はじめに
『記紀』には虚空津比売命に関する記述はなく、俗説のみ跋扈しているのが現状です。
俗説とは「息長足姫後の神功皇后の御妹(おんいもうと)は虚空津比売命」とする説です。
虚空津比売命の「虚空(そら)」について、私の理解は「実体のない空間」と考えています。
したがって、「虚空津比売命は実体のないお姫様」と考えられます。
となると、「実体を伴う姫様」が存在した可能性が見いだせます。
長らくこの疑問に対する確かな解答が見出せませんでしたが、「百嶋神社考古学」に巡り会い、独
りよがりかも知れませんが、ようやく理解できるようになりました。
しかし、正史『日本書紀』とは異質の内容を含んでおり、すんなりと理解することは難しいかも知
れません。
キーワード
○虚空津比売とは
○豊姫(ゆたひめ)とは
○豊姫(ゆたひめ)の系図
1.虚空津比売とは
(1)「百嶋神社考古学」
虚空津比売を祀る主な神社
○八幡古表神社 大分県中津市伊藤田 神紋“花菱”
ご祭神:息長帯姫(しなたらしひめ)尊・虚空津比売命
同社が伝承する「細男舞」「八乙女舞」とは、
①「細男(せいのお)舞」(別名神相撲、勝ち抜き相撲)
傀儡子とそれを操っての傀儡子の舞い(細男舞)と神相撲は古表神社の長い歴史と共に
特色ある民族文化として今日まで継承されています。
「小さな神が大きな神々に立ち向かう」
東御殿三島大神の活躍で西御殿は窮地に追い込まれ、此処で活躍したのが西の大トリこそ、住吉
大神。小さな体ながら力強い取り組みで東の神々を次々と倒し、迎えるは西の大トリ祇園大神。大
きな身長差を跳ね返し、六連勝で西に勝利をもたらします。
参照:福岡県築上郡吉富町観光・物産ガイド
②「八乙女舞」
八乙女とは
稚日女(わかひるめ)大神(=卑弥呼宗女壱與)
爾保津(にほつ)姫大神(=豊玉姫)
八街(やちまた)比売大神(=瀛津世襲足姫)
広田大神(=天照大神)
石坂姫大神(=イザナミ)
豊受姫大神(=伊勢外宮様)
立田大神(=市杵島姫)・
美奴売(みぬめ)大神(=八女津姫、父天種子・母百姫)
以上、いずれも九州王朝を代表する女神たちで、最も年少の女神は美奴売姫であることから、
時代は開化天皇の御代以降に奉納されたと推測します。
○古要神社 大分県中津市伊藤田 神紋は“剣花菱”
ご祭神:息長足姫命・虚空津比売命
同社も八幡古表神社で行われる「神相撲」を伝承しています。
不思議なことに、両社とも「虚空津比売」に関する伝承は伝わっていません。
故百嶋氏は両社に共通する「古」を「胡」とし、「胡(えびす)」は西から来た胡人の意で、
「表・要」は酒泉(万里の長城の西の終点嘉峪関)とメモに残されています。
写真 細男舞 出典:福岡県築上郡吉富町観光物産ガイドHP
先頭の大男が祇園大神、三番目の黒い小男が住吉大神と考えられます。
写真 八人の天女「八乙女舞」 出典:故百嶋氏のメモ
(2)「百嶋神社考古学」継承者 “ブログひぼろぎ逍遥”古川清久氏
虚空津比売の実体を神社縁起などから調査し、「虚空津比売の本名は豊姫(ゆたひめ)別名
與止日女」とする説を提起しました。
同説を根拠としたのが
①『高良玉垂神秘書(こうらたまたれじんぴしょ)』筆者大祝職物部神津 麿保房
第七条
「皇后の御妹に二人おわします、一人は宝満大菩薩、一人は河上大明神になり給う。これ豊姫
(ゆたひめ)のことなり。」
注)『高良玉垂神秘書』
久留米市の高良大社に伝わる縁起書の一つ。
宝満大菩薩とは「鴨玉依姫」と推測します。
第一条
「神功皇后、異国征伐の後、三男月神底筒男尊(そこつつおのみこと)は皇后と夫婦となり
給う。嫡男日神の垂迹 表筒男尊は皇后の御妹豊姫と夫妻なり。その御子大祝日往子(おほ
ほおりひゆきこ)と申すなり。この底筒男尊・表筒男尊の二人は皇后と共に皇宮におわしま
す。三男月神の垂迹 底筒男尊、皇居に住まわれる間、位を設け、太政大臣物部保連と申し
