第四十一話  安寧天皇(師木津日子玉出見命)

師木津日子玉出見命(しきつひこてまでみのみこと)とは

玉手箱には何が収められていたのか

○『日本書紀』が記す安寧天皇の御子

○『古事記』の不思議な記述

 

1.師木津日子玉出見命(しきつひこてまでみのみこと)とは

安寧天皇こと師木津日子玉出見命に関し、故百嶋氏は口をつぐんでいます。また「神々の系

図-平成12年考」にも記されていません。「自ら解答を見出しなさい」と問いかけているよう

です。

ヒントは『日本書紀』が記す「磯城津彦玉手看天皇」の「玉手看(たまてみ)」とは「玉手

函」のことと故百嶋氏はメモに残しています。

既に、大幡主のまたの名に師木津日子があることは紹介しました。

したがって、師木津日子玉出見命とは、「玉手筥」を見た師木津日子こと大幡主です。

皆さんは室町時代に作られたお伽噺「浦島太郎」をご存知ですか。

文献では『日本書紀』・『万葉集』・『丹後国風土記逸文』に「浦島子」として登場しま

す。

主人公「浦島子」は大幡主をモデルとしています。

安寧天皇こと師木津彦玉出見命別名浦島子を祀る神社

野島神社  宮崎市大字内海

ご祭神:塩筒翁別名大幡主浦島太郎・猿田彦

猿田彦の父は大幡主 二神の関係が明瞭です。

宇良神社(浦嶋神社)  京都府与謝郡伊根町本庄浜

ご祭神:浦島子・月讀命後の大山祇命

タノカンサー(田の神様)とは「大幡主と大山祇命」の擬神体です。

写真  野島神社・宇良神社(浦嶋神社)

出典:ひぼろぎ逍遥スポット233 『古事記』中つ巻 安寧編

2.玉手箱に何が収められていたのか

全くの推測かもしれませんが、白川伯王家の“象徴である玉(ぎょく)”ではないかと考え

ます。「玉を入れる箱を玉手箱」と称したのかもしれません。

「玉(ぎょく)」は、しばしば中国王朝の象徴でもありました。

「玉は翡翠」で間違いないでしょう。翡翠は加工され「勾玉」となり、倭国王兼奴国王であ

った白川泊王家は「呉の太白の裔大率姫氏に倭国王を禅譲する際に、後に「三種の神器のひと

つとなる玉(ぎょく)」を献上したと推測します。

写真  四葉地区遺跡出土 勾玉 出典:板橋区立郷土資料館HP

勾玉はヒスイ製で、1辺20mの大型方形周溝墓から出土。

現時点では日本最大の勾玉。

長さ7.4㎝×最大径2.4㎝ 7.4g

3.『日本書紀』が記す安寧天皇の御子

「渟名底仲媛(ぬなかそこなかつひめ)を立てて、皇后とする。一書に云はく、磯城縣主葉

江の娘川津媛(かわまたひめ)といふ。是より先に后、二人の皇子が誕生し、第一子をば息石耳

命、第二子をば大日本彦耜友天皇ともうす。一に云はく三皇子が誕生す。第一子は常津彦某兄

(とこねつひこいろね)、第二子は大日本彦耜友天皇ともうす.第三子は磯城津彦命ともうす。」

「神々の体系-平成12年考」によると、

大日本彦耜友天皇は、神武天皇と金山彦の娘アイラツ姫との間に生まれた懿徳天皇、磯城津彦

命は大幡主の別名としています。

息石耳命(おきいしみみのみこと)は、その名にある「耳」から阿蘇族「多氏」と推測されま

す。

磯城津彦命は大幡主の別名です。

したがって、『日本書紀』が記す贈安寧天皇の系譜は信ずるに足りません。

4.『古事記』の不思議な記述

不思議なことに師木津日子玉出見命の三男師木津日子命(しきつひこのみこと)の系譜のみ

を記しています。

「神々の体系-平成12年考」によると

長男の和知都美命(わちつみのみこと)は彦火々出見命とスサノオの娘大目姫こと天細女命の

御子です。実の妹が「卑彌呼宗女壱與」です。。

次男の大日本彦耜友天皇は懿徳天皇です。

三男の師木津日子命(=大幡主)の御子は、伊賀の須知(現在の三重県伊賀市周辺)の稲置、

那婆理(現在の三重県名張市周辺)の稲置、三野(現在の岐阜県大垣市周辺)の稲置と記してい

ます。

「稲置」とは、当時の国の下部組織、現代で云えば地方自治体の「市或いは郡」と推測しま

す。

既に紹介しましたが、大幡主は本州へ移動後、伊勢国も支配地としていました。

おそらく現地で娶った夫人から出生したとは子供達が、伊勢国周辺の稲置として自立したと推

測します。

太安万侶は師木津彦が大幡主であること知っていたはずです。

知っていたからこそ、このトリックを思いついたのでしょう。

 

次回は「懿徳天皇」です。

 

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