三社の出典:京丹後観光港会社公式HP

日子坐王の後裔とされる王の分布地域は伊勢から東海方面、山代・近江から北陸方面、播磨・

備後方面は、いずれも和邇氏族の分布にほぼ対応し、特に顕著な分布地域は山代・近江・北陸方

面が指摘できます。

これらの事実から、日子坐王後裔十七王と和邇(丸邇とも表記)氏十六氏族との間には補完的

な関係が成立していた可能性が見出され、主が日子坐王後裔十七王、補が和邇氏十六氏族であっ

たと考えられます。

写真  竹野神社  出典:京丹後市観光会社公式HP

図  竹野神社周辺の地図

(4)彦座王系譜のまとめ

表 日子坐王の妃と御子達

妃名 御子名
①息長水依姫 丹波道主王・息長姫(ウマシマジ命の妃)・
⓶大闇見戸売 沙本毗古王・袁耶王・沙本毗売命(贈垂仁天皇妃)
③刈幡戸弁 大俣王・小俣王・志夫美宿禰王?
④竹野姫 彦湯産隅命・建豊波豆羅和気命

*〇数字は、結婚した順を表す。

2.山代の大筒木の真若王の系譜

(1)『古事記』

①同母弟伊理泥王(いりねのおう)の娘、丹波の阿治佐波毗売(あじさわひめ)を娶り、生まれ

たのが迦邇米雷王(かにめづちおう)。

(2)『日本書紀』

記述はありません。

(3)故百嶋氏説

故百嶋氏は講演会で、「山代の大筒木の真若王は豊玉彦が支配する山代国で保護したナガ

スネヒコのまたの名」と述べています。

3.迦邇米雷王(かにめづちおう)の系譜

(1)『古事記』

①丹波の遠津臣の娘高材比売(たかきひめ)を娶り、生まれたのが息長宿禰王。

(2)『日本書紀』

記述はありません。

(3)故百嶋氏説

故百嶋氏は「迦邇米雷王こと若筒木真若王の父はナガスネヒコこと山代大筒木真若王、母

は八坂刀売姫」と述べています。

4.息長宿禰王の系譜

(1)『古事記』

①葛城の高額比売(たかぬかひめ)を娶り、生まれたのが息長帯比売命(しなたらしひめのみこ

と)、虚空津比売命(そらみつひめのみこと)・息長日子王(しなひこおう)の三柱。

②河俣の稻依比売を娶り、生まれたのが建豊波豆羅和気王・大多牟坂王の二柱。

大阪市住吉区庭井にある「大依羅神社」の主祭神は建豊波豆羅和気王(たけとよはずらわけ

おう)で、摂津国で活動していたようです。

(2)『日本書紀』

記述はありません。

(3)故百嶋氏説

故百嶋氏は講演会で、「息長宿禰王は迦邇米雷王の弟で、母は奈留多姫改め八坂刀売」と述

べています。

また「虚空津比売命は安曇磯良の妃豊姫(ゆたひめ)」と述べています。虚空津比売命が息

長帯比売命こと後の神功皇后の妹とした理由は神功皇后の項で説明します。

息長日子王の消息は不明です。

したがって、本来の系譜は以下のとおりです。

関係 名前 生年
ナガスネヒコこと山代大筒木真若王 AD174年
春日姫こと八坂刀売姫 AD184年
本人 迦邇米雷王こと若筒木真若王 AD198年
迦邇米雷王の弟息長宿禰王 AD200年

生年は故百嶋氏の推定

次回は「崇神天皇」です。

 

 

 

 

 

 

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