第三十三話 「神武天皇」(2)

写真  山鹿市山鹿  「釘の花の滝」 出典:もっともーつくまもと

写真  山鹿市鹿北町芋生 大宮神社境内「山鹿灯籠祭」 出典:山鹿市観光ガイド

○神武天皇の最初の皇后アイラツ姫とは

○『古事記』が記す二番目の后富登多多良伊須須岐比売命、またの名を

比賣多多良伊須氣余理比賣

○姫蹈鞴五十鈴媛命との間に誕生した御子

○神武天皇の“政治的しくじり”

1.神武天皇の最初の皇后アイラツ姫とは

ブログ新ひぼろぎ逍遥を主催する古川清久氏は、アイラツ姫の生誕地について「熊本県山鹿

市菊鹿町相良(さがら)地区」とし、腹違いの妹櫛稲田姫と共に育てられたとしています。

その後、父金山彦の支配地日向へ移り、神武天皇と出会いました。

図 熊本県山鹿市菊鹿町相良地区周辺の地図

吾平津(あいらつ)神社(通称乙姫神社) 宮崎県日南市油津

ご祭神:吾平津毘売命(あいらつひめのみこと)

写真  吾平津神社   出典:同社HP

霧島市隼人町にある鹿児島神宮の主祭神は天津日高彦穂々出見尊(山幸彦)としています

が、相殿神に「句呉の祖太伯(くごのそたいはく)」が祀られています。

「句呉」とは、周代の子爵の国であり、太伯が建てた国を意味します。「太伯」を祀る神

社は同社だけで、「太伯」とは神武天皇即位前の名「太伯太子」です。同地がアイラツ姫と

の出会いの地であったと伝えています。

写真 鹿児島神宮拝殿 出典:同社HP

大変美しい拝殿です。

写真  鹿児島神宮拝殿格子天井に描かれた植物図  出典:同社HP

一見の価値がありますよ。

2.『古事記』が記す二番目の后富登多多良伊須須岐比売命、またの名を比賣多多良伊須氣余理比賣

三島湟咋の娘勢夜陀多良比売(せやだたらひめ)と美和の大物主神との間に生まれ、所謂「丹塗矢

(にぬりや)伝説」で誕生しました。

「美和の大物主神」とは、「真の大物主神ではなく、代理の大物主こと事代主」であり、「三島

湟咋とは事代主の変名」です。

太安万侶が仕掛けたトリックとは、自称神武天皇と名乗ったツヌガアラシトこと藤原氏によって

贈られた贈崇神天皇の「旧辞」を神武天皇の『旧辞』に紛れ込ませたことです。

さらに比賣多多良伊須氣余理比賣は、『日本書紀』が記す姫蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすず

ひめのみこと)は同一人物で、変名三島湟咋こと事代主の娘で、母は活玉依姫(はえたまよりひ

め)です。

以上の登場人物は、神武天皇よりも五十年以上も年少です。

故百嶋氏が作成した「神々の体系-平成12年考」から拾うと

表  事代主を中心とする人々

名前 血縁関係 生年 またの名など
贈崇神天皇 なし AD195年 ツヌガアラシトと同一人物
事代主 本人 AD173年 大田田根子
活玉依姫 事代主の妻 AD187年 父真の大物主「大山咋」母「鴨玉依姫」
ツヌガアラシト 妻の弟 AD195年 御間城入彦・贈崇神天皇
五十鈴姫 AD205年 姫蹈鞴五十鈴媛命

生年は故百嶋氏の推定

3.皇后姫蹈鞴五十鈴媛命との間に誕生した御子

(1)多芸志美々命(たけしみみのみこと)

「神々の体系―平成12年考」では、神武天皇の皇后アイラツ姫は神沼河耳命に下げ渡さ

れ、その後誕生したのが建盤龍命(けんばんりゅうのみこと)またの名多芸志美々命(たけしみ

みのみこと)です。

建盤龍命は後に、兄草部吉見(かやべよしみ)から阿蘇族「多氏(たし)」統領の座を、引き

継ぎます。

なお、アイラツ姫は神沼河耳命に嫁いだ跡は「蒲池姫」に名を改めます。

(2)岐須美々命

「神々の体系-平成12年考」によれば、神沼河耳命とスサノオの娘神俣姫との間に生ま

れた兄岐須美々命こと草部吉見、後の天忍穂耳命です。

以上、この「旧辞」も太安万侶による「藤原氏の遠祖阿蘇族多氏の系譜」を堂々と九州王朝の

王に潜り込ませています。

4.神武天皇の“政治的しくじり”

故百嶋氏は「神武天皇は“神武使神(じんむししん)”と呼ばれた側近阿蘇耳族統領神沼河耳

命(正統な天皇ではなく藤原氏によって贈られた贈綏靖天皇)を重用し、挙げ句の果てに后ア

イラツ姫を神沼河耳命に下げ渡してしまいました。これにより、政治体制は一挙に動揺を深め

た。」と講演会で述べています。

この事件は西暦143年頃、神武天皇21歳の時です。

 

次回は「神武天皇」(3)です。

 

 

 

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