第二十四話  海幸彦と山幸彦

写真  和多都美神社大鳥居再建プロジェクト 出典:同社HP

○.登場人物

・兄火照の命、海佐知毗古 天忍穂耳命、

・弟火遠理の命は山佐知毗古 彦火々出見命

・塩椎の神 大幡主 彦火々出見命の父

『日本書紀』は「塩椎の翁が山幸彦を我が吾子と呼んでいます。」

・海神の娘 豊玉姫

・海神   豊玉彦

○海神の助言

○綿津見宮と干珠と満珠の関係にかかる諸説

 

 1.登場人物

    太安万侶が記述する山幸彦こと彦火々出見命は故百嶋氏作成の「神々の体系-平成12年考」

に一致します。

(具体例)山幸彦の妃豊玉姫、豊玉姫の父海神豊玉彦

ところが、海幸彦こと天忍穂耳命について、天照大神の御子と記述しておきながら、散々の態

(てい)で、最後には山幸彦の守護兵にまで落ちぶれていきます。

天忍穂耳命の名の「耳」は阿蘇「耳族」を名乗る「徽(しるし)」で、太安万侶自身も阿蘇族

「多(おお)氏」の末裔ですから、この記述は異様です。

 2.海神の助言

(1)この鉤を兄上にあげるときは貧乏鉤で悲しき鉤だと云って呟き、 後ろ向きに渡しなさい。

(2)兄上が高いところに田を作られる時は、あなたは低いところにお作りなさい。また、兄上が

低いところに田を作れば、あなたは高いところに田を作りなさい。そうすれば、私は水を掌

っていますから、三年の間に必ず兄上は貧しくなりましょう。

(3)もし、このようなことで恨んで攻められましたら、塩盈つ珠を出して溺れさせ、あるいは謝

罪してきたならば、塩乾る珠を出し、生かして苦しめなさい。」と申されて、塩盈つ珠と塩

乾る珠併せて二つを授けられました。

  故百嶋氏が作成した「神々の体系-平成12年考」によると

・山幸彦と海幸彦は本当の兄弟ではありません。

・海幸彦と隼人との関係も認められません。

3.綿津見の宮と干珠と満珠の関係にかかる諸説

(1)故古田武彦氏が指摘する「対馬の豊玉地区の和多都美神社」説

和多都美(わたつみ)神社は、満潮の時、社殿の近くまで海水が満ち、その様は竜宮を連想

させ、海神にまつわる玉の井伝説の遺跡跡や満珠瀬(みつるたませ)・干珠瀬(ひるたま

せ)・磯良恵比須(いそらえびす)の磐座(いわくら)など旧跡の多い神社で、古くから「海

宮(わたつみのみや)」と称し、現在のご祭神は彦火々出見尊と豊玉姫尊ですが、『對州神社

誌』は渡海(わだつみ)大明神、『大小神社誌』は彦火々出見尊と鵜茅葺不合尊(うがやふき

あえずのみこと)、『神社大帳』は祭神二坐とあります。

同社の縁起・伝承から当社は綿津見の宮の候補に相応しく思えますが、肝心の干珠と満珠に

関する伝承は存在しません。

写真  和多都美神社大鳥居再建プロジェクト 出典:同社HP

寄付金の申し込みは終了しています。目標金額を大幅に達成できて喜ばしいことです。

現在、同社は野卑無謀な韓国人ガイド及び韓国人旅行者による犯罪・暴力・妨害などに対して

「韓国人旅行者の拒否」を訴えています。行政は「韓国びいき」で腰が引けています。日本独自の文

化遺産を行政が護らなくてどうするのですか。

故百嶋氏は、同社は彦火々出見命と豊玉姫の新婚旅行先と述べています。

(2)志賀海(しかうみじんじゃ)神社(福岡市東区)

現在のご祭神は底筒男命、中底筒男命、表底筒男命の綿津見三神ですが、志賀島勝馬地区か

ら現在地に移転するまでは底筒男命のみを祭祀していたとの伝承を伝えています。

本来は、底筒男命(そこつつおのみこと)こと開化天皇と安曇磯良を祀っていたようです。

同社も綿津見の神の象徴である干珠・満珠の神事や伝承は伝わっていません。

同社には、県の無形文化財に指定されている「山誉種蒔(やまほめたねまき)漁猟祭・山誉

漁猟祭(通称、山誉め祭)」と云う神事が伝わっており、志賀三山(勝山・衣笠山・御笠山)

