第三十二話  「神武天皇」(1)

○君長とは

○神武天皇の家族

1.君長とは

   故百嶋氏は、「当時は天皇とは言いません。“君長(くんちょう)”と言いました。」と述べています。

中国の自由百科書「維基百科」に“君長”の起源が記されています。

「君長是秦始皇於攻克東冶後 為郡縣制度所設置的官制 専門官理閩中郡 類似後代的士司漢代癈除」

拙訳は「(紀元前222年)秦の始皇帝は東冶(とうや 現在の福建省福州市付近)を攻め滅ぼし、閩中郡(びんちゅうぐん)を設置。郡の長官名を“君長”とした。後代の士司に類似したが、漢代に廃止された。」とあります。

2世紀に初めて鮮卑族を統一した「壇石櫆(だんせきかい)」は鮮卑族君長と呼ばれていました。

以上の東アジア情勢から、大率姫氏(だいそつきし)も「天皇ではなく君長」と呼ばれていたと推測します。

2.神武天皇の家族

 (1)『古事記』記事

父鵜葦草葦不合命(うがやふきくさあえずのみこと)、母玉依毗売。(たまよりひめ)兄に五瀬命(いつせのみこと)・稲冰命(いなひのみこと)・御毛沼命(みけぬまのみこと)・若御毛沼命(わかみけぬまのみこと)またの名豊御毛沼命(とよみけぬまのみこと)またの名神倭伊波礼毗古命(かむやまといわれひこ)の四柱。

神武天皇日向在住時に后阿比良比米(あいらひめ)を娶り、生まれた御子が多芸志美々命(たぎしみみのみこと)と岐須美々命(きすみみのみこと)の二柱。

後に后富登多多良伊須須岐比売命(ほとたたらいすすきひめのみこと)、またの名を比賣多多良伊須氣余理比賣(ひめたたらいすけよりひめ)との御子は日子八井命(ひこやいみみのみこと)・神八井命(かみはえみみのみこと)・神沼河命(かみぬまかわみみのみこと)の三柱とあります。

お気づきでしょうか。「美々=耳」とは、阿蘇族統領の徴(しるし)で、藤原氏の祖とされる阿蘇族の系譜を大胆にも皇統譜に紛れこませています。

(2)故百嶋氏説

「神々の系図-平成12年考」では、

父「大率(だいそつ)・姫氏(きし)倭国王師升(ししょう)」、母「奴(ぬ)国王白川伯王の娘神玉依姫(かみたまよりひめ)」とし、二人の間に誕生したのが神武天皇としています。

父とされるウガヤフキアエズの年齢は神武天皇より48歳年少で、ウガヤフキアエズの父は彦火々出見尊(ひこほほでみのみこと)、母は豊玉彦の娘豊玉姫としています。

東遷前の后阿比良比米は金山彦と大市姫との間に生まれたアイラツ姫と同一人物で、阿比良比米の御子とされる多芸志美々命と岐須美々命は、父神沼河耳命、母神俣姫を両親とする御子で、この御子達は「阿蘇の耳族」の系譜を継いでいます。

アイラツ姫の兄五瀬命は、神武天皇とは義兄弟の関係になります。

稻冰命は、自称神武天皇こと贈崇神天皇の兄で、初代神武天皇より71歳年少で、贈天皇とは、藤原氏によって贈られた天皇で正統な天皇ではありません。御毛沼命(みけぬまのみこと)は常世の国に去ったとあり、消息は不明です。

図 故百嶋氏作成「大率姫氏」を中心とする系図

次回は「神武天皇」(2)です。

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