写真 「由布岳」 標高1584㍍ 別名「豊後富士」
○豊玉彦の六人の妃
○豊玉彦の移動経路
○豊玉彦の御子
○忌部五部神
1.豊玉彦の六人の妃
(1)高木大神の娘萬幡豊秋津姫(よろずはたとよあきつひめ)またの名宇奈岐姫
宇奈岐日女姫を祀る「宇奈岐日女神社」 大分県由布市湯布院町川上
ご祭神:国常立尊・国狭土尊ほか四神とありますが、当初の祭神は『六国史』に見られるよ
うに「宇奈岐日女一坐」と考えます
農業の神・水神様として親しまれ、湯布院の守護神として崇敬されています。
写真 「宇奈岐日女(うなぎひめ)神社」 出典:由布市HP
ご神木の[切り株」の大きさに驚きますよ。
(2)月讀命(つきよみのみこと)こと大山祇神(おおやまづみのかみ)の娘神大市姫(かみおちひ
め)またの名罔象女(みずはのめ)
豊玉彦は、スサノオの元を逃げ出した罔象女またの名神大市姫を匿った後、妃に迎え入れま
した。
写真 丹生川上(にゅうかわかみ)神社 奈良県吉野郡東吉野村大字小 出典:Wikipedia (2021/10/17 23:00)
本殿:罔象女神別名淤加美神 東殿:八意思兼命 西殿:綿津見神ほか。
(3)スサノオと姉アカル姫との御子市杵島姫(いちきしまひめ)またの名瀛津島姫(おきつしまひ
め)
(4)天之忍穂耳命と𣑥幡千々姫(たくはたちちひめ)の娘天豊津姫(あめのとよつひめ)またの
名阿蘇津姫。
天豊津姫は懿徳天皇の皇后でしたが、阿蘇の建盤龍こと手研耳命に略奪され、名を阿蘇津姫
に改めます。この不詳事に対して、父天之忍穂耳命をはじめとして周囲は頭を悩ませ、終には
豊玉彦の妃として送り込み、名を杉山姫に改めます。
(5)スサノオと櫛稲田姫の娘武内足尼(たけうちすくに)またの名瀛津世襲足姫(おきつよそたら
しひめ)
スサノオの暴挙や兄ナガスネ彦の反乱により、武内足尼は夫天之忍穂耳命のもとを離れ、豊
玉彦の庇護下に入り、後に妃となりました。
(6)月讀命と草野姫(かやのひめ)の娘木之花咲耶姫またの名かぐや姫
木之花咲耶姫は夫ニニギノミコトによるDVから逃れ、豊玉彦を頼り、その後妃となりまし
た。
豊玉彦の妃の民族構成は、「金山彦の瀛氏、高木大神の許氏、越智族の大山祇、多氏の天忍穂耳命」で、大率姫氏以上の血縁関係を築いていたことが確かめられます。
月讀命こと大山祇の二人の娘を妃とした理由は、“大幡主と大山祇の盟約による擬神体田神様(タノカンサー)”の絆を深めることでもありました。
2.豊玉彦の移動経路
豊国→出雲国→越前国=山背国=越前国→越後国=科野国=相模国=武蔵国=秩父国
注)→は海路 =は陸路
多くの部下や将兵を連れ、船で博多を出航し、父大幡主を祀る出雲に到着した後は、再び海路
で越前に。その後は陸路で山背国に入り、同地を支配地としました.
山背(やましろ)国には十年間ほど居住し、その間反逆者長髄彦(ながすねひこ)を匿いまし
た。
その後、陸路で越前に到着後は、船で父の支配地であった越後国へ向かったようです。
越後国からは陸路で科野(しなの)国に入り、相模国を経て武蔵国・秩父国に入り、同地を支
配地としました。その後、関東へ移動してきた娘婿大国主に武蔵国を譲りました。
この移動経路は、豊玉彦のまたの名で祀る神社を調査するとおおよそ理解できます。
写真 推定「海路の移動手段で用いられた舟」
荒尾南遺跡(大垣市桧町)から出土した壺に描かれた大型船
出典:岐阜県文化財保護センター
方形周溝墓の溝から出土した壺に線刻された大型船
口径12.6センチ㍍ 器高17センチ
(説明)
細くて鋭い線で3艘の船
中央の大型船は船首と船尾に帆
両側に82本のオール(櫂)
大型船の左右には側面から見た形で帆掛け船が描かれています。
3.豊玉彦の御子
御子名 | 生年 | 母の名 |
多紀理姫またの名豊玉姫 | AD153年 | 豊秋津姫またの名阿蘇ツ姫 |
八心大市彦 | AD160年 | 神大市姫またの名罔象女 |
多岐ツ姫またの名鴨玉依姫 | AD167年 | 市杵島姫またの名イカコヤ姫 |
天日鷲彦 | AD169年 | 杉山大神またの名天豊ツ姫 |
武夷鳥命 | AD180年 | 武内足尼またの名オキツヨソ足姫 菅家の祖 |
神主玉 | AD178年 | 木之花咲耶姫またの名前玉姫 橘一族の祖 |
(4)忌部五部神(目的は産業革命の技術指導)とは
- 筑紫・伊勢忌部 鍛冶集団
祖神 天目一箇神(あめのまひとつかみ 豊玉彦の別名)
- 出雲忌部 玉の貢納集団
祖神 櫛明玉命(くしあからたまのみこと 豊玉彦の別名)
- 紀伊忌部 材木の貢納 宮殿・社殿の造営
祖神 彦狭知命(ひこさちのみこと 豊玉彦の別名)
- 阿波忌部 木綿(ゆう)・麻布の貢納集団
祖神 天日鷲命(あめのひわしのみこと 豊玉彦の御子)
- 讃岐忌部 竹・盾の貢納
祖神 手置帆負命(たおきほおいのみこと 豊玉彦の別名)
次回は「泥土煮尊(うじにのみこと」(1)です。