キーワード
○コノハナサクヤヒメが育った地
○ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメの出会った場所
○コノハナサクヤ姫のその後
○前玉姫の憂鬱
○コノハナサクヤヒメの最期の地
はじめに
『記』では、「前玉姫」を天之甕主神(あめのみかぬしかみ=天照大神)の娘神とし、大国主
子孫の速甕乃多気佐波夜遅奴美神(はやみかめのたきさはやじぬみのかみ)」、「コノハナサクヤヒメの本名を「鹿葦津姫(かしつひめ)、亦の名を神吾田津姫(かむあたつひめ)」と記しています。
すなわち「前玉姫とコノハナサクヤヒメは別人」とするのが通説です。
私見は「コノハナサクヤヒメとは美しく咲き誇る花を体現化する女神としての通称名」と考えています。
百嶋神社考古学では、「コノハナサクヤヒメと前玉姫を同一人物」として捉え、父は越智族統領大山祇神(おおやまづみかみ)、母は刺国大神(さしくにおおかみ)こと白川伯王の娘草野姫(かやのひめ)、別名は埴安姫。大変格式の高い「お姫様」として育ちます。
このお姫様は、美しい花のように輝いていたことから「コノハナサクヤヒメ」と呼ばれました。
最初の夫ニニギノミコトと別れ、周囲のすすめもあって豊玉彦の妃に納まったのを契機に、名を相模国では「寒川媛(さむかわひめ)」と呼ばれ、武蔵国へ移動後は「前玉姫(さきたまひめ)」に改めます。
1.コノハナサクヤヒメが育った地
コノハナサクヤヒメの別名「神吾田津姫」にヒントがあると推測し、早速調査を始めました。
歴史的行政区域に「吾田(あた、あがた)地区」がありました。
宮崎県南那珂郡吾田村(現在の宮崎県日南市戸高)です。
同地は、日南市発足当初から行政の中心地区でもあります。
古代(おそらく2世紀初め~3世紀初め頃)の日向国は大山祇とその後継者大巳貴の支配地でした。
したがって、コノハナサクヤヒメが当地で養育された可能性は濃厚です。
その根拠となるのが、以下の神社です。
(1)日向国一宮 都農(つの)神社 宮崎県児湯郡都農町河北
主祭神:大己貴命 コノハナサクヤヒメの実の兄
写真 都農神社 出典:都農町観光協会
(2)日向国二宮 都萬(つま)神社 宮崎県西都市大字妻
主祭神:木花開耶姫尊
同社境内社 大山祇神社 主祭神:大山祇命
同社境内社 霧島神社 主祭神:瓊々杵尊
特殊神事「更衣祭」
写真 都萬神社 出典;同社HP
写真 都萬神社 「更衣祭」 出典:同社HP
毎年七月七日に催行 通称「七夕祭」
小さな人形ですが。白粉と口紅が塗られています。
(3)石貫神社 宮崎県西都市大字三宅
主祭神:大山祇神 木花開耶姫の父
同社には「鬼が木花開耶姫を嫁にもらいに来た」という不思議な伝承があります。
「鬼」とは誰を指すのでしょうか。
写真 石貫(いしぬき)神社 出典:九州御朱印巡り
(4)日向国総社三宅神社 宮崎県西都市大字三宅
主祭神:天津彦瓊々杵命 配祀神:天児屋根命・天太玉命
相殿神:木花開耶姫命ほか
2.ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメの出会った場所
二人の出会った場所について.『記紀』ともに「笠沙(かささ)の御前(みさき)」、現在の糸島半島東部付近としています。
私見は、現在の宮崎県日南市の日南海岸付近と推測します。コノハナサクヤヒメの父、
大山祇神の支配地は日向国、現在の宮崎県と推測されるからです。
地図 歴史的行政区分「宮崎県南那珂郡吾田村」
出典:歴史的行政区域 データセット小β版
赤線で囲った部分が「宮崎県南那珂郡吾田村」
3.コノハナサクヤ姫のその後
豊玉彦と再婚後、コノハナサクヤヒメは薩摩国へ移動します。
