謎の女神シリーズ  第五話「天細女命(1)」

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図 天岩戸神話の天照大御神 (春齊年昌画 明治20年)

出典:Wikipedia(05/03/2023 9:30)

 

はじめに

『記』は、天宇受賣命(あめのうずめのみこと)、『紀』では天細女命と記され、以下「アメノ

ウズメ」と記します。

『記紀』ともに、以下の段で登場します。

・アマテラスとスサノオの誓約前

スサノオが高天原に昇ってくるのをアマテラスに報告。

・天孫降臨

高天原から葦原中國までを照らす猿田毘古神が行く手を阻んだので、アメノウズメが、

猿田毘古神を籠絡して道案内に成功します。

・天岩屋戸

弟神スサノオの暴挙に堪えきれなくなった太陽神でもある姉天照大御神が天岩戸に引き籠もったため、高天原と葦原中国は闇に閉ざされてしまいます。

そこで八百万の神々は天の安河の河原で協議した結果、高木神の御子思金神(おもいかねのかみ)の発案で、賢木(さかき)の枝に八坂瓊勾玉(やさかにのまがたま)と八咫鏡を掛け、布玉命(ふとだまのみこと)が御幣を捧げ持ち、天児屋根命(あめのこやねのみこと)が祝詞を唱え、天手力男神(あめのたじからおのかみ)が岩戸の陰に隠れ、天細女命は、神がかりして、胸をさらけ出し、裳の紐を陰部まで押し下げて踊り出します。すると、八百万の神々は一斉に笑いころげました。

此れを訝しんだ天照大御神は岩戸の扉を少し開けたところを、天手力男神が扉をこじ開け、ようやく高天原と葦原中国に太陽光が戻り、目出度し、目出度しという神話に登場するのがアメノウズメです。

どういうわけか、他の神々とは違い、その後の『記紀』神話から姿を消してしまいます。

 

1.アメノウズメとは

(1)『記紀』が記すアメノウズメ

父は太玉命、母は天比理刀売命(あめのひりとめのみこと)。

「天孫降臨」の舞台では、道案内を渋る猿田毘古命を誘惑して説得。

「天岩屋戸」の舞台では、裸踊りをして観衆を魅了。

以上の神話からアメノウズメが果たした役割は「道化役者」といえましょう。

一方、最も輝きを放ったのが、祭主として「祝詞」を詠みあげる(中臣氏の祖)天児屋根命です。

アメノウズメとは「道化役者」としての俳優名ではないかとの推論に達し、本名は別ではないかと考えました。

(2)「百嶋神社考古学」から見るアメノウズメ

『記紀』が記す両親を否定しています。

太玉命は豊玉彦の別名、天比理刀売命の本名天豊津姫(あめのとよつひめ)は第二代懿徳天皇の皇后でしたが、建盤龍命(けんばんりゅうのみこと)こと手研耳命(たけしみみのみこと)に略奪され、いつまでも一緒にいたので、周囲からは「天庇理刀売」という蔑称名で呼ばれていました。

庇はおなら」の意です。

「百嶋神社考古学」では、父スサノオ、母神大市姫(かみおちひめ)としています。

両親の婚姻経緯は「瀛(いん)氏金山彦と越智族大山祇との所謂百年戦争の調停」を担ったのがスサノオでした。

スサノオは調停報酬の代償として得たのが、金山彦の娘「櫛稲田姫」と大山祇の娘「神大市姫(かみおちひめ)」です。

詳しくは、第一話「瀬織津姫」をご覧ください。

どういうわけか、故百嶋氏作成の「神々の系図-平成12年考」に「アメノウズメ」が記されて

いません。

あるのは「辛国息長(しな)大姫(志那津姫)・大目姫」です。

故百嶋氏も「アメノウズメを俳優名」として認識していたのかも知れません。

 

