第二十六話 「大神神(おおとしのかみ)」

イメージ 「豊作満作を約束するおめでたい来訪神」 出典:日本の神社「日本の神々辞典」

イメージ 「年徳神・お正月様・恵方神と様々な呼び名を持つ」

出典:日本の神社「仙台東照宮」

写真  岐阜県高山市國府町木曽垣内 「阿多由太神社」本殿

日本遺産構成文化財  出典:飛騨高山こくふ観光協会HP

ご祭神:大歳御祖神・大物主神

1.大年神とは

大年神は、『古事記』「日本書紀」に別の名前で登場しています。

(1)“天の安河の誓約”で取り替えられた五柱神の第一柱。

正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(まさかあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)

(2)“山幸彦・海幸彦”説話の「海幸彦」

(3)“出雲国譲り”に登場する「天之忍穂耳命」

写真 青木繁画ポスター「わだつみのいろこ(魚鱗)の宮」

出典:文化庁広報誌 ぶんかる

      当時、無名だった青木繁は「背の高い女性を描いた」ことで注目されます。

残念ながら、この絵の主人公は「海幸彦ではなく山幸彦」です。

2.大年神を祀る神社

   同神を祀る神社は「平成祭データ」で検索すると全国に734社あり、最周密地域は兵庫県で448

社です。ちなみに広島県108社、島根県55社、山口県38社、大分県18社、福岡県13社で、殆どが

山陰道・山陽道に分布し、東日本では殆ど見られません。

同神を祀る神社の由来は、神亀年間(724~729)に伊勢の伊雑宮(いざわのみや)から勧請

されたとする神社が多いようです。

伊雑宮は皇大神宮(伊勢神宮の内宮)別宮として本宮に次ぐ格式の高い神社で、現在はアマテ

ラスを祀っていますが、『皇大神宮儀式帳』によれば、伊雑宮の元宮地「粟島坐伊射波(あわし

まにますいざなみ)神社二坐」とあり、祭神は二坐であったことが知られています。

「粟島」は現在の答志島で、同島には伊雑宮所管社とされる佐美長(さみなが)神社があり、

同社の主祭神は「大歳神」で合祀神は「伊佐波登美命(いざなみとみのみこと)」とあり、この

二坐の神とは「大歳神と伊佐波登美命」であることが確認できます。

また、同社では大歳神が「日の神」として祀られています。

注)伊佐波登美命

スサノオの娘瀛津世襲足姫(おきつよそたらしひめ)で大年神の妃と推測します。

同神のご神格を探求すると、全国で734社ある大年・大歳神社が大歳神を祀る理由は、正月に

やってくる「来訪神」、「年」は稲の実りことで「穀物神」、年神は家を守ってくれる祖先の

霊、すなわち「祖霊」とされています。

柳田国男は、一年を守護する神、農作を守護する田の神、家を守護する祖霊の三つを一つの神

として信仰した素朴な民間信仰が年神としています。

このように信仰された神ですが、不思議なことに『出雲国風土記』に全く記述がありません。

出雲国内では、現在の出雲市内の阿佐利神社・神代神社・久奈子神社・國村神社・八野神社に祀

られているものの、主祭神としてではなく合祀神・相殿神・配祀神として祀られています。

ところが、古代の石見国の中央部(「石央(せきおう)」と呼ばれています)の江津・浜田市

の大年神を祀る神社は、いずれも大年神を主祭神として祀っています。これらの事実から、大年

神は出雲を支配する王ではなかったと考えられます。

3.大年神の経歴

父は阿蘇族「多氏(おおし)」の統領神沼河耳命(かみぬまかわみみのみこと)。母は不明

です。

神沼河耳命は“思わぬ大騒動”により「神武使神と呼ばれた座」から滑り落ち、「多氏」の統

領を継いだのが大年神こと草部吉見(かやべよしみ)でした。

○「思わぬ大騒動」とは

初代神武天皇が皇后吾平津姫(あいらつひめ)を忠臣の神沼河耳命に下げ渡したことから

大騒動が始まりました。

・神沼河耳命の正妻、スサノオの姉神俣姫は追い出されます。

・これに怒ったスサノオは神沼河耳命討伐行動にでます。

・神沼河耳命はスサノオに敗れ、九州王朝から追放されました。

・戦いに勝利したスサノオの行動は、ある意味では九州王朝に対する挑戦で、スサノオは九

州王朝と不穏な関係になります。

故百嶋氏はこの騒動の経緯を“神武天皇の政治的しくじり”と述べています。

○青年期を迎えた草部吉見

阿蘇族「多氏」を実質支配下に置いていた高木大神は娘の𣑥幡千々姫(たくはたちぢひめ)

を草部吉見の正妻として送り込みました。

.    理由は不明ですが、高木大神との関係は良好ではなかったようです。

これに目をつけたスサノオは姉神俣姫の嫡男でもある草部吉見を自らが支配する「投馬国

(現在の福岡県直方・飯塚・田川・嘉麻市、嘉穂郡周辺を含む地域)」長官に抜擢し、通称「弥々

(みみ)」と呼ばれました。

スサノオは草部吉見の政治・軍事能力を評価し、弟たちが統治する朝鮮半島にある「斯羅

国」との中継基地である対馬・壱岐に転出させました。

その後、娘の市杵島姫またの名スセリ姫、瀛津世襲足姫(おきつよそたらしひめ)、辛國息

長大姫(からくにしなおおひめ)またの名志那津姫・天細女(あめのうずめ)の三人を順次、草

部吉見の正妻に据えました。

草部吉見は九州王朝でも出世し、名を天之忍穂耳命に改め、神武天皇治世に出来した反乱を尽

く調停し、出世街道を加速していきました。

『古事記』・『日本書紀』は藤原氏の祖を「天之忍穂耳命」とし、終には正統天皇ではありませ

んが「贈孝昭天皇」の名を贈りました。

もうお解りでしょう。「大年神こと天之忍穂耳命が最大のトリックスターであり、辻褄合わせ

の大スター」です。

表15 大年神を中心とする系譜

神名 血縁関係 生年 またの名など
神八井耳命 AD115年 元阿蘇族多氏統領
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大年神 本人 AD138年 またの名草部吉見・天児屋根命・天忍穂耳命・志那津彦・安日彦・海幸彦 贈孝昭天皇
建盤龍命 異腹弟 AD144年 母金山彦の娘アイラツ姫後の名蒲池姫 またの名手研耳命
拷幡千々姫 第一妃 AD139年 父高木大神
天豊津姫命 御子 AD153年 父草部吉見
興津彦 御子 AD158年 またの名天忍日
市杵島姫 第二妃 AD147年 またの名須勢理姫・瀛津島姫
大山咋命 御子 AD162年 熊甲安羅鍛冶彦・速瓶玉命・大直(おおなお)日(ひ)神
辛国息長大姫 第三妃 AD154年 天細女・志那津姫・豊宇気姫
御年神 御子 AD172年 またの名拝跪神、贈孝安天皇
瀛津世襲足姫 第四妃 AD152年 武内足尼
天足彦 御子 AD167年 彦坐王
建南方 御子 AD174年 山代大筒城真若王

注)生年は故百嶋氏の推定

 

次回は「ニニギノミコトの天孫降臨」です。

 

 

 

 

 

 

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