第二十九話 「木の花佐久夜毗売」(2)

写真  日本一を誇る日本遺産「西都原(さいとばる)古墳群」全景   西都市大字三宅

出典:西都市観光協会

写真   西都原古背景に背景にコスモス300万本  出典:西都市観光協会

○木の花佐久夜毗売の御子

木の花佐久夜毗売のその後

  1.木の花佐久夜毗売の御子

    『古事記』記事

「既にニニギノミコトの御子を身ごもっていた木の花佐久夜毗売 は、八尋殿(やひろでん)

を作り、その殿内に入って、粘った土で塞ぎ、産むときに当たっては、殿内に火をつけてお産みに

なりました。その火の盛んな時に生まれた子の御名は火照命(ほでりのみこと)。隼人阿多

(はやとあた)の君(きみ)の祖であります。次に生まれた子の名は火須勢理命(ほすせりの

みこと)で、最後に生まれた子の御名は火遠理命(ほおりのみこと)、またの名を天津日高日

子穂穂出見命(あまつひだかひこほほでみのみこと)の三柱」

    同神話は明らかに「山幸彦・海幸彦」説話をモチーフとしています。

海神の娘豊玉姫が木の花佐久夜毗売にすり代えられています。

火遠理命(ほおりのみこと)のみにまたの名天日高日子穂々出見命が見られます。当然、この

記述は意味が込められています。

同様の神話が『高良玉垂神秘書紙背(こうらたまたれじんぴしょしはい)』にあります。

『高良玉垂神秘書』第一条

「(前略)天照大神の御子、四人おわします。三人は、天照大神よ り四代まで継ぎ給う。正哉吾

勝々速日天忍穂耳尊、その御弟は天津彦々火瓊瓊杵尊、その御弟は彦火々出見尊、その御弟は

ソソリノ尊と申し奉る。この彦ソソリノ尊は神代を継ぎ給わざる故に海の遠くへ参らせ給うな

り。」

天照大神の後継者を第二代天忍穂耳尊、第三代ニニギノミコト、第四代彦火々出見尊とする系

譜です。

“ブログ神社見聞牒”を主催する宮原誠一氏は、

「天照大神ことヒミコの後継者でなく、ヒミコとして即位する前の大日孁貴(おおひるめむ

ち)時代の御子を同書が記述しているのではないか。」と指摘しています。

私見も同様です。

以上の神話から、火遠理命こと彦火々出見命は皇位を継いでいるはずですが、『古事記』は思

わせぶりな記述はあるものの、皇位を継いだとする確かな記述はありません。

したがって、以上の神話を素直に受け入れることはできません。

表 彦火々出見命に関係する神々の生年

神名 血縁関係 生年 またの名など
大日孁貴 彦火々出見命の母 AD112年 ヒミコ・天照大神
塩椎の翁 彦火々出見命の父 AD110年 大幡主
天忍穂耳命 無し AD138年 火照命・海幸彦
彦火々出見命 本人 AD140年 火遠理命・山幸彦
ニニギノミコト 大日孁貴の末っ子 AD145年 父高木大神
海神豊玉彦 彦火々出見命の義父 AD132年 八咫烏・小若子命など
豊玉姫 彦火々出見命の妃 AD153年 若狭姫・高礒姫
コノハナサクヤ姫 無し AD150年 父大山祇命母埴安姫

生年は故百嶋氏の推定

2.木の花佐久夜毗売のその後

故百嶋氏は、「ニニギノミコトと木花佐久夜毗売は一年足らずで別れた」と述べています。

「神々の系図-平成12年考」に御子「古許牟須姫(こけむすひめ)」が記されています。

ニニギノミコトと別れた後、糸島半島西部志摩地区で古許牟須姫を出産したのでしょう。

その痕跡を示すのが、糸島市船越桜谷の若宮神社です。

ご祭神:木花咲耶姫神・苔牟須比賣神

写真  「若宮神社」   出典:宮原誠一氏”ブログ神社見聞牒No.150”

図  若宮神社周辺の地図  出典:宮原誠一氏“ブログ神社見聞牒No.150 ”

コノハナサクヤ姫はその後、糸島市船越から父大山祇命一族の支配地西都原(さいとばる)地

区へ移動しました。

その痕跡を示すのが、宮崎県西都市大字妻の都萬(つま)神社です。(日向国二之宮)

ご祭神:木花開耶姫命

境内摂社 大山祇神社 ご祭神:木花開耶姫命の父大山祇命

図 西都原(さいとばる)古墳群周辺の地図

注)西都原古墳群

高塚墓が319基現存。内訳は前方後円墳31基、方墳2基、円墳286基など。男狭穂塚古墳は、日

本最大の帆立貝式前方後円墳。

西都原地区へ移動後、しばらくして霧島市溝辺町に移動。その痕跡を示すのが同市溝辺町三縄

の「前玉(さきたま)神社」です。

ご祭神:福玉(さきたま)大明神

その後、安住の地を求め、豊玉彦を追って駿河国を経由して関東へ移動しました。

駿河国では、静岡県富士宮市宮町の「富士山本宮浅間大社」の主祭神として祀られています。配

祀神にニニギノミコトが祀られていますが、後に合祀されたようです。

埼玉県行田市大字埼玉 「前玉神社」 埼玉県名発祥の地

ご祭神:前玉彦命(さきたまひこのみこと)・前玉比売命

同神社は埼玉古墳群内にあり、神社自体も浅間塚古墳の上に鎮座しています。

写真 前玉神社  出典:同社HP

写真 毎年5月4日開催の「さきたま火祭り」 出典:オマツリジャパン

写真  「さきたま古墳公園マップ」 出典:埼玉県立さきたま史跡の博物館HP

私も東京勤務時代、従兄弟と一緒に見学しました。  

 

注)稲荷山古墳 「金象嵌鉄剣」115文字

同古墳の被葬者について「雄略天皇」説が囁かれていますが、私見は「武蔵国王白族豊玉

彦の末裔」と推測しています。

次回は「鵜葦草葦不合命」です。

 

 

 

 

 

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