2.アメノウズメの生い立ち

(1)出生地

出生地は、母神大市姫(かみおちひめ)、別名水神罔象女(みずはのめ)の支配地佐賀市金立

町周辺と推測します。

推測の傍証となるのが下記の神社です。

・金立神社   佐賀市金立町金立

徐福伝説で有名な金立山の中腹にあります。

ご祭神:保食(うけもちの)神(=天細女命)・罔象女神・徐福

不思議なのが、アメノウズメではなく「保食神」として祀られていることです。

では、「保食神」とはどのような神様でしょうか。

Wikipediaによると『記』には登場せず、『紀-神生みの段第十一の一書』にのみ登場する神様です。

「天照大神は月夜見尊(つきよみのみこと)に、葦原中國にいる保食神を見てくるように命じられ、早速、保食神の所へ行くと、保食神は陸を向いて口から米飯を吐き出し、海を向いて口から魚を吐き出し、山を向いて口から獣を吐き出し、それらで月夜見尊をもてなしました。月夜見尊は、吐き出したものを食べさせるとは汚らわしいと怒り、保食神を斬り殺しました。(中略)保食神の屍体の頭から牛馬、額から粟、眉から蚕、目から稗、腹から稻、陰部から麦・大豆・小豆が生まれました。」

以上の神話から「食物神・五穀豊穣の神」と呼ばれています。

『記』では、主人公月夜見尊をスサノオ、保食神を大宜都比売(おおげつひめ)としています。

故百嶋氏作成の「神々の系図-平成12年考」を熟視してください。

アメノウズメこと辛国息長姫の父はスサノオ、母は月夜見尊の娘、神大市姫です。金立神社のご

祭神「罔象女(みずはのめ)と神大市姫は同一神」ということになります。

したがって、「保食神の母は神大市姫、保食神とアメノウズメは同一」ということになります。

おそらく、アメノウズメの幼少時の名は「保食神」と推測されます。

忘れてならないのは、「牛馬の神」としてのご神格です。

東日本に多い駒方神社は「馬の神として保食神」を祀っています。

図 故百嶋氏作成の「神々の系図-平成12年考」

 

(2)幼少時代(幼児~12歳頃まで)

幼少時は佐賀県佐賀郡の背振山地の麓で、倭国王家や有力豪族の子女と共に育ったと推測されます。当時は「家族」という単位の概念がなく、専ら、母親とは違う養育者によって養育されていたようです。

当地では、養蚕や五穀の栽培、牛馬の飼育・鍛冶技術を教育されていたと推測します。

故百嶋氏は講演会で、瀬高の女山(そやま)のお姫様と述べています。

おそらく、12歳頃にアメノウズメは初めての支配地「山門郡(やまとぐん)」が与えられたと

推測します。

山門郡は現在の福岡県みやま市全域及び柳川市の一部を含む領域で、肥沃な筑紫平野に囲ま

れ、同郡内を流れる矢部川は有明海に注ぎ、交易ならびに水産業の基地でもありました。

アメノウズメの居住地は、現在のみやま市瀬高町女山(ぞやま)にあり、筑紫平野を一望できる地でした。

女山は一名「女山城」とも呼ばれていました。

瀬高町周辺は、数多くの遺跡や古墳群があり、一時は「邪馬台国の有力候補地」でもありました。

瀬高町女山には、以下の前方後円墳が有名です。

「権現山古墳」は卑彌呼の墓とも云われています。

「蜘蛛塚古墳」は景行天皇に征伐された田油津姫の墓とも云われています

図 「瀬高町女山」の周辺地図

写真 「女山」から出土した「首飾り」 出典:ブログ邪馬台国を歩くー瀬高町

写真 女山(昔は女王山と呼ばれた)から出土した銅矛 出典:ブログ邪馬台国を歩くー瀬高町

写真  四つの水門を持つ「女山神籠石」  出典:文化遺産オンライン

女山神籠石内にも古墳は存在します。

 

瀬高町女山地区は考古学的遺物から、代々「女首長」が存在したようです。

(3)娘時代(13歳~19歳頃まで?)

