図 大阪府・上町台地 出典:Kashmir3Dによる「日本の地形千景」
上町台地と我孫子台地の間に「堀江」が掘削された様子が鮮明です。
○朝日豊盛命兄弟による産業革命とは
○九州王朝の陰り
○『日本書紀』が記す倭大國魂神(やまとおおくにたまのかみ)と天照大神の軋轢
1.故百嶋氏が指摘する朝日豊盛命兄弟による産業革命とは
故百嶋氏は具体的に述べていませんが、主に摂津国・河内国では以下のような事業を手がけたのではないかと推測します。
(1)河内平野の干拓
高度な土木技術により水田・畑を開拓。
(2)上町台地基端南部に入江を利用して湊を築く。
物資輸送経路として九州→吉備國→摂津国→山背国間の航路を開設。
同時に物流・交易基地を開設。
図 大阪府・上町台地 出典:Kashmir3Dによる「日本の地形千景」
上町台地と我孫子台地の間に「堀江」が掘削された様子が鮮明です。
注)上町台地
北の端は大阪市中央区天満橋辺り。南の端は住吉区苅田付近
(3)最大の同盟者である山背国の支配者豊玉彦一族と共同して、琵琶湖と淀川の水運航路を開設。
(4)養蚕技術や藍・麻・苧麻の栽培。手織機(ておりはた)の普及。染色・縫製技術の指導。
その後、上記の技術は東日本へと波及したようです。
写真 「藍」 出典:徳島県HP
藍の起源は紀元前3000年前まで遡ります。インダス文明の遺跡から染織槽跡が発見されています。日本列島へは、白族統領豊玉彦の末裔忌部五部族が3世紀中頃に中国から伝来したと推測されます。
藍の葉は生長スピードが速く、収穫までに間引きや移植を複数回繰り返します。
写真 大麻(アサ) 出典:和歌山県HP
大麻の不正栽培は、大麻取締法で禁止されています。
またそのために、大麻の種子を所持したり、提供したりすることは大麻取締法の処罰対象と
なります。
以上の膨大な事業計画を遂行するためには、有力豪族の物心両面の協力は不可欠で、加えて人民の理解も必要でした。
不公平感を取り除くために、現代で言えば”経済官僚“が必要でした。
そこで登場したのが、九州で実績を上げていた瀛氏金山彦の裔“蘇我氏”と推測します。
2.九州王朝の陰り
(1)坂本命(さかもとのみこと)
河内平野の開拓にかかる難事業は、仁徳天皇が九州へ戻ることは許されませんでした。途中で放棄すれば、政治的威信は失墜するからです。
仁徳天皇が不在となった九州王朝には、当然外交を含めた政治的空白が生じました。仁徳天皇不在のあいだは、実弟の坂本命に委ねられたと推測します。
推測の根拠は、久留米市御井町の高良御子神社の境内社「坂本神社」が祀る「坂本命」にあります。
坂本命は高良山道入口の守護神とも云われています。
高良御子神社の正式名称は「王子宮(おうじきゅう)」で、主祭神は仁徳天皇です。同社の一の鳥居の扁額は「王子宮」、二の鳥居の扁額は「坂本神社」です。
坂本神社の由緒書によると
○東坂本社 ご祭神:櫛磐窓命(くしいわまどのみこと)
ブログ”神社見聞牒“を主催する宮原誠一氏によると櫛磐窓命は日吉様すなわち大山咋神(おおやまくいのかみ)としています。
○西坂本社 ご祭神:豊磐窓命(とよいわまどのみこと)
宮原誠一氏によると豊磐窓命は猿田彦大神としています。
すなわち、坂本命はスサノオ系大山咋神と豊玉彦系猿田彦が後見人となっています。
また坂本命は、父仁徳天皇、母はツヌガアラシトこと贈崇神天皇の娘国片姫(くにかたひめ)で、後ろ盾は十分すぎるほどです。
図15 高良御子神社配置図
しかし、あくまで「九州王朝の留守居役」であり、威令は十分に届かなかったと推測します。
3.『日本書紀』が記す倭大國魂神(やまとおおくにたまのかみ)と天照大神の軋轢
○崇神紀6年条
「これより先、天照大神・倭大国魂神の二神を、天皇の御殿の内にお祀りしましたが、両神の勢いを畏れ、共に住むには不安がありました。そこで天照大神を豊鋤入姫(とよすきにゅうひめ)に託し、大和の笠縫邑に祀った。(中略)また日本大国魂神は渟名城入姫(ぬなきにゅうひめ)に預けて祀られました。
