第五十八話  番外編「「都怒我阿羅斯等」

写真 「久麻加夫等阿良加志比古神社」で行われる「お熊甲(くまかぶと)祭」

国の重要文化財  出典:石川県旅ねっと

高さ20㍍余りの真紅の大枠旗30数基と金色に輝く20基の神輿。華やかな色彩の鳥兜を被り、狩衣を着け、面貌をかぶった猿田彦の乱舞や鉦・太鼓のリズムは華麗にして荘厳な中にも地方色極めて豊かな情趣を醸し出す美観は全国でも稀に見る祭礼として重要文化財に指定されました。

○都怒我阿羅斯等(ツヌガアラシト)とは

○ツヌガアラシトを祀る神社

1.都怒我阿羅斯等(ツヌガアラシト)とは

『日本書紀-垂仁天皇二年条』

「御間城天皇の世に、額に角有りたる人、船に乗りて越國の筍飯浦(けひのうら)に停泊した。

故、其処を名付けて角鹿(つぬが)と云う。いずこの國の人かと尋ねると意富加羅國の王子、名は

都怒我阿羅斯等。亦の名を于斯岐阿利叱智干岐(うしきありしちかんき)と云う。」

故百嶋氏は、ツヌガアラシトの名の由来を、「ツヌガは敦賀、アラは安羅で、朝鮮半島の安羅

と敦賀を支配地としていた」と述べています。

図 2世紀前半から3世紀末の朝鮮半島地図

出典:故百嶋由一郎氏作成図に古川清久氏加筆

正式な国名は「安羅伽耶(あらかや)現在の慶尚南道咸安(はんあん)郡」で、対馬とは指

呼の距離にあります。

ツヌガアラシトは大伽耶国の王子ではなく、安羅伽耶国の国王です。

同盟国の首長国家「金官伽耶国王越智族金氏」は国王を初めとして主立った人物が陸続と倭

国に来朝し、3世紀前半頃には「金官伽耶国を初めとして、阿羅国・大伽耶国等は、国王を九

州王朝から派遣されていた。」と推測します。

ツヌガアラシトの父大山咋(おおやまくい)のまたの名“安羅鍛冶彦(あらかじひこ)”は九

州王朝から安羅国王に赴任していました。

西暦228年、孝霊天皇による「第二次九州王朝御神霊護送船団」の“梶取り”として倭国に帰国

したため、ツヌガアラシトが後継者として安羅国に赴任したと推測されます。そして、対馬南

方を経由して日本海流にのり、角鹿に拠点を構えたようです。

2.ツヌガアラシトを祀る神社

○氣比(けひ)神宮 福井県敦賀市曙町、旧角鹿(ツヌガ)郡に立地。

「北陸総鎮守」「越前国一宮」として知られています。同社の祭神 は以下のとおりです。

本殿:伊奢沙別命(いさざわけのみこと)

境内第一摂社角鹿神社:都怒我阿羅斯等命

「気比宮社記」によれば、当社の祭神は伊奢沙別命の一柱としています。故百嶋氏によれば、伊

奢沙別命はスサノオのまたの名としています。

では、同社の祭祀はこのような配置(主がスサノオ、従がツヌガアラシト)になったのでし

ょうか。

この点については「応神天皇」で説明します。

『古事記』が記す気比大神、『日本書紀』が記す笥比大神とは、朝鮮半島南部の安羅から角賀

(ツヌガ)を往復したツヌガアラシトこそが気比大神と考えられます。

○「現人(あらひと)神社」 福岡県筑紫郡那珂川町

博多の住吉神社の元宮ともいわれています。

主祭神:底筒男命(=開化天皇) 中筒男命(=ツヌガアラシト)表筒男命(=安曇磯良)

相殿  神功皇后 級長津大神 安徳天皇

「現人神社略縁起」によると、主祭神は“都怒賀阿羅斯等命”で、意富加羅国(大伽耶)の王子

で垂仁天皇の時代に新羅の姫(比売語曽神、阿加流姫またの名磐長姫)を追って、この地に鎮

座したという。

この伝承は、ツヌガアラシトが朝鮮半島南部と北部九州をつなぐ最短の基地として、那珂川

町に進出し、孝元天皇に父の大山咋と共に臣従するための拠点であった可能性がうかがえま

す。

写真  氣比神宮 出典:Omairi

写真  現人神社  出典:同社HP

写真 現人神社「扁額」

○久麻加夫等阿良加志比古神社(俗称「熊甲(くまかぶと)神社

石川県中島町宮前ホ部

ご祭神:阿良加志比古神・都奴加阿良斯止神

親子で祀られています。

写真 「久麻加夫等阿良加志比古神社」 出典:石川県神社庁

写真 「久麻加夫等阿良加志比古神社」で行われる「お熊甲祭」

国の重要文化財 出典:石川県旅ねっと

 

次回は「垂仁天皇」です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真  氣比神宮 出典:Omairi

 

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