アメノウズメはその後、支配地替えにより田川郡(現在の田川市及び田川郡全域)へと移動します。

古代の「豊前国」は、宇佐郡と田川郡で構成され、そのうち田川郡は大河遠賀川の恵みを受け、農業と水運が発達し、加えて鉱物資源も豊富で。経済力は豊かでした。

「延喜式」神明帳に記載されている豊前の神社は六座で、その半分に当たる三坐は香春神社にあります。それぞれのご祭神は以下の通りです。

一ノ岳頂上・・・・辛国息長大姫大目命神社 正一位

二ノ岳頂上・・・・忍骨(おしほね)神社=天児屋根命 正一位

三ノ岳頂上・・・・豊比咩(とよひめ)神社 正二位

Wikipedia によると和銅二年(709)に山頂の三社を現在地に移動したのが現在の香春神社です。

香春神社は。古来より宇佐神宮と共に豊前国を代表する大神社でした。

辛国息長大姫大目命神社と忍骨神社に正一位の神階が与えられたのは承和十年(843年)で、奈良の大神(おほみわ)神社(859年)、石上(いそのかみ)神宮(868年)、大和神社(897年)が 正一位になおった年より遙かに早い昇階でした。

この恵まれた地を支配地とした「アメノウズメ」は名を「辛国息長大姫(からくにしなおおひめ)」に改めます。

さらに、家臣兼入り婿として阿蘇耳属の統領だった草部吉見こと忍骨命を迎え、軍事面も強化され

ました。

忍骨命は、辛国息長大姫と婚姻後は、名をめまぐるしく変えます。

天児屋根命→志那津彦

志那津彦の由来は、先祖の中国黎族「多将軍 別名志那津彦」にあやかったと、故百嶋氏は講演会

で述べています。

辛国息長大姫も「通称名志那津姫」と呼ばれていたようです。

その後、二人の間に生まれた御子は「九州では拝跪の神、近畿では御年神」と呼ばれ、後に「藤原氏によって贈られた孝安天皇」です。

どういうわけか、辛国息長大姫は志那津彦と別れることになりました。

おそらく、九州王朝による「嫁さんの取りかえ政策」によるものと推測します。

志那津彦はこの政策に従おうとせず、辛国息長大姫の新しい夫となった猿田彦を攻撃します。

『記紀』では、「神武天皇軍Vs長髄彦軍」の記事として描かれています。

神武天皇軍側に「天磐船こと饒速日命(にぎはやひのみこと)別名猿田彦」

長髄彦軍側に「安日彦(あんびひこ)こと志那津彦」

すなわち、志那津彦は「嫁さんの取りかえ政策」に叛旗を翻し、名を安日彦に改めます。

しかし、本気ではありません。直ぐに長髄彦軍から離脱します。

それでも納まらない志那津彦を宥めるため、九州王朝は一計を策します。

それは、『紀』が記す「天照大神の御子天忍穂耳命(あめのおしほみみみのみこと)」です。

この一計に協力した人物について、宮原誠一氏は“ブログ神社見聞牒「008ヒミコ宗女イヨ」2017年5

月28日”に詳しく述べています。

この人物とは、以下の四人の女神です。

𣑥幢千々姫(たくはたちちひめ 高木大神の娘)

市杵嶋姫(スサノオの娘)

瀛津世襲足姫(おきつよそたらしひめ スサノオの娘)

天細女命(スサノオの娘)

構成はスサノオの娘三人、阿蘇耳族の実質的支配者高木大神の娘一人です。

それでも嫉妬心は消えず、現在でも福岡県の某地で喧嘩をしています。

男の嫉妬心も恐ろしいものがありますね。

写真  昔の香春岳(別名畝尾山)  出典:香春町役場

現在は閉山していますが、三ノ岳鉱山からは銅・亜鉛が採掘され、また三ノ岳

横鶴坑からは金・鉄鉱石・銅・鉛・亜鉛が採掘されていました。

五木寛之の小説『青春の門』の舞台ですよ。

 

 

次回は第六話「天細女命(2)」です。

 

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