第三十四話 「神武天皇」(3)

写真  宮崎県西諸県郡高原(たかはる)町 「狭野神社」参道 出典:高原町観光協会

一の鳥居からは、狭野神社まで約1.3㎞の参道が続いています。

写真からも、参道の奥域の広さが想像できます。

 ○「正統天皇」と「別(わけ)天皇」の区別

 ○神武天皇の出生地

 ○『古事記』・『日本書紀』が記す神武天皇東遷経緯と経路

 

1「正統天皇」と「別(わけ)天皇」の区別

    表「初代から第十六代までの古代天皇」

代数 諡号 古事記 日本書紀 区分・生年
初代 神武天皇 神倭伊波礼毗古命 日本磐余彦天皇 正統122年
第二代 綏靖天皇 神沼河耳命 神渟名川天皇 贈120年
第三代 安寧天皇 師木津日子玉出見命 磯城津彦玉手看天皇 贈110年
第四代 孝霊天皇 大倭日子鉏友命 日本彦耜友天皇 正統142年
第五代 孝元天皇 大倭根子国押人命 大日本根子彦國牽天皇 正統140年
第六代 孝安天皇 大倭帯日子国押人命 日本足彦國押人命 贈138年
第七代 懿徳天皇 大倭根子日子賦斗邇命 日本根子彦太瓊天皇 正統142年
第八代 孝昭天皇 御真津日子訶恵志泥命 觀松彦香殖稻天皇 贈140年
第九代 開化天皇 若倭根子日子大毗毗命 稚日本根子彦大日日天皇 正統225年
第十代 崇神天皇 御真木入彦印恵命 御真木入彦五十瓊殖天皇 贈195年
第十一代 垂仁天皇 伊玖米入日子伊沙知命 活目入彦五十狭茅天皇 贈198年
第十二代 景行天皇 大帯日子淤斯呂和気天皇 大足彦忍代別天皇 贈200年
第十三代 成務天皇 若帯日子天皇 稚足彦天皇 贈220年
第十四代 仲哀天皇 帯仲日子天皇 足仲彦天皇 贈215年
第十五代 応神天皇 品陀和気命 輿田別天皇 贈240年
第十六代 仁徳天皇 大雀命 大鷦鷯天皇 正統242年

驚くべきことに十六代のうち、六人が正統天皇、十人が贈天皇としています。仁徳天皇を除いて、正統天皇を『古事記』では「」、『日本書紀』では「日本」の称号が付されています。「日本根子(やまとねこ)」とは、日本の根本を意味し、「和気・別は別王(わけおう)」と区別しています。

2.神武天皇の出生地

故百嶋氏は神武天皇の両親について、「父倭国王師升(ししょう)、母は大幡主の姉神玉依姫(かみたまよりひめ)とし、出生地を糸島半島」と述べています。

幼少期の名は「狭野命(さののみこと)」で、宮崎県西諸県郡高原町付近で育ちました。

狭野神社   宮崎県西諸県郡高原町大字蒲牟田

主祭神:神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)

相殿神:神武天皇のお后吾平津媛命

写真  狭野神社 出典:高原町観光協会HP

注)故百嶋氏は「地名の高原(たかはる)」について、本来の地名は「姫治(ひめはる)」であったが、九州王朝の痕跡を消すために地名表記が変更されたと述べています。

図  高原町歴史さんぽ道 出典::高原町観光協会HP

3.『古事記』・『日本書紀』が記す神武東遷の経緯と経路

(1)東遷の経緯

『古事記』の記述からは「王位を継げない、また支配地を持たない兄五瀬命(いつせのみこと)と弟神倭伊波礼毗古命(かむいわれひこのみこと)には「宮」などあるはずもありません。有り体に言えば“居候生活”です。

それを物語るのが以下の記述です。

・「いずれの地に行けば、我らの天下を為すことが出来るだろうか.やはり東方に求めよう。」と筑紫に向かう。

・豊國の宇沙に辿りついたとき、当地の宇沙都比古・宇沙都比売から足一騰宮(あしひとつあがりのみや)を住まいとして与えられ、歓待を受けたものの、当地を去らざるを得ず、  筑 紫の岡田宮に一年滞在。

・その後、安岐の国の多祇理宮(たぎりのみや)に七年滞在後、吉備の高島宮に八年滞在。

注)多祇理宮・高島宮は現在でも特定されていません。

他方、『日本書紀』は東遷の経緯を盬土老翁(しおつちのおきな)のアドバイスとしています。

「東に良き地あり。青山が四方を廻る。天磐船(あめのいわふね)に乗って飛び降りる者がい

る。飛び降る者は饒速日(にぎはやひ)といい、既に都作りをしている。」

両書を読む限り、二人は王位を継げない環境に甘んじることが出来なかったようです。故古田武彦氏は著書で「神武天皇を傍流の王」と指摘しています。

(2)東遷経路

『古事記』が記す行路も不可解です。

日向→筑紫→宇沙→筑紫→速吸の門(豊予海峡)とありますが、筑紫へ戻る理由が不明です。宇沙→速吸の門→安芸→吉備という経路が自然だと思うのですが。

他方、『日本書紀』が記す東遷経路が相応しいとする見解が多数です

太安万侶は何故、矛盾に満ちた経路を記したのでしょうか。

加えて「岡田宮・足一騰宮・(・)多祇理宮・(・)高島宮」の遺跡は未だに発見されていません。

もうお気づきでしょう。トリックを仕掛ける余裕がなく、ただひたすらに創作を続けたのです。

(3)登場する神々と人物について

五瀬命 父金山彦 母大市姫(おちひめ),兄ではなく義兄です。

・弟神倭伊波礼毗古命 初代神武天皇

ただし、途中で自称神武天皇ことツヌガアラシト(贈崇神天皇)に入れ代わっています。

宇沙都比古・宇沙都比売

宇沙都比古は父日中咋(ひなかくい)、母は不明。阿蘇族「多氏」の末裔。通名生目入彦(いくめにゅうひこ)で、藤原氏によって贈られた贈垂仁天皇です。

宇沙都比売は、当時「宇沙国女王」で父ウガヤフキアエズ、母は奈留多姫。通名百姫(ももひめ)。

二人の関係は主人宇沙都比売、家臣宇沙都比古。

盬土老翁(しおつちのおきな)

九州王朝ナンバーワンの実力者白族(ぺーぞく)統領大幡主

饒速日(にぎはやひ)

故百嶋氏のメモに「饒速日は彦火々出見命(ひこほほでみこと)」と記され、猿田彦と饒速日は同一神です。

 

次回は「神武天皇」(4)です。

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