第六十七話  「贈仲哀天皇」(1)

写真  香椎宮(かしいぐう)のご神木「綾杉」 出典:九州旅倶楽部

○正統な天皇ではなく藤原氏によって贈られた天皇

○皇后・妃と御子

○宮

○新羅征討を廻って、贈仲哀天皇と神功皇后の対立

1.正統な天皇ではなく藤原氏によって贈られた天皇

同天皇も正統な天皇ではなく、藤原氏によって贈られた贈天皇です。「神々の系図-平成12年考」によれば、父ヤマトタケル、母フタジ入姫の王子です。

2.皇后・妃と御子

(1)『古事記』

①大江王の娘、妃大中津比賣を娶り、香坂王と忍熊王の二柱。

太安万侶は、「大江王」について曖昧な表現をしています。

ア.父景行天皇 母伊那毘能大郎女(いなびのおおいらつめ)の妹伊那毘能若郎女との御子

「大兄王(おおえおう)」

ィ.父景行天皇 母倭建命の曾孫、須賣伊呂大中日子の娘、迦具漏比売との御子「大枝王(おおえおう)」

イと比較してアの「大兄王」の方が信憑性は高いと考えられますが、香坂王と忍熊王は景行天皇の御子ではなく、創作と推測します。理由は後述します。

②息長帯比賣(しなたらしひめ)品夜和氣命(ほむやわけのみこと)またの名大鞆和氣命(おおともわけのみこと)、品陀和氣命(ほむだわけのみこと)の二柱。

大鞆和氣命とする所以は、生まれたときに鞆(とも)の如き痣が上腕にあったことに由来します。

(2)『日本書紀』

①叔父彦人大兄(ひこひとおおえ)の娘大中姫を娶り、妃とし、籠坂皇子(かごさかおうじ)・忍熊皇子(おしくまおうじ)の二柱。

②來熊田造の祖大酒主(おおさかぬし)の娘弟媛を娶り、譽屋別皇子(ほむやわけおうじ)の一柱。

③息長足姫尊を立てて皇后とす。譽田別皇子は胎中の中。

注目すべきは、籠坂皇子と忍熊皇子だけは「別皇子」の名称がありません。

他方、①と②の皇子は「別皇子」です。これは「別王(わけおう)の皇子」という意味ですから、①と②の皇子は正統な天皇の皇子ではないことになります。

3.宮

穴門の豊浦の宮、筑紫の訶志比宮(かしひのみや)と簡潔に記すのみです。

“豊浦宮(とよらみや)”については、下関市長府宮の忌宮(いみのみや)神社周辺とされていますが、七年間天下を治めたとする遺構は発見されていません。

4.新羅征討を廻って、贈仲哀天皇と神功皇后の対立

筑紫の訶志比宮で、戦略について贈仲哀天皇と神功皇后の対立が起こり、調停人として建内宿禰(たけうちすくね)が登場します。

贈仲哀天皇 国内平定戦略

神功皇后  外征戦略

建内宿禰  審神者(さにわ 古代の神道の祭祀において神託を受け、神意を解釈して伝える者のこと)

「神の御教え」に従い、神功皇后による新羅征討論に国策は決定します。

ここで驚くべきことは「贈仲哀天皇の死に対して、天津罪・国津罪の贖罪(しょくざい)を願う神祇」を実施する意味が理解不能です。

贖罪は罪を贖うことです。

すなわち、贈仲哀天皇の死は贖罪を求められたことになります。

「六月晦大祓祝詞(ろくがつみそかおおはらえののりと)」の真意はこれ以上の災厄をもたらさないよう、実施したのでしょう。

ところが、「六月晦大祓祝詞」は後世の中臣氏よって完成した祝詞ですから、この当時には存在していません。

したがって、同記事は太安万侶によって創作されたことになります。

また、驚くべきことに「神の御教えが天照大神と底筒男・中筒男・表筒男神」としている点です。

ア.底筒男通(そこつつおの)神

「神功皇后の夫開化天皇、新羅征討応天(おうてん)将軍」です。

イ.中筒男(なかつつおの)神

「高良玉垂宮(こうらたまたれみや)で神功皇后に仕えたツヌガアラシトこと贈崇神天皇またの名中臣烏賊津臣(なかとみいかつおみ)」です。

ウ.表筒男(おもてつつおの)神

開化天皇に従い、新羅征討に向かった副将軍安曇磯良(あづみのいそら)」です。

すなわち、「新羅征討軍は上記三神を中心とした構成軍」と推測されます。

なお、「新羅」はまだ建国されていませんので、「金官伽耶(きんかんかや)国」を征討し、九州王朝は国名を「任那国(みまなこく)」に改めたと推測します。

写真  香椎宮  福岡市東区香椎 出典:Wikipedia(2021/10/23 21:20)

ご祭神:仲哀天皇・神功皇后

中門から拝殿・幣殿を望む

同社飛び地の「不老水」は飲まない方が良いと思います。

 

 

次回は「贈仲哀天皇」(2)です。

 

 

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