ところが渟名城入姫は、髪が抜け落ち体が痩せてお祀りすることができなかった。」とあります。
古代の神は、その子孫の祭祀はうけるが、他氏からの祭祀は拒否したという。
渟名城入姫が倭大国魂を祀ることができなかったのは、大和国の地主神である倭大国魂神 が、
外来者である大王家の祭祀を嫌ったともいえます。
渟名城入姫に代わる祭祀者として神の意に叶ったのが市磯長尾市(しきながおち)です。
○崇神紀7年条に、
8月7日 倭迹速神浅茅原目妙姫(かむあさじはらまくはしひ め)他二人に、「市磯長尾市を以て倭大国魂神を祀る祭主とすれは、天下は平らぐであろう」との夢告がありました。
11月13日 長尾市を祭主として倭大国魂神を祀ったところ、疫病が収まり、国内は鎮まったとあります。
○垂仁紀25年条
天照大神の伊勢遷座ののち、倭大国魂神が祭祀に不満を述べたので、改めて長尾市宿禰に命じて、穴磯邑を神地とし、大市の長岡崎(岬)に祀らせたとあります。
以上の記事から、登場する神々並びに人物について検証してみましょう。
ア.倭大國魂神
本来は神武天皇ですが、この場面では大和国の大地主神(大幡主)と推測します。
イ.天照大神
中国史書では「卑彌呼」と記され、若き頃の名は大日孁貴。弟の倭国王神武天皇の失政の後を受けて倭国王に即位。
故百嶋氏によれば、「倭大國魂神こと大幡主と大日孁貴は夫婦の関係にあった。」と述べています。
別れた理由は、現代のような「離婚理由」ではなく、あくまで政略的利害関係によるもので、権力を廻って「天照大神と倭大國魂神」が対立するとは考えられません。
おそらく、「天皇家の祖神を天照大神」とする政治的勢力が存在したのでしょう。
ウ.渟名城入姫(ぬなきにゅうひめ)
百嶋神社考古学では、父は大山祇神系ウガヤフキアエズ、母は第一次九州王朝御神霊護送船団の船長を務めた白川伯王系市杵島姫またの名スセリ姫の御子大海姫(おおあまひめ)で、兄は八坂入彦(やさかにゅうひこ)です。二人の兄妹はその名に「入」があり、九州王朝の忠臣です。
以上の系譜から、渟名城入姫は倭大國魂神を祀るには相応しい血筋ですので神罰を受ける理由が見当たりません。
エ.豊鋤入姫(とよすきにゅうひめ)
百嶋神社考古学では、父はスサノオ系贈崇神天皇、母は久留米の“ちびっ子鮎ちゃん”の御子で、兄は豊城入彦です。二人の兄妹はその名に「入」があり、九州王朝の忠臣で系譜からは天照大神を祀るには相応しい血筋です。
オ.市磯長尾市(しきながおち)
「神々の系図-平成12年考」では、父はスサノオ系椎根津彦またの名倭彦(やまとひこ)、母は武国凝別(たけくにこりわけ)の御子百姫(ももひめ)またの名は宇佐津姫で、姉は黒砂(いさご)こと倭姫です。市磯長尾市またの名増御子(ますみこ)は大和神社境内摂社の「増御子神社」のご祭神と
して祀られています。
兵庫県豊岡市の出石神社はスサノオを1800年以上祀っていることで有名です。代々、宮司職は子孫の長尾さんが務めてみえます。
父椎根津彦は第二次九州王朝御神霊護送船団に“梶取り”として参加していますので、真砂(まさご)こと長尾市も“梶取り”として第三次九州王朝御神霊護送船団に参加していたと推測します。
カ.倭姫(やまとひめ)
不思議なことに、黒砂(いさご)こと倭姫は大和神社に祀られていません。また伊勢神宮内宮にも祀られていません。現在の伊勢神宮内宮の「倭姫宮」は明治時代に入ってから造営され、それ以前は「倭姫宮」は存在していません。
以上から、倭姫は第三次九州王朝御神霊護送船団に参加していなかったと推測されます。
ウ~オまでの登場人物は、開化天皇若しくは仁徳天皇と同時代の人物です。
おそらく、仁徳天皇の不在時、九州王朝内で祭祀を廻って、宗教的対立があったのではないかと推測します。
次回は「第一次九州王朝の終焉」です。