第六話  別天つ神宇摩志阿斯訶備比古遅の神(1)

写真  赤城山

○越智族金氏のルーツ

○金官伽耶国初代国王金首露

○金官伽耶国第四代国王金越智こと宇摩志阿斯訶備比古遅は、何故倭国

を目指したのか。

○越智族金氏の先祖「王昭君」

○月読命(つくよみのみこと)

1.越智族金氏のルーツ

故百嶋氏は「越智族金氏をトルコ系匈奴」としていますが、始祖は「王昭末裔末裔、すなわち小月氏の末裔」とも指摘しています。

越智族金氏が建国した「金官伽耶国」について、朝鮮半島の正史である『三国史記』には記述がなく、中国文献から検証してみましょう。

『後漢書―韓条』

「大なるは万余戸、小なるは数千家、各々山海の間に在り、地は合せて方四千余里、東西は海を以て限りとなし、みな古の辰(じん)国(こく)なり。馬韓は最大共にその種を立てて辰王となし、月支国に都し、尽(ことごと)く三韓の地に王となる.その諸国王の先は、皆これ馬韓種の人なり。」.

(原文は漢文)

『後漢書』地理志

「馬韓は韓半島の西にあり。五十四国を有す.その北は楽浪(郡).南は倭に接す。辰韓は東にあり。十二国を有す.その北は濊粕(わいはく)に接す.弁辰は辰韓の南。その南は倭に接す。(原文は漢文)

『後漢書-魏志東夷伝弁辰(弁韓)』

「その十二国は辰王に属す.辰王には常に馬韓の人を用いて之を作(た)て、世々相継ぐ。辰王には自ら立ちて王となることを得ず。」(原文は漢文)

同書から「韓半島中・南部の国のヒエラルキーは、頂点に馬韓」と確かめられます。

上記三書から得られるデータは以下の通りです。

  • 古の辰国(後の馬韓)の首都は月支国で、三韓(馬韓・辰韓・弁辰)の王は辰国の人が任命される。
  • 馬韓は韓半島の西にあり、五十四国を有す。北は楽浪郡、南は倭に接す。

(3)韓半島の東に辰韓があり、十二国を有す。辰韓の北は濊粕に接す。

(4)弁辰は辰韓の南にあり、弁辰の南は倭に接す。

(5)弁辰(弁韓)の十二国は辰王の従属国で、王は馬韓の人を用い、世襲制である。

 

馬韓という国名の認識は後漢時代で(西暦25~220年)、それ以前の国名は「辰国」と呼ばれていた。

私見は、辰国の起源は「月支国」から始まり、同国を構成する民族は華夏民族に敗れた倭族の一派(アカ族など)黄河流域から山東半島に逼塞し、以下の歴史段階を経たと推測します。

  • およそ紀元前10世紀頃から順次倭族が韓半島に移動し、「月(げっ)氏(し)国(こく)」を建国。
  • およそ紀元前3世紀頃に国名を「辰(じん)国(こく)」に改める。支配領域は北緯三八度線以南でしたが、その後扶余族の高句麗に圧迫され、支配領域は韓半島の中・南部に縮小しました。
  • そこで擡頭したのが「金氏」で、およそ紀元1世紀中頃に国名を「辰国」から「金官伽耶(きんかんかや)国(こく)」に名を改め、倭国との連携に舵を切ったと推測されます。
  • 中国史書が記す「馬韓は古の辰国であり、現地では金官伽耶国』と呼ばれていた。
  • ほぼ同時期に金官伽耶の支配地を割いて順次、阿羅伽耶(あらかや)・古寧伽耶(こねいかや)・大伽耶(おおかや)・星山伽耶(せいざんかや)・小(しょう)伽耶(かや)の五カ国に分国。

2.金官伽耶国初代国王金首露(生年AD22年?)が推戴された背景

故百嶋氏は金官伽耶国初代国王を「金海(きめ)金氏の金首露」と述べています。

『魏志』東夷伝弁辰条

「国鉄を出す。韓濊倭皆したがって之を取る。諸市で買うときは皆鉄を用い、中国の銭を用いるがごとし。中国の二郡(楽浪・帯方郡)に供給している。(弁辰の)男女は倭人に似て、文身(入れ墨)をしている。」       (原文は漢文)

(鉄鉱石産出地)

  • 釜山市東莱福泉洞(トンネポクチョンドンネソン)遺跡
  • 蔚山市南区達川(タルチョン)遺跡

慶南勒島(ヌクト)遺跡

(金首露が開発した新製鉄技術)

それは「鍛鉄技術」です。金首露が製造する「鍛鉄製品」は強度な破壊力を発揮し、周辺諸国

はこぞって鉄製品を求めたと考えられます。

その結果。金首露は莫大な富を得、西暦42年初代金官伽耶国の王位に就きました。

写真  赤城山  出典:前橋まるごとナビ

次回は別天つ神「宇摩志阿斯訶備比古遅(うましあしかびひこち)の神」(2)です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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