第十七話 伊弉諾尊が倭国王になれなかった理由

写真  熊野速玉大社摂社神倉神社「御燈祭」  出典:同社HP

「人生蘇りの熊野速玉大社」

写真 熊野那智大社 出典:同社HP

    社殿および境内地は、ユネスコ世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の構成資産の一部とな

っています。

 

○伊弉諾尊は「倭国の統治」を委ねられた

○伊弉諾尊に反対する勢力

○この反対勢力がもたらした効果

○伊弉冉尊のその後

 1.伊弉諾尊は「倭国の統治」を委ねられた

    故百嶋氏は「初代神武天皇の姉大日孁貴(おおひるめむち)から、倭国の統治」を委ね

たと述べています。

2.伊弉諾尊に反対する勢力

「ブログ神社見聞牒」を主催する宮原誠一氏は“イザナギを迎え入れること”に反対する勢力と

して第一次九州王朝親衛隊長金山彦がその先頭に立ち、大日孁貴の計画とイザナギの野望を妨害

した。」と記しています。

その理由を『延喜式』「六月晦日大祓の祝詞」に求めています。

同祝詞に登場する神々

瀬織津比売神・・・・金山彦の娘

速開都比売神・・・・またの名豊秋津姫 高木大神の娘

息吹戸主・・・・・・金山彦

速佐須良比売神・・・またの名鴨玉依姫 瀬織津比売の娘で金山彦の孫

以上の神々がイザナギに「禊ぎ」を強要した勢力と考えられます。

3.この反対勢力がもたらした効果

(1)イザナギの妻イザナミ(金山彦の妹)はイザナギと別れることになりました。

(2)イザナギの野望は潰えました。

4.イザナミのその後

イザナギと別れることになったイザナミは、白族統領大幡主の后に迎えられ、紀ノ國(現在の

和歌山県)へ移動後は、名を熊野夫須美に改めました。

伊弉冉尊を祀る神社は

・熊野速玉大社 和歌山県新宮市新宮

第一段 熊野夫須美大神(くまのふすびのかみ=伊弉冉尊)

第二段 熊野速玉大神(くまのはやたまおおかみ=大幡主)

第三段 家都美子大神(けつみこのおおかみ またの名(阿 加流姫、大幡主の姉)・国常立

尊(=大幡主)

・熊野那智大社 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山

ご祭神:熊野夫須美神

写真  熊野速玉大社摂社神倉神社「御燈祭」  出典:同社HP

「人生蘇りの熊野速玉大社」

写真 熊野那智大社 出典:同社HP

    社殿および境内地は、ユネスコ世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の構成資産の一部とな

っています。

 次回は「アマテラスは皇親か」です。

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