給う。藤(とうの)大臣は干珠満珠を借り給う時の仮の名なり。」
注)
嫡男日神こと表筒男尊:安曇磯良 妻は豊姫 御子は大祝日往子(おおほおりひゆきこ)
三男月神こと底筒男尊:開化天皇、皇后は神功皇后
②河上大明神を祀る與杼日女神社 佐賀市大和町川上 別称「河上神社」 肥前国一宮
ご祭神:與杼日女命(よどひめのみこと)と豊姫は同一神
嘉瀬川流域には同社を含め六社存在します。
豊姫を豊玉姫とする俗説がWikipediaにも記されていますのでご注意ください。
写真 嘉瀬川「精霊流し」毎年8月15日実施 嘉瀬川河川敷 出典:佐賀市観光協会HP
読経が流れるなか、大小さまざまな鷦鷯船が流され、幻想的な 風景を醸し出します。
赤司八幡宮 福岡県久留米市北野町赤司
対外的なご祭神:與止比咩命・高良大神・(武内宿禰)・道主貴 止與比咩命・八幡大神
(応神天皇)
わざわざ「対外的なご祭神」と断っている珍しい神社です。
由緒によると、創祀は天照大神様の神勅“汝三神 宜しく道中に降居して天孫を助け奉り、天孫
のために祭かれよ。“を受けて、筑紫の道中(筑紫平野の中心部)、御井郡河北の地に天降りし
た。“とあります。
(3)「百嶋神社考古学」継承者 “ブログ神社見聞牒”宮原誠一氏
同氏は古川清久氏説から、一歩進めて「ブログNo.25 神功皇后生誕の地・佐賀県背振の野
波神社」を取り上げています。
長くなるので、一部を抜粋すると
『紀』が記す「氣長足姫尊とその両親である父氣長宿禰王(しなすくねおう)、母葛城高額
姫(かつらぎのたかぬかひめ)」を祀る神社の発見です。
○野波神社 佐賀県佐賀市三瀬村杠
ご祭神:神功皇后・武内宿祢・淀比咩大神(淀姫神)
同社下之宮
ご祭神:神功皇后のご両親である息長宿祢命、葛城之高額媛
写真 野波神社下之宮 案内板
(4)息長足姫 後の神功皇后一家の系譜
私も両氏に触発され、故百嶋氏が残された数々の「神々の系譜」を繋ぎ合せ、足りないところ
は古川清久氏にお知恵を借りたり、調査の依頼をしました。また、“ブログ「玄松子の記憶」”から
関連する神社を一社毎に調査照合作業を行うなどして、ようやく完成したのが下記の表です。
インターネットの検索機能のお陰だとしみじみ思います。
今後、「AIの時代」が普及することを思うと「期待と不安」が入り交じります。
表 「息長帯比売の系譜」
神功皇后
息長帯比売 AD226年 |
父 息長宿禰
AD200年 スサノオの曾孫
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祖父 大筒城真若王こと
建南方命 スサノオの孫 AD174年
|
曾祖父 天忍穂耳命
AD138年 曾祖母 武内足尼 スサノオの娘 AD152年
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祖母 八坂刀売
高木大神の曾孫 AD164年
|
曾祖父 天忍日命こと興津彦
天忍穂耳命の御子 AD158年 曾祖母 雨宮姫 建盤龍命と阿蘇津姫の御子 AD179年 |
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母 葛城高額比売 AD216年 スサノオの曾孫 |
祖父 多遅摩比多訶
スサノオの孫
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曾祖父 沾解尼師今こと多遅摩比那良岐
スサノオの御子 曾祖母 不明
|
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祖母 菅竈由良度美
AD178年 |
曾祖父 豊玉彦
AD132年 曾祖母 木之花咲耶姫 AD150年 |
注)生年は故百嶋氏の推定