を祓い、三山をほめ(山誉め)、次いで鹿を射る所作(狩りの行事)、鯛を釣る所作(漁の行

事)を行う神事で「海幸彦・山幸彦」説話を髣髴とさせ、また、同社は神楽歌として「君が

代」が歌われていることで有名です。

写真  志賀海神社に伝わる「山誉め祭」出典:福岡市の文化財HP

(3)香椎宮(かしいのみや 福岡市東区)

『筑前國風土記逸文』では、「筑紫の國に至れば例に先づ哿襲の宮に参詣づ。哿襲は可紫比

なり」とし、筑紫で最も格式の高い神社といわれています。

ご祭神は仲哀天皇・神功皇后の二坐、ご配祀神は応神天皇・住吉大神の二坐で、綿津見の宮

に関する縁起・伝承は見られません。

末社の濱男(はまお)神社のご祭神は不詳ですが、『香椎宮編年記』は「濱男大明神、此の

神、神功皇后西征の時、海上を司り給ひし神なり」とし、濱男大明神を底筒乃男命ではないか

としています。

また、同じ末社の三島神社はご祭神が綿津見神一座としています。すなわち、同社の本来の

ご祭神は綿津見神で「住吉大神若しくは底筒乃男命」であった可能性がうかがえます。

同社も干珠と満珠に関する伝承は伝わっていません。

(4)住吉神社(福岡市博多区)

住吉神社は全国で2129社があり、そのうち同社は住吉三神を祀る神社の中で最も古く、筑前

国一宮でもあります。ご祭神は住吉三神で、住吉三神とは底筒男神・中筒男神・表筒男神の総

称ですが、本来のご祭神は志賀海神社も香椎宮と同様に底筒男神(そこつつおのかみ)と考え

られます。

大阪にある住吉大社の境内摂社である大海(わたつみ)神社のご祭神は豊玉彦命、玉依姫命

で、『神名帳考証』には大綿津見神、玉依姫命がみられるものの、前記住吉神社と同様に干

珠・満珠の神事や伝承は伝わっていません。

ただし、下関市の住吉神社と直接の関係は認められませんが、山口県の伝説「干珠島・満珠

島」(山口県小学校教育研究会国語部編集)によると、この二つの島は現在の下関市長府町沖

の干珠島(岸に近い小さな島)・満珠島(沖の大きい島)」とする伝説が紹介されています。

干珠・満珠についてはそれぞれの島に埋納したとの説もありますが、現在に至るまで発見さ

れていません。また、神功皇后と関係が深い豊浦宮跡ともいわれる忌宮(いむのみや)神社に

も干珠・満珠は伝わっていません。

(5)宗像大社(宗像市田島)

『宗像神社史』によれば、神功皇后の勅命により、宗大臣(そうのだいじん 強石将軍と同

じく宗像大菩薩の化現)が“御手長(みてなが 赤白揃いの旗を竹竿にさしたもの)”を振り下

ろし給えば、藤大臣(とうのだいじん)乃ち高良大菩薩が干珠を海に入れて潮を干し(干潮を

指す)、次に宗大臣が同じく御手長を振り上げ給えば、藤大臣が満珠を乗り入れて潮を満ち上

らしめる(満潮を指す)奇瑞を顕したとされ、この劇的な干満の潮の奇瑞によって新羅兵は水

没し、新羅は降伏しました。

宗大臣は宗像大神とされていますが、現在、同社のご祭神は三女神(タギツ姫、イツキ姫、

タギリ姫)とされています。

同神社には干珠・満珠の所在を示す伝承や綿津見の宮に関する伝承も残されていません。

(6)高良大社(福岡県久留米市御井町)

同社は筑後国一宮で、ご祭神は高良玉垂命(こうらたまたれのみこと)、住吉大神、八幡大

神ですが、元々はタカミムスヒを祀っていたようです。

高良神が高良山に現れ、高木神に一夜の宿を借りたいとの申し出を受けて譲ったところ、高

良神は結界を張って鎮座したという伝承が伝えられています。

すなわち、タカミムスヒ(高木大神)の追放です。

『高良玉垂宮縁起』によれば、神功皇后が三韓征伐の時、筑前四王寺峰に登り戦勝の祈願を

していたところ、住吉神と高良神が示顕し、高良神は自ら皇后と共に従軍し、名を藤大臣と称

したことに始まるといわれます。この藤大臣が干珠・満珠を以て、新羅を降伏させましたが、

その後の干珠・満珠の行方については語られていません。

写真   高良大社   出典:同社公式HP

神紋は「木瓜紋」

 

次回は「少名毗古那の神」です。

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