その痕跡を残すのが
前玉(さきたま)神社 鹿児島県霧島市溝辺町三縄
同社は、霧島溝辺空港の近くです。
ご祭神:福玉(さきたま)大明神
明神とは、仏教との習合により生まれた神で、本来のご祭神は「前玉彦・前玉姫」と推測されます。
豊玉彦は九州王朝の命で前玉姫を伴い、関東へ移動します。
前玉姫の宮は、埼玉県行田市大字埼玉にあったと推測します。地名の「埼玉」は埼玉
県発祥の地と言われています。
その痕跡を残すのが、
前玉神社 埼玉県行田市埼玉字宮前
ご祭神:前玉姫
同社は、埼玉古墳群の一つ浅間塚古墳頂上に鎮座し、社は古墳群に向って祈願するように建立されています。
注)埼玉(さきたま)古墳群
前方後円墳8基と円墳2基の大型古墳から成る古墳群。
同古墳群の一つ稲荷山古墳から出土した「金錯銘鉄剣」は、一代センセーションを巻き起こしました。
私も東京勤務時代、二度、従兄姉と一緒に見学しました。
皆さんは謡曲「桜川」をご存知ですか。
室町時代に幽玄能を大成させた世阿弥元清が茨城県内を舞台にした謡曲です。
「ああ桜川、桜子や 桜の雪か涙かな 筑紫を離れ 海山を越えて 花の名所の桜川
親子並びはつかねぬものを」
前玉姫の別名「桜姫」を「桜子」として謡われています。
もしかしたら、前玉姫は現在の埼玉県行田市及び茨城県桜川市内に支配地を有していたのかもしれません。
その傍証となるのが、
櫻川磯部稲村神社 茨城県桜川市磯部字稲置
ご祭神:天照皇大神・𣑥幡千々姫(父高木大神)・瀬織津姫命・木花佐久耶姫命・
天太玉命(豊玉彦)
稲置の地名に注目してください。当地に徴税官を置いていたのかも知れません。
写真 櫻井磯部稲村神社 出典:桜川市観光協会
4.前玉姫の憂鬱
夫豊玉彦には既に五人の妃が存在していました。
(1)高木大神の娘萬幡豊秋津姫(よろずはたとよあきつひめ)またの名宇奈岐姫
写真 宇奈岐日女(うなぎひめ)神社 出典:同社HP
ご祭神:国常立尊・国狭土尊ほかとありますが、『六国史』に見られるように
「宇奈岐日女一坐」と考えます。
農業の神、水神様として親しまれ、湯布院の守護神として崇敬されています。
(2)月讀命(つきよみのみこと)こと大山祇神(おおやまづみのかみ)の娘神大市姫
(かみおちひめ)またの名罔象女(みずはのめ)
豊玉彦は、スサノオの元を逃げ出した罔象女・櫛稲田姫の二人を匿った後、妃に迎え入れました。
私は、学生時代「箸墓(はしはか)古墳」の近くで「神大市姫の墓」という立て看板を
見たことがあります。
神大市姫は、その名が示すよう「各地に交易の場として市の必要性」を指導し、後に
「市場」として発展していきました。
写真 丹生川上(にゅうかわかみ)神社 奈良県吉野郡東吉野村大字小
出典:Wikipedia (2021/10/17 23:00)
本殿:罔象女神別名淤加美神 東殿:八意思兼命(=豊玉彦の別名)
西殿:綿津見神ほか。
神大市姫こと罔象女は「紙すきの技術」を指導したようです。
(3)スサノオの元を逃れ、豊玉彦の元に身を寄せた金山彦の娘櫛稻田姫(くしいなだ
ひめ)を、その後妃に迎えます。
(4)天之忍穂耳命と𣑥幡千々姫(たくはたちちひめ)の娘天豊津姫(あめのとよつひ
め)またの名阿蘇津姫
天豊津姫は懿徳天皇の皇后でしたが、阿蘇の建盤龍命こと手研耳命(たけしみみのみこと)に略奪され、名を阿蘇津姫に改めます。この不詳事に対して、父天之忍穂耳命を始めとして周囲は頭を悩ませ、終には豊玉彦の妃として送り込み、相模国へ移動後は名を杉山姫に改めます。
(5)スサノオと櫛稲田姫の娘武内足尼(たけうちすくに)またの名瀛津世襲足姫(おきつよ
そたらしひめ)
