写真 熊本城内「王昭君の間」
○金官伽耶国第四代国王金越智こと宇摩志阿斯訶備比古遅は、何故倭国を目指したのか。
○越智族金氏の先祖「王昭君」
○月讀命とは
3.金官伽耶国第四代国王金越智こと宇摩志阿斯訶備比古遅は、何故倭国を目指したのか。
(原因)
(1)弁辰国の鉄鉱石採掘場の枯渇。
(2)製鉄・精錬過程における火力源の森林が枯渇。
(3)人材の払底
(対策)
(1)鉄鉱石に代わる良質な砂鉄を求めて倭国薩摩の地へ大挙して移
動
(2)豊富な山林のある日向に木材伐採基地を確保
(3)朝鮮半島と九州の中継基地として壱岐島を確保
「原の辻遺跡」
4.越智族金氏の先祖「王昭君」
王昭君は「中国四代美人」の一人で、「悲劇の主人公」としてつとに有名です。
前漢の元帝の時代、匈奴の呼韓邪単于(こかんやぜんう)が漢の女性を閼氏(あっし 匈奴の
言葉で君主の妻)として迎えたい希望を元帝に願い出たところ、王昭君が撰ばれ、紀元前33年呼韓
邪単于の閼氏として嫁ぎ、一男を儲けました。その後、ほどなく呼韓邪単于が亡くなり、義理の息子
復株累和鞮単于に再嫁し、二女を儲けたとの記録が『後漢書』に残されています。
彼女は揚子江中流域の現在の湖北省興山県の出身とされ、同地は古代より錦の機織りが盛んな
地で、少数民族トウチャ族が247万人住んでいる事で知られています。
故百嶋氏は「おそらく王昭君を月氏の血筋」と考えていたようです。しかしながら、秘密を打ち
明けることなく亡くなりました。
王昭君一族は匈奴から離れ、月氏の庇護下に入り、その後、一族は韓半島に入り、倭族と同化し、越智族金氏を形成していったのではないかと推測します。
写真 熊本城内「王昭君の間」 越智族金氏の先祖 出典:熊本市HP
熊本城主加藤清正の少年時代を育てたのは、豊臣秀吉の正室「ねね」でした。加藤清正は「ねね」に対する思慕の念が篤く、「ねね」の実家木下家が「王昭君の裔」とする言い伝えを実現したのが「王昭君の間」です。
写真 熊本城内「王昭君の間」
5.月讀命
『古事記』は、「伊弉諾命が黄泉の国から戻ったとき、右の目を洗われたときに成るところの
神」を月讀命としています。
いわゆる「三貴子」のひとりです。
「百嶋神社考古学」では、父金官伽耶国第四代国王金越智こと宇摩志阿斯訶備比古遅、母は天之御中主(またの名白山姫)です。
鹿児島市桜島横山町の月讀神社は「月讀命の出生地」といわれています。
写真 月讀神社 鹿児島県鹿児島市桜島横山町 出典:同社HP
写真 皇大神宮別宮「月讀宮」 出典:同社HP
写真 豊受大神宮別宮「月夜見宮」 出典:同社HP
図:「白(ぺー)族・金氏・許氏」系図
次回は「國狭槌命」です。