写真 世界遺産「殷墟」王宮の魔除けの門”殷鳥居” 中国河南省安陽市
出典:Wikipedia(米国)(2022/01/30 09:20)
写真 佐賀県嬉野市谷所乙 「八天神社」の”殷鳥居”
出典:じゃらんNET
ご祭神:火の神(瀛氏(いんし)金山彦)
○少名毗古那の両親
○少年期の名「少名彦(すくなひこ)」
○青年期の名「事代主」
○大神(おおみわ)神社との関係
1.少名毗古那(すくなひこな)の両親
『古事記』は、父をカミムスヒこと出雲の御祖(みおや)としていますが、両神の活躍年代は明らかに違い、父子関係は認められません。
故百嶋氏は、母は海神豊玉彦の娘豊玉姫、父は不詳としていますが、神紋は「レバノン杉」が使われていることより、レバノン系ではないかとし、豊玉姫は少名毗古那を連れ子に大己貴命へ嫁いだと述べています。
2.少年期の名「少名彦(すくなひこ)」
大国主の少年期の名「大奴彦(おおなひこ)」に因んでつけられたと推測します。
3.青年期の名「事代主」
父親違いの兄、ウガヤフキアエズが指揮していた「大矢口物部軍」の後継者であった嫡男の安曇磯良が開化天皇の親衛隊長に転出したため、事代主が代わって、「大矢口物部軍」の軍事指揮官として活躍すると共に統治能力にも非凡な能力を発揮したようです。
「神々の系図-平成12年考」によると、熊甲安羅鍛冶彦(くまかぶとあらかじひこ)こと大山咋(おおやまくい)と鴨玉依姫との娘活玉依姫(はえたまよりひめ)を妃に迎え、誕生したのが、五十鈴姫(いすずひめ)と高倉下(たかくらじ)です。
高倉下は大矢口物部軍を率い、紀の国から尾張へ進出し、名古屋市熱田区高蔵の地名譚になっています。高倉下はその活躍により、「尾張国造の祖」と呼ばれるようになりました。
五十鈴姫は姫蹈鞴五十鈴姫(ひめたたらいすずひめ)とも表記され、ツヌガアラシトこと贈崇神天皇の正妃です。
故百嶋氏は「事代主は難しい。多くの神社に祭神として潜り込む性癖があり、実態は捉え難い。」と述べています。
崇神天皇の御代に「大田多禰子(おおたたねこ)」が現れますが、事代主と同一人物と述べています。
事代主を祭神とする神社を調査すると、「夷・恵美須(えびす)様」「蛭子(ひるこ)神」「酒造りの神」などが挙げられ、どれが実態なのか判然としません。
僅かな手がかりは、佐賀県神埼市背振町鹿路の「鹿路(ろくろ)神社」のご祭神として、葛城一言主、後に葛城大明神とも呼ばれました。ここでは、大率・紀氏(きし)を初めとして有力部族子弟の保護と教育係を務めていたようです。
奈良県桜井市にも「鹿路地区」があります。興味深いですね。
4.大神(おおみわ)神社との関わり
故百嶋氏は大物主神について「義理の大物主は大国主、真の大物主は大山作、代理の大物主は事代主」と述べています。
奈良県桜井市三輪の大神(おおみわ)神社
ご祭神:大物主神
配祀神:少彦名神
ちゃっかり、潜り込んでいます。
○大神神社の三ツ鳥居
三ツ鳥居は別称「瀛鳥居(いんとりい)」とも呼ばれ、瀛氏金山彦を祀る「徴(しるし)」です。
事代主の妃活玉依姫は瀛氏統領の血筋で、この夫婦の関係は主人活玉依姫、家臣事代主となります。したがって、鳥居は「瀛鳥居」になります。
写真 大神神社も三ツ鳥居(別名「瀛鳥居」)出典:同社HP
○ 大神神社の神紋「三本杉」
故百嶋氏はこの「三本杉をレバノン杉」と述べられています。「日ユ同祖論」でも取り上げられています。
図 神紋「三本杉」 出典:同社HP
図 大神神社「案内板マップ」 出典:同社HP
次回は「大年神の系譜」です。