第百十八話  「欽明天皇」(2)

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写真 「檜隈坂合陵」拝所

 

○欽明天皇の皇后・妃と御子

○蘇我大臣稲目宿禰の台頭

○欽明天皇の陵墓

 

1.欽明天皇の皇后と御子

・即位前紀

宣化天皇の娘石姫(いわひめ)を立て皇后。御子は二男一女。

長子箭田珠勝大兄(やたのたまかつおおえの)皇子、次子譯語田渟中倉太珠敷(おさたのぬな

かくらふとたまの)尊、三子笠縫皇女またの名を狭田毛皇女。

・二年三月 五人の妃を娶る。

(1)皇后の妹稚綾姫皇女 一男

石上皇子

『日本書紀-宣化天皇紀』では、倉稚綾皇女と記されています。

(2)皇后の妹日影皇女 一男

倉皇子

皇后の妹としていますが、『日本書紀』編纂者は明らかに檜隈高田天皇の娘としています。実体がよ

くわからないので、後の人はよく考えてほしいと結んでいます。

歴史学者は全く根拠を示さず、檜隈高田天皇は宣化天皇の「諱(いみな)」と断じています。

答えは「欽明天皇≠檜隈高田天皇」しか考えられません。

御子の倉皇子は『古事記』では、「宗賀の倉王」とあります。

(3)蘇我大臣稲目宿禰の娘堅盬姫(きたしひめ))七男六女

大兄皇子是を橘豊日尊と云う②磐隈皇女またの名を夢皇女③アトリ皇子④豊御食炊屋姫(とよみけ

かしやひめ)尊⑤椀子(まりこ)皇子⑥大宅皇女⑦石上部皇子⑧山背皇子⑨大伴皇女⑩櫻井皇子⑪肩

野皇女⑫橘本稚皇子⑬舎人皇女

相変わらず脈絡のない名前が羅列されています。

(4)堅盬姫の妹小姉君 四男一女

①茨城皇子②葛城皇子③泥部穴穂部皇女④泥部穴穂部皇子またの名を天香子皇子⑤泊瀬部皇子

まるで安康天皇と雄略天皇の御子のような名前ですね。

(5)春日日爪臣の糠子(あらこ) 一男一女

①春日山田皇女②橘麻呂皇子

春日氏は山背では和邇氏、大和入りしてから「春日氏」を名乗るようになりました。娘の糠子は、

『記紀』に仁賢天皇即位前の妃「糠君娘(あらきみのいらっこ)」と同一人物と推測され、したがっ

て、娘の春日山田皇女は仁賢天皇の皇女と推測されます。

橘麻呂皇子は、(3)の⑤椀子皇子と同一人物と推測されます。『日本書紀』は御子の数が多いと必ず

混乱した記事が目立ちます。頭を捻ると訳がわからなくなるようです。

写真 アトリ(獦子鳥) 出典:鳥類図鑑

2.蘇我大臣稲目宿禰の台頭

(1)十七年秋七月条

天皇、蘇我大臣稲目宿禰を備前国の児島郡に派遣し、屯倉を設置。葛城山田直瑞子を田令(屯倉の監

督官)に任命します。

児島郡は、干拓によって「児島半島」を形成していますが、当時は瀬戸内航路の要衝地帯だったと推

測します。

写真 児島半島の航空写真  出典:Wikipedia(2022/ 06/12 12:20)

五年間の松山市在住時代、「瀬戸大橋」を鉄道で三十回以上渡りました。「車内」からの風景も素晴

らしいですよ。

(2)十七年冬十月条

蘇我大臣稲目宿禰を倭國の高市郡に派遣し、韓人大身狭(からひとおほむさの)屯倉と高麗人小身狭

(おむさの)屯倉を設置。

続いて、紀國の海部屯倉を設置。

紀國海部は巨大な領域で、現在の名草郡の海側に位置し、海へ突出した地域で構成され、現在の和歌

山市・海南市・有田市の一部を含み、後の紀州和歌山藩の領域に重なります。また、紀伊山地に源を

もつ河川の多くが、紀州藩の領内に河口を有し、交易・戦略的にも重要な地域といえましょう。

或本によれば、韓人大身狭と高麗人小身狭は屯倉の監督官“田令”として任命されたとあります。

私見は驚くべき仮説です。驚かないでください。

上記記事の主語は「天皇ではなく蘇我大臣稲目宿禰」と推測しています。

(3)蘇我大臣稲目宿禰の「姓(かばね)の“宿禰”」とは

私見は、「姓の宿禰は天皇の皇子が臣下に降った際に賜る姓」と解釈しています。

では、どの天皇の皇子だったのでしょうか。

『古事記-欽明記』は、春日の日爪臣の娘、糠子郎女との間に誕生したのが、春日の山田郎女、

麻呂古王、宗賀(そが)の倉王の三柱としています。

「宗賀の倉王」は、名前からも明らかなように蘇我氏の血筋を曳いていると考えられます。

蘇我氏の始祖と推測される蘇我石川宿禰は九州に集中する印鑰(いんにゃく)神社の神として祀られ

ています。

「印は蔵の封をする印鑑で政治権力を表わし、鑰(かぎ)蔵の鍵で財政を表わします。」

したがって、「宗賀の倉王」は欽明天皇の皇子かもしれません。臣下に降り、朝廷の財政を預かる重

要な役目に就いていたと推測されます。

 

3.欽明天皇の陵墓

『日本書紀』は「檜隈坂合陵」。他方、『古事記』は記述がありません。

欽明天皇陵墓候補地は一定していないのが現状です。

(1)梅山古墳(檜隈坂合陵) 奈良県明日香村平田

六世紀後半の 前方後円墳 全長140㍍

宮内庁は後円部のみを治定し、前方部は自由に見学できます。巨大な横穴式石室があり、

二つの石棺が置かれています。

見学した印象は存在感の薄い「欽明天皇」とイメージが重なりません。

写真 「檜隈坂合陵」拝所 出典:Wikipedia(2022/06/12 17:30)

(2)丸山古墳  橿原市見瀬町・五條野町・大軽町に跨がる古墳

六世紀後半の前方後円墳 墳丘長318㍍ 横穴式石室全長28.4㍍、羨道は一枚の長さ4.8㍍の巨大な自

然石六枚で天井を覆い、長さは20,1㍍、内部には刳抜式家形石棺が2基あります。

四十年以上前、社宅から近く何度も見学しました。

存在の薄い欽明天皇の陵墓とはとても考えらず、被葬者は、膨大な経済力を有す「蘇我大臣稲目宿

禰」と推測しています。

後に、間違いに気づきます。

写真 「丸山古墳」航空写真 出典:Wikipedia(2022/06/12 17:30)

図  梅山古墳周辺図

見づらいですが、中心が「梅山古墳」です。

 

 

次回は「仏教公伝」です。

 

 

 

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