上記系譜を辿ると、神功皇后はスサノオ系のお姫様であることが一目瞭然です。
また、葛城氏もスサノオ系一族と推測されます。
2.豊姫(ゆたひめ)とは
皇后の御妹(おんいもうと)豊姫について「神々の系図-平成12年考」では、夫安曇磯良、
嫡子は日往子(ひゆきこ)、豊姫の父はウガヤフキアエズ、母は奈留多姫としています。
したがって、豊姫は神功皇后の御妹ではありません。
では、なぜ豊姫を神功皇后の御妹としたのでしょうか。
故百嶋氏は「開化天皇の少年時代、乳母豊姫と間違いを起こし、生まれたのが、莵道稚郎子
(うじのわかいらっこ)。神功皇后に配慮して、神功皇后の御妹とせざるを得なかった。」と述
べています。
その後、豊姫は神功皇后崩御後に高良玉垂宮を出て、最終的には、佐賀県佐賀市大和町川上
「與止日女(よどひめ)神社」に落ち着かれました。
○『高良玉垂宮神秘書 第142・237』
「高良大菩薩は神功皇后崩御のあと、住み慣れた大宰府の皇居を出て、甥に当たる日往子尊を連れ
て、宝満川を小舟で下り,やがて筑後においでになり、まず久留米市大善寺に着岸。ここで御船を
新造して大舟で漕ぎ出し、大川市酒見に上陸。風浪の九九社大権現を祀り、さらに有明海に出て、
こんどは大牟田市黒崎に上陸、ここからまっすぐ北に陸行して山門郡瀬高イチカウラ、八女郡人形
原を経て高良山に登り、八葉の石畳を築いて地主神たる高樹神を退け、ついに高良山に鎮座になっ
た。ときに仁徳天皇の御宇9月13日のことであったという。」
解説を加えると、「甥の日往子尊は少年時代の開化天皇と乳母の豊姫との御子」で、開化天皇は
日往子尊を大変愛おしくしていたことが読み取れます。
日往子尊の子孫は「鏡山氏」に継承されています。
○豊姫を祀る神社
“ブログ神社見聞牒 No.58 水沼君(みぬまのきみ)の八幡神社と豊姫神社と豊姫”記事を参照
しました。
・八幡神社 福岡県三井郡北野町大字赤司(あかし)
旧社名 「延喜式」式内社 止誉比咩(とよひめ)神社
ご祭神:応神天皇
配祀神:武内宿祢・住吉大神
旧神社名「止誉比咩神社が八幡神社に改称した際に、ご祭神が応神天皇にすり替えられた」と
推測しています。
・豊姫神社 福岡県三井郡北野町大字大城字日比生(ひるお)
旧社名 「延喜式」式内社 豊比咩神社
ご祭神:豊玉姫
祭神が混乱している理由は旧社名「豊比咩神社」に起因し、本来の祭神である「豊姫」に代
わって「豊玉姫」が祭られたと推測します。
3.豊姫の系図
神社見聞宮原誠一氏作成の「豊姫を開化天皇の乳母とし配偶者とした場合の系図(3)
出典:“ブログ神社見聞牒 No.58 水沼君(みぬまのきみ)の八幡神社と豊姫神社と豊姫
豊姫の父は鵜葦草不合命、母は奈留多姫、系図にはありませんが、兄は熊襲統領河上猛です。
『記紀』が記すヤマトタケルに征伐された「川上タケル」です。妹豊姫は夫安曇磯良と共に兄
の助命を嘆願したことにより、川上タケルは阿蘇の支配地を没収されたものの、、助命された
ようです。
安曇磯良・豊姫夫妻は、大変仲の良い夫婦として知られています。
写真 (糸島市)桜井二見ヶ浦の海岸にある「夫婦岩」の真っ白な鳥居が絶景
出典:Navitime Travel
鳥居をよく見ると「殷鳥居」ですね。
「夫婦岩」のモデルは安曇磯良と豊姫(別名與杼姫)といわれています。
おわりに
京都市伏見区淀本町にある與杼(よど)神社の主祭神は「豊玉姫命 別名與止日女、また神功皇后
の妹」としています。
同社の由緒は、応和年間(961~964年)に、肥前国佐賀郡河上村(現佐賀市大和町)の與止日女神
社から淀大明神を勧請とあります。
いくら何でも「豊玉姫命」は無いだろうと思いますが、いつの時代かわかりませんが、混乱する事
態が発生したのでしょう。
このような例は、全国の神社で見られます。
このような事態を看過するのが良いのでしょうか。
次回は「倭姫命」です。