写真 高祖神社奉納神楽「高祖神楽」 出典:糸島市観光協会「いこいこ糸島」
「高祖神楽」の由来は、応仁元年(1467)、当時の高祖城主(原田筑前守種親)が京都に赴いたときに習得した「京の能神楽」を郷土に伝えたものとされています。
○天孫降臨地
○天孫降臨地の疑問
○「天孫降臨」の主人公
○ニニギノミコトに従う神々
○ニニギノミコトの父親は誰か
1.天孫降臨地
天孫降臨地について諸説ありますが、最も影響を受けた故古田武彦氏の説に沿って、話を進めたいと思います。
『古事記』
「此地は韓国に向かひ笠沙の御前にま来通りて、朝日の直刺す国、夕日の日照る国なり。かれ、此地いと吉き地。」とあり、天孫降臨地は九州北部沿岸地域が推測され、加えて「笠のように盛り上がった砂地の海岸線(「笠沙」の語源)」を見下ろす久士布流多気(現在の高祖山、『日本書紀』が記す槵
触之峯)山頂付近からの描写と推測されます。
図 福岡県糸島市高祖山周辺地図
2.天孫降臨地の疑問
故古田武彦氏の説は「文献主義」に基づき、故百嶋氏の説は「フイールドワークに基づく実証主義」といえます。
私は四年前、北部九州を中心に3ヶ月の調査旅行を敢行しました、ブログ“ひぼろぎ逍遥”を主宰する古川清久氏、フイールドワークに特化した中島茂氏、地図に特化した伊藤まさ子氏、当時久留米大学大学院比較文化研究科科長の大矢野栄次氏等のアドバイスを受け、神社・古墳を中心に調査活動を続けました。
故古田武彦氏が指摘する「高祖山周辺」には、ニニギノミコトを奉祭する著名神社が存在しないことに驚きました。
僅かな痕跡を遺すのが、糸島市瀬戸の「天降神社」です。
ご祭神:瓊々杵尊・誉田別尊・息長足姫尊
同社の由緒によると「第百六代後奈良天皇、天文十五年(1546)、大旦那大蔵朝臣原田弾正少弼隆種による造営」とあり、古代からニニギノミコトを奉祭する神社とは考えられません。
当地で、最も由緒のある「高祖(たかす)神社 糸島市高祖」のご祭神は、彦火々出見命・高礒比咩神(たかぎひめかみ)の二坐です。
彦火々出見命の別名は天火明命、高礒比咩神は豊玉姫の別名です。そして、同社の神紋は
「木瓜紋」です。
したがって、二人の関係は主人は豊玉姫、家臣が彦火々出見命となります。
ここから導き出される仮説は「ニニギノミコトの天孫降臨地とは本来、彦火々出見命と豊玉姫の結婚した地」ではないでしょうか。
そして、二人は当地から対馬の和多都美神社へ新婚旅行に出かけたと推測します。
写真 高祖(たかす)神社(通称高祖宮)糸島市高祖 出同社同社HP
図 「木瓜紋」
3.「天孫降臨」の主人公
『古事記・日本書紀』ともに「天孫降臨」の主人公であるはずのアマテラスの長子天火明命(あめのほあかりのみこと)について全く言及していません。
理由は判然としませんが、書かない方が無難、すなわち「ボロを出さない。」ための配慮と推測します。
主人公を天孫ニニギノミコトとした理由について藤原氏への忖度、政治的背景があったと指摘する意見もあります。
4.ニニギノミコトに従う神々
(1)随伴神
高天原から葦原水穂の国まで天宇受賣神(あめのうずめのかみ)葦原水穂の国内は猿田毘古神(さるたひこのかみ)
百嶋神社考古学では両神は夫婦神です。
(2)随神
なぜか、五部族の神々の役割については記されていません。
・天兒屋根命・・・阿蘇族多氏元統領 またの名天忍穂耳命
・布刀玉命・・・・白族(ぺーぞく)統領豊玉彦
・天宇受賣命・・・昔氏統領スサノオの娘 またの名豊宇気姫・ 猨女(さるめ)
・伊斯許理度賣命(いしごりどめのみこと)・・瀛氏統領金山彦と推定
・玉祖命(たまおやのみこと)・・・・・豊玉彦の父大幡主
以上の五部族の神々に加えて三神
・常世思金神(とこよおもいかねのかみ)・・・白族統領大幡主
・手力男神(たじからおのかみ)・・・・昔氏統領スサノオ
・天岩門別神(あめのいわとわけのかみ)・・・・白族統領豊玉彦
朝鮮半島からの渡来神「大伽耶国王許氏高木大神」を漏らす理由が何となく理解できます。
4.ニニギノミコトの父親は誰か
故百嶋氏は「ニニギノミコトの父親は高木大神、母親は大日孁貴(おおひるめむち)後の卑彌呼」と述べています。
また、ニニギノミコトの通称名を「向山土番比古(むこうやまとほひこ)」と述べています。
「向山土」は「山土(=倭)の向かい側、即ち朝鮮半島」を指し、「番比古は(大伽耶国)の大将」という意味と推測します。
太安万侶は『古事記-序章第一段』で「ニニギノミコトの名を番仁岐命(ほのににぎのみこと)」と記述し、少しトリックの「種明かし」をしています。
次回は「木の花佐久夜毗売」(1)です。