はじめに
平成26年6月に脱稿した拙稿『古代史の疑惑 P15』で取り上げたのが「禍を直す神伊豆能売」でし
た。
当時は、「古代の神々」に関する知識が乏しく、そのままになっていましたが“ブログひぼろぎ逍
遥”を主催する古川清久氏から、2018年10月21日に実施された「大宰府地名研究会トレッキング報
告」が送られてきました。
内容は伊豆能売神を祀る四神社でした。その後、同トレッキングに参加していた“ブログ神社見聞
牒”を主催する宮原誠一氏が2019年1月14日に公開された「No.089 伊豆能売神(三穂津姫)を祀る
福岡県遠賀郡の伊豆神社」に詳細な報告が印象に残っていました。
現在公開している“古代史山ちゃんブログ”の原稿を書き上げている途中で、「伊豆能売神」に取り
かかることが出来ませんでした。
ようやく、令和四年十二月に同ブログの最終原稿が完成し、「謎の女神シリーズ」として取り上げ
ることにしました。
何分にも三年有餘に亘る“コロナ禍”で現地取材が出来ず、多くは、古川氏と宮原氏のブログを参考
にしました。
キーワード
○伊豆宇能売神(いずのめかみ)とは
○伊豆能売神を祀る神社
○伊豆能売神の「伊豆(イズ)」とは」
○豊玉姫の別名
○豊玉姫のその後
1.伊豆能売神(いずのめかみ)とは
Wikipediaによれば、「(古事記)神生みにおいて伊弉那岐命が黄泉から帰ってきた際、黄泉の穢
れから禍津日神二柱(大禍津日神・八十禍津日神)が生まれ、その禍津日神がもたらす禍(災厄)
を直すために、直毘神二柱(神直毘神・大直毘神)と伊豆能売が生まれた。」とあります。
『延喜式』神名帳では
「杵築大社(現在の出雲大社)坐伊能知比売神社」のご祭神と記されています。
この伊能知比売神社の後身が、出雲大社境内社の「神魂伊豆之賣(かもすいずのめ)神社 通称天
前社(あまさきのやしろ)」と考えられます。
出雲大社公式HP
ご祭神:蚶貝比売(きさがいひめ)・蛤貝比売(うむぎひめ)
ご由緒「大国主大神がお若い頃に多くの試練をお受けになり、大火傷を負われました。この時祖神の
御令により、大神に治療看護に当たられた貝の女神を祀ります。」
図 出雲大社の境内マップ 出典:出雲大社公式HP
ご祭神の蚶貝比売(きさがいひめ)・蛤貝比売(うむぎひめ)について、『日本書紀』に以下の
記事があります。
「八上比賣は、大穴牟遅命の兄弟八十神の求婚を拒絶し、大穴牟遅神に嫁ぐことを宣言します。こ
れを受け入れることの出来ない八十神は火計を巡らし、大穴牟遅神は大火傷を負い、瀕死の状態に陥
ります。
この状況を泣き嘆いた御祖命(みおやのみこと 母親を指す)は、息子の蘇生を願うため天上の神産
巣日神(かみむすひのかみ)のもとへ向かいます。母親の願いを聞き入れた神産巣日神は蚶貝比売と
蛤貝比売を派遣しました。二人の女神による懸命な蘇生術と看護術により、大穴牟遅命は無事蘇生
し、回復しました。」
同記事に登場する神々について、故百嶋氏は講演で以下のように述べています。
八上比賣=?
