写真 坐摩(いかすり)神社三ツ鳥居 別表神社
大阪勤務時代、何度も参拝に行った懐かしい神社
大阪市中央区久太郎町四丁目 出典:同社HP
ご祭神:坐摩(いかすり)神(生井神・福井神・綱長井 神・波比砥神・阿須波神の総称)
生井(いくゐ)神 生き生きとした井
福井(きくゐ)神 栄える井
綱長井(つながゐ)神 生命の永い神
波比砥(はびき)神 境界・屋敷の神
阿須波(あすは)神 基盤・屋敷の神
○正統な天皇か
○皇后と御子
○大吉備諸進命(おおきびもろすみのみこと)
○大日本根子彦太瓊尊(おおやまとねこひことふとにのみこと)
○波比岐神(はびきのかみ)
○御年神(みとしかみ)
○宮と陵墓
1.正統な天皇か?
故百嶋氏は、正統な天皇ではなく藤原氏によって贈られた天皇と 指摘しています。
「神々の体系-平成12年考」によると、父は草部吉見(かやべよしみ)こと天之忍穂耳命
(あめのおしほみみのみこと)、母は志那津姫(しなつひめ)またの名を辛国息長大姫(から
くにしなおおひめ)、腹違いの兄に天足彦(あまたらしひこ)こと彦座王(ひこますおう)が
います。
2.皇后と御子
(1)『古事記』
姪忍鹿比売命(おしかひめのみこと)を娶り、生まれた御子は大吉備諸進命(おおきび
もろすすみのみこと)、大倭根子日子賦斗邇命(おおやまとねこひこふとにのみこと)の
二柱。
不思議なことに姪(めい)の忍鹿比売命の両親の記述がなく、誰を差しているのかも不
明です。
(2)『日本書紀』
姪押媛(おしひめ)を立てて皇后とす。后、大日本根子彦太瓊天皇が生まれます。
『古事記』と同様に押媛の両親が記述されていないばかりか、生まれた御子を天皇と呼んで
います。
この胡散臭い話を鵜呑みにしないでくださいと呼びかけているようです。
(3)故百嶋氏説
正統な天皇ではありませんので、皇后は存在しません。正妻は古許牟須姫(こけむすひ
め)。古許牟須姫の父はDVで評判の悪いニニギノミコト、母はコノハナサクヤ姫としていま
す。
二人の間に生まれた御子は武凝国別(たけくにこりわけ)で、腹違いの弟に大足彦(おお
たらしひこ)またの名天種子(あめのたねこ)としています。
大足彦は後に藤原氏によって贈景行天皇と呼ばれるようになりました。
3.大吉備諸進命(おおきびもろすみのみこと)
その名を分解すると「大吉備」と「諸進(もろすみ)」に分けることが出来、「大吉備」と
云えば、吉備津神社の主祭神「大吉備津彦」と関わりがあるかのように見えますが、管見では
一切関わりがありません。
「諸進(もろすみ))」は、『日本書紀-崇神紀』では、出雲国造振根を誅殺する武諸隅(た
けのもろすみ)として登場します。
武諸隅は「神々の系図-平成12年考」によれば、父ウガヤフキアエズ、母下照姫(したてる
ひめ)の間に生まれた王子で、通称「出雲の坊ちゃん」と呼ばれ、大吉備諸進命と同一人物と
考えられます。
4.大日本根子彦太瓊尊(おおやまとねこひことふとにのみこと)
贈孝安天皇の皇太子ではありません。正統天皇懿徳天皇と天豊津姫との間に生まれた正統天皇
孝霊天皇です。
5.波比岐神(はびきのかみ)
波比岐神(早岐神とも表記)とも拝跪神(はいきのかみ)とも呼ばれ、またの名が御年神(み
としかみ)です。
同神を祀る神社
疋野神社 熊本県玉名市立願寺
ご祭神:波比岐神 相殿:父神の大年神(おおとしのかみ)
写真 疋野神社 出典:同社HP
波比岐神またの名拝跪神は、九州地方における名で、それ以外の地では「御年神」と呼ばれて
いたようです。
写真 坐摩(いかすり)神社 別表神社
大阪市中央区久太郎町四丁目 出典:同社HP
ご祭神:坐摩(いかすり)神(生井神・福井神・綱長井神・波比砥神・阿須波神の総称)
「延喜式」神明帳・宮中の条に「座摩坐祭神五坐」として「生井神・福井神・綱長井神・波比砥
神・阿須波神」の名を掲げています。
6.御年神
御年神の行動領域は、父天忍穂耳命こと大年神とほぼ一致し、父大年神と共に出雲へ出兵後は
但馬・播磨方面が活躍の場と推測します。
故百嶋氏は、御年神を「九州王朝特務機関長」と述べています。特務機関長とは現代で云えば
「スパイ組織の親玉」を指します。
一体、誰の情報収集を進めていたのでしょうか。
ヒントは「腹違いの弟」です。
御歳神(みとしかみ)を祀る神社
香良洲(からす)神社 三重県津市香良洲町
ご祭神:稚日女尊(わかひるめのみこと)・御歳神
稚日女尊は御歳神の父親違いの妹細姫(ほそひめ)こと壱與(いよ)で、後に孝霊天皇の皇
后となります。
写真 香良洲神社 出典:津市観光協会公式サイト
7.宮と陵墓
正統な天皇ではないため、宮は存在しません。陵墓は父大年神と同じく、葛城掖上(かつらぎ
わきがみ)の博多山に葬られたと推測します。
次回は「孝霊天皇」(1)です。