写真 住吉大社の「ご神紋“木瓜(もっこう)」 出典:住吉大社HP
○宇道稚郎子(うじのわかいらっこ)のその後
○仁徳天皇の宮「難波の高津宮」
○仁徳天皇の東遷
1.宇道稚郎子(うじのわかいらっこ)のその後
少年期の開化天皇が乳人豊姫(めのとゆたひめ)とわりない仲になり、誕生したのが宇道稚郎
子です。
仁徳天皇の異腹兄で、年齢差は5歳ほど年長と推測します。
皇后の御子ではないため、王位継承権順位は下がります。本来ならば、武内宿禰と同様に家臣
に降り、「宿禰」となるはずですが・・・。
おそらく「皇子」の呼称にこだわったのでしょう。それが禍(わざわい)となり、最後には粛
正を受け殺されたと推測します。
2.仁徳天皇の宮「難波の高津宮」
『記紀』が記す「難波の高津宮」について、現在の大阪市天王寺区東高津町の府立高津高校敷
地内にある「宮址の碑石(みやあとのひせき)」、大阪市中央区高津の「高津宮(こうづぐ
う)」が候補地として比定されていますが、いずれも考古学的根拠に乏しく「難波の高津宮」と
は考えられません。
私見は、大阪市住吉区住吉の「住吉大社」周辺に「「難波の高津宮」が存在していたと推測しま
す。
根拠は、同社の「祭神」と{神紋}にあります。
第一本宮 底筒男命(そこつつおのみこと、即ち開化天皇)
第二本宮 中筒男命(なかつつおのみこと 即ちツヌガアラシトこと贈崇神天皇)
第三本宮 表筒男命(うわつつおのみこと 即ち安曇礒良)
第四本宮 神功皇后(開化天皇の皇后)
いずれも仁徳天皇が父開化天皇と関係の深い神々を祭祀しているからです。
また、同社の「神紋“木瓜(もっこう)”」は開化天皇を表わしています。
加えて同社の社家は代々「津守氏」が受け継いでいます。
「津守氏」の名の由来は「津を守る」にあります。
『新撰姓氏録』は、「津守宿禰、尾張宿禰と同祖で火明命(ほあかりのみこと)の後裔」として
いますが、私見は「綿積豊玉彦命(わたみとよたまひこのみこと)の後裔」と考えています。
何故ならば、火明命(=彦火々出見命)と仁徳天皇は直接的関係が認められず、九州王朝第一位
の「白川伯王家(しらかわはくおうけ)の後裔である津守氏が社家として最も相応しい。」と考え
ています。
写真 住吉大社の「ご神紋“木瓜(もっこう)」 出典:住吉大社HP
写真 住吉大社角鳥居 出典:Wikipedia(2021/10/28 9:45)
鳥居が「角柱」です。覚えていると役立ちますよ。
写真 住吉神社独特の「住吉造」
ブログ“神社見聞牒”を主催する宮原誠一氏は、福岡県那珂川市山田の「正一位高津神社」周辺
が「高津宮」ではないかと指摘しています。
同社の祭神:豊宇家毘売神(とようけひめのかみ)
詳しくは同氏のNO.98 「仁徳天皇と那珂川の高津神社」をご覧ください。
佐賀県背振山南麓の旧三瀬村・旧茂安町を中心とする三養基郡には仁徳天皇を祀る若宮神社
が驚くほど鎮座しています。
図 福岡県那珂川市「高津神社」周辺地図
写真 正一位高津神社 出典:ブログ“神社見聞牒” NO.98 「仁徳天皇と那珂川の高津神社」
鳥居に注目してください。下へ行くほど柱が太い”肥前鳥居”です。
写真 「高津神社」由緒 出典:同上
3.仁徳天皇の東遷
故百嶋氏は講演会で、「仁徳天皇東遷で第一次九州王朝は終わった。」としていますが、その
詳細は述べていません。
次回は「仁徳天皇第三次御神霊護送船団」(1)です。