父スサノオの暴挙や兄ナガスネ彦の反乱により、武内足尼は夫天之忍穂耳命のもとを離れ、豊玉彦の庇護下に入り、後に妃となりました。
図 百嶋神社考古学極秘系譜
前玉姫を含め他の五人の妃には、それぞれ豊玉彦との御子がいました。
前玉姫にとって、将来を見据えると考慮すべき妃は、自分より若い瀛津世襲足姫別名
武内足尼・杉山姫・鴨玉依姫別名湍津姫で、彼女らの御子への処遇にも感覚を研ぎ澄ま
さねばならず、憂鬱な日々を送ったと推測します。
この憂鬱を吹き飛ばしたのが、夫豊玉彦です。見事に采配を振るい、六人の妃が満足
する処遇を御子たちに与えました。
前玉姫の御子神主玉命の末裔は山背国に根を下ろし、橘氏として繁栄したようです。
表 豊玉彦の家系
名前 | 血縁関係 | 出生年 | 亦の名など |
大幡主 | 父 | AD122年 | 神皇産霊神・熊野速玉男・大若子命 |
大日孁貴 | 母 | AD124年 | 後の卑彌呼 |
豊玉彦 | 本人 | AD144年 | 八咫烏・小若子命など |
豊秋津姫 | 最初の妃 | AD146年 | 宇奈伎姫 |
豊玉姫 | 母豊秋津姫 | AD165年 | 宗像三女神:田心姫・三穂津姫 |
神大市姫 | 二番目の妃 | AD148年 | 罔象女 |
八心大市彦 | 母神大市姫 | AD172年 | 父系越智族大山祇 母系瀛氏金山彦 |
櫛稲田姫 | 三番目の妃 | AD146年 | イカコヤ姫 |
鴨玉依姫 | 母櫛稲田姫 | AD179年 | 宗像三女神:湍津姫 |
杉山姫 | 四番目の妃 | AD165年 | 元懿徳天皇の皇后 |
天日鷲命 | 母杉山姫 | AD181年 | 鳥子大神 |
前玉姫 | 五番目の妃 | AD162年 | コノハナサクヤヒメ |
神主玉命 | 母前玉姫 | AD190年 | 橘一族の祖 |
瀛津世襲足姫 | 六番目の妃 | AD164年 | 武内足尼 |
武夷鳥命 | 母瀛津世襲足姫 | AD192年 | 菅氏の祖 |
注)生年は故百嶋氏の推定
(参考)豊玉彦の末裔
(1)白川伯王家
九州王朝倭国の神祇伯に任官、その伝統は明治時代初期まで続きました。
(2)忌部五部神(目的は産業革命の技術指導) ・
(3)筑紫・伊勢忌部 鍛冶集団
祖神 天目一箇神(あめのまひとつかみ)
(4)出雲忌部 玉の貢納集団
祖神 櫛明玉命(くしあからたまのみこと)
(5)紀伊忌部 材木の貢納 宮殿・社殿の造営
祖神 彦狭知命(ひこさちのみこと)
(6)阿波忌部 木綿(ゆう)・麻布の貢納集団
祖神 天日鷲命(あめのひわしのみこと)
(7)讃岐忌部 竹・盾の貢納
祖神 手置帆負命(たおきほおいのみこと)
5.コノハナサクヤヒメの最期の地
豊玉彦没後は武蔵国から離れ、現在の福島県猪苗代町に移動し、父母の霊を祀る生活で一生を終えたと推測します。
その痕跡と推測されるのが
磐橋神社 福島県猪苗代町字西峰
同社は式内社・勅祀社、神階正一位、陸奥国神従四位、会津総産土神(うぶすな)と
され、大変格式の高い神社です。
主祭神:大山祇命(前玉姫の父)・埴山姫命(はにやまひめのみこと、前玉姫の母)
配祀神:木花咲耶姫
写真 同社境内の「大鹿桜」 出典;猪苗代町観光協会公式HP
開花時は白色で、その後ピンク色に変わり、最後は鹿の色に似る
ことから「大鹿桜」と呼ばれています。
おわりに
失念していたことが二点あります。
(1)宗像三女神の構成
・白族 瀛津島姫(おきつしまひめ)別名市杵島姫・須勢理姫
・白族 田心姫(たごりひめ)別名豊玉姫・三穂津姫
・瀛氏(えいし) 湍津姫別名鴨玉依姫・神直日
以上の女神様は、古代における最大豪族のお姫様達です。
(2)コノハナサクヤヒメの別名
かぐや姫
次回は、第五話「天細女命(あめのうずめのみこと)」です。