写真 出雲国一宮「熊野大社」 島根県松江市八雲町熊野 出典:同社HP
○八岐大蛇(やまたのおろち)退治
○スサノオは出雲の王ではなかった
○スサノオのまたの名
○スサノオの父と母
○スサノオを祀る神社
○スサノオの御子
1.八岐大蛇退治
『記紀』が記す「スサノオによるヤマタノオロチ退治」神話について、故百嶋氏は「ヤマタノ
オロチを越智族の統領大山祇神、アシナズチ・テナズチ夫妻を金山彦・埴安姫とし、実際の舞台は
出雲ではなく九州の朝倉付近一帯で、第一次九州王朝親衛隊長の金山彦と大山祇神の百年戦争」と
述べています。
百年戦争という比喩的(ひゆてき)表現は、長期間の戦いであったと考えられます。
戦いはAD140年前後に開始され、終結はAD155年頃と推測します。
この百年戦争の調停をしたのがスサノオと故百嶋氏は述べています。
2.スサノオは出雲の王ではなかった
(1)スサノオのイメージ
・『記紀』神話では、「アマテラスの弟」・「荒ぶる神」・「八股の大蛇退治の主人公」・「出
雲の王」などです。
・『出雲国風土記』では、「出雲の支配者」とする記述は見えず、「地名説話譚」に登場する「長
閑な生活を楽しむ神」
・「出雲国造神賀詞(かみがよごと)」
スサノオの名は見えず、「出雲の王を伊射那日真名子(いざなひまなこ)加夫呂伎(かぶろ
ぎ)熊野大神 櫛御気野命」としています。
(2)出雲の神社のヒエラルキー(序列)
熊野大社を頂点に、杵築大社(後の出雲大社)、同格の佐太神社・能義神社、一般の官社、
非 官社とする序列があり、序列上位の熊野大社・杵築大社・佐太神社・能義神社はスサノオを
主祭神として齋祀していません。
写真 出雲國一宮「熊野大社」島根県松江市八雲町熊野 出典:同社HP
ご祭神:「伊射那日真名子 加夫呂伎熊野大神 櫛御気野命」
通説は「スサノオ」としていますが、既に紹介したように「大幡主」が本来のご祭神です。
3.スサノオのまたの名
(1)天日槍命(あめのひぼこのみこと)
(2)午頭天皇(ごずてんのう) 天王さま
(3)天手力男命(あめのたじからおのみこと)など
4.スサノオの父と母(故百嶋氏の説)
父 伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
またの名延烏朗(えんうろう)、新羅第九代伐休尼師今(ばっきゅうにしきん)
母 伊弉冉尊(いざなみのみこと)
またの名熊野夫須美神(くまのふすびのかみ) 金山彦の妹
伊弉諾尊と別れた後は大幡主別名熊野速玉男命(くまのはやたまおのみこと)の妃。
5.スサノオを祀る神社
全国の八坂・津島・素鵞神社の主祭神として祀られています。
(1)八坂神社
関連神社2300社
故百嶋氏は京都の八坂神社の「祇園祭」の主祭神を「祇園さまこと大幡主」と述べてい
ます。
写真 八坂神社 京都市東山区祇園町 出典:同社HP
「疫病退散 豪華絢爛の祇園祭」
」
(2)津島神社 愛知県津島市神明町
東海地方を中心に全国で約3000社 主祭神「天王さま」
写真 「津島神社楼門」・「天王川祭」 出典:公式愛知県観光サイト
「疫病除・厄難災除のご神徳」
「巻ワラ船が繰り出す天王川祭」「豪華な花火」
(3)素鵞神社
愛媛県・茨城県に分布
主祭神「天王さま」
写真素鵞神社 愛媛県松山市鷹子町 出典:愛媛県神社庁HP
神紋「桜」
6.スサノオの家系
神名 | 血縁関係 | 生年 | またの名など |
イザナギ | 父 | AD105年 | 延烏郎・新羅九代伐休尼師今 |
イザナミ | 母 | AD110年 | 熊野夫(久)須美神、金山彦の妹 |
スサノオ | 本人 | AD127年 | 新羅の骨正・天日槍・天手力男命・イサザ別 |
神俣姫 | 姉 | AD124年 | 贈綏靖天皇の后、丹生津姫・闇龗神 |
阿加流姫 | 最初の后 | AD130年 | 磐長姫・タカヒメ、豊玉彦の姉 |
櫛稲田姫 | 二番目の后 | AD134年 | 金山彦の娘またの名瀬織津姫 |
神大市姫 | 三番目の后 | AD136年 | 大山祇の娘、罔象女・倉稻魂命・お稲荷様 |
市杵島姫 | 御子 | AD147年 | 母阿加流姫、佐用姫・瀛津島姫・スセリ姫・七夕姫 |
ナガスネヒコ | 嫡子 | AD150年 | 母櫛稲田姫、岐神・日子国意祁都命など |
瀛津世襲足姫 | 御子 | AD152年 | 母櫛稲田姫、天忍穂耳命の二番目の后、武内足尼・意祁都姫 |
辛国息長大姫 | 御子 | AD154年 | 神大市姫の御子、志那津姫・アメノウズメ・大目姫・豊宇気姫 |
玉帽夫人 | スサノオ妻 | ? | 新羅第13代味鄒尼斯今の父の娘 |
助蕡尼斯今 | スサノオ子 | ? | 新羅第11代王、在位(230~247年?) |
沾解尼斯今 | 同上 | ? | 新羅第12代王、在位(247~261年?) |
注)故百嶋氏は朝鮮半島の正史である『三国史記-新羅本紀』の歴代王の系譜に疑問を投げかけています。私見も同様です。
生年は故百嶋氏の推定
次回は沙士煮命(さひじにのみこと)です。