神産巣日神=大幡主
蚶貝比売=市杵島姫(父スサノオ 母大幡主の娘阿加流姫 弟は豊玉彦)
蛤貝比売=豊玉姫(父豊玉彦 母豊秋津姫)
大穴牟遅命、後の大国主は大幡主(おおはたぬし)の孫娘市杵島姫を娶り、かつ豊玉彦の娘豊玉
姫の入り婿として迎えられます。
その結果、古代における豪族達が羨むほどの女神を手に入れました。
大穴牟遅命は、その後倭国の中期親衛隊長として揺るぎない地位を獲得し、豊玉彦の後継者として
名を大国主に改めます。
図「大穴牟知命」画 青木 繁 出典:アーディソン美術館
注)左キサガイヒメ(赤貝) 右ウムギヒメ(蛤) 中央大穴牟知命
2.伊豆能売神を祀る神社(福岡県遠賀郡)
・伊豆神社 福岡県遠賀郡遠賀町島津丸山
ご祭神:伊豆能売神(いずのめのかみ)
・久我神社(元伊豆神社) 福岡県遠賀郡水巻町古賀1丁目
ご祭神:彦火々出見命(=饒速日命、豊玉姫の元夫)・彦波瀲武鵜草葦不合尊(彦火々出見
命と豊玉姫の御子)・玉依姫命(=鴨玉依姫 市杵島姫の御子 別名神直日)
・伊豆神社 遠賀郡水巻町頃末北2丁目
ご祭神:彦火々出見命・玉依姫命(=鴨玉依姫)・盬土老翁(しおつちのおきな=大幡主
豊玉姫の祖父)
・伊豆神社 福岡県遠賀郡水巻町
ご祭神:彦火々出見命・玉依姫命
以上の神社のご祭神から、伊豆能売神が豊玉姫である可能性が窺えます。
・菅田比賣神社 奈良県大和郡山市筒井町
ご祭神:伊豆能売神
・鹿島玉川神社 東京都青梅市長淵
ご祭神:建御雷之男神(=豊玉彦 たけみかづちのおのかみ)・大穴牟遅神・伊豆能売神・豊
玉毘売神
豊玉姫は、彦火々出見命と別れた後に、大国主を婿に迎え、東国へ移動したようです。
図 遠賀郡の四神社周辺地図 出典:ブログ神社見聞牒No.089
図 「神々の体系-平成12年考」
3.伊豆能売神の「伊豆(イズ)とは
故百嶋氏が講演会で、彦火々出見命と豊玉姫は対馬で新婚生活を三年ほど送り、誕生したのが
鵜草葦不合尊(うがやふきあえずのみこと)と述べています。
この経緯を潤色したのが『記紀』が記す「海幸彦・山幸彦神話」並びに「海神の娘豊玉姫神話」
とも述べています。
海神(わだつみ)神社〔対馬国一宮〕 長崎県対馬市峰町木坂
主祭神:豊玉姫命
配祀神:彦火々出見命・宗像神(=大国主 元夫)・道主貴(=豊玉姫の別名)・鵜茅草葦
不合命(豊玉姫の御子)
“ブログひぼろぎ逍遥No.434 イズノメは何故「イズノメ」と呼ばれたのか”で古川清久氏は興
味深い投稿をしています。
先年亡くなられた対馬の郷土史家と言うより民俗学者の永留久恵氏の名著であり大著の「海神と天
神」の第三部 民俗編 第四章 「イヅ山とホリ山」(255~267p)記事を紹介しています。
「伊豆能賣の伊豆とは対馬の厳原(イヅバル)でその原型が木坂の海神神社の社地の居津山(伊豆
山)、居ツ原(イヅバル)である。(中略)…「イヅとは、イツクことである。神を斎き鎮める意
で、居著くことでもあり、祾威、厳とも書く。またホリとは「葬り」に相違ない。保利の山中が古い
葬地であったことから見て、この見解に疑いの余地はない。」と記しています。
古川清久氏は「対馬の木坂の海神神社の裏にある居津山、居ツ原こそが対馬の厳原」と結論されて
います。
写真 永留久惠著『「海神と天神 第三部 民俗編 第四章 「イヅ山とホリ山」(255~267p)
出典“ブログひぼろぎ逍遥No.434 イズノメは何故「イズノメ」と呼ばれたのか”
4.豊玉姫の別名
(1)若狭姫
父豊玉彦の支配地の一つである対馬で三年間の新婚生活を過ごした後、豊玉姫に初めての支配
地「若狭国」が与えられ、夫彦火々出見命と共に赴任します。若狭国に因んで名を「若狭姫」に改
めます。
その痕跡を残すのが、若狭姫神社です。
・若狭姫神社(若狭一宮) 福井県小浜市遠敷
「若狭一宮」は上社と下社の総称ですが、上社を「若狭彦神社」、下社を「若狭姫神社」と呼んで
います。
若狭彦神社のご祭神:若狭彦(彦火々出見命)
若狭姫神社のご祭神:若狭姫(豊玉姫)
写真 若狭姫神社 出典:福井県観光公式サイト ふくいドットコム
(2)伊豆能売神
数年後、豊玉姫は新支配地(現在の遠賀川中流域周辺)へ夫彦火々出見命と共に赴任し、名を
伊豆能売に改めます。
その痕跡を顕著に残す久我神社(元伊豆神社) 福岡県遠賀郡水巻町古賀1丁目
(3)田心姫(たごりひめ)命
九州王朝による「嫁さんの取り替え」政策に従い、彦火々出見命と別れた豊玉姫は、少名彦命
(父親は不詳)を連れ子に大己貴命、後の大国主命に嫁ぎ、名を田心姫に改めます。
その痕跡を残すのが以下の二神社と推測します。
・田島神社 佐賀県唐津市呼子町加部島
同社は佐賀県最古の神社として有名です。
ご祭神:田心姫命・市杵島姫(別名瀛津島姫・須勢理姫)・湍津島姫(別名鴨玉依姫)
中尊は田心姫命です。
写真 田島神社 出典:Wikipedia(02/12/2023 11:35)
・宗像大社 福岡県宗像市田島
住所地の「田島」に注目してください。明らかに田島神社と関係がありそうです。
ご祭神:宗像三女神(田心姫命・市杵島姫・湍津島姫)
同社には、かって「高宮」があり、故百嶋氏は「高宮で祀られている神は大国主」と講演会で
述べています。
「高宮」は現在取り壊されており、痕跡は「高宮の参道」が残っているだけです。
(4)三穂津姫
九州王朝の命により、大己貴命は関東に派遣されます。移動経路に当たる駿河国の三保で一
時滞在したようです。その痕跡を示すのが
御穂(三保)神社 静岡県静岡市清水区三保
ご祭神:三穂津彦命(大己貴命)・三穂津姫命(豊玉姫)
三穂の地に因んで「三穂津姫命」と呼ばれていたようです。
その後、豊玉姫と大己貴命は別行動をとったと推測します。
主家筋の姫である豊玉姫に忠節を尽くし、民に優しい農業政策を実施した彦火々出見命と違
い、大己貴命は野心家で、現代で云えば家庭を省みない人物だったと推測します。
いつしか二人の関係は冷え切り、別居状態になったようです。
それに引き換え、別れた夫彦火々出見命は新たな嫁、スサノオの娘天細女命(後の伊勢神宮外
宮 様)を娶り、二人は亡くなるまで睦まじく暮らしたようです。
豊玉姫は、九州王朝の「婚姻政策」に失望していたのかも知れません。
写真 三保松原と富士山 出典:Wikipedia 13/02/2023 09:15)
(5)爾穂津姫(にほつひめ)
・八幡古表神社 福岡県築上郡吉富町大字小犬丸字吹出浜
同社には伝統的神楽「八乙女舞」が伝承されています。
写真 八人の天女 原典:故百嶋氏のメモ 出典:宮原誠一氏神社見聞牒「No.089 伊豆
能売神(三穂津姫)を祀る福岡県遠賀郡の伊豆神社」
故百嶋氏は、2012年時点での各天女の年齢を記しています。
最も若い天女は「美奴売(みぬめ)大神こと八女津姫」で、豊玉姫より69歳若いことが確認で
きます。
したがって、時代は「開化天皇の御代に八乙女舞」が開始されたと推認できます。
理由は、同社が伝える「細男舞(傀儡舞)」の主人公のモデルは開化天皇と伝えているからです。
5.豊玉姫のその後
おそらく、父豊玉彦を頼り関東へ移住したと推測します。その痕跡と推測されるのが
・御穂鹿島神社 東京都港区芝
ご祭神:武甕槌命(=豊玉彦 京都下鴨神社のご祭神建御雷命)
豊玉姫の名はありませんが、同社の社名は「御穂+鹿島」であり、「御穂」は御穂津
姫」、「鹿島」は鹿島神宮のご祭神武甕槌命と推測します。
また、豊玉姫は前夫彦火々出見命を慕い、交流していたのではないでしょうか。
大国主の独立に伴い。彦火々出見命は武甕槌命(=豊玉彦)の後継者として出世し、名を「経
津主命(ふつぬしのみこと)」に改めます。
経津主命を主祭神とする「香取神宮」は、鹿島神宮と対の神社と呼ばれています。香取神宮の境
外社に佐山神社があり、同社のご祭神は、経津主命と縁のある「田心姫」が祀られています。
・佐山神社 香取市香取
ご祭神:田心姫命(たごりひめのみこと)
思い出深い「伊豆能売」の名ではなく、「田心姫」としているのが興味深いですね。
豊玉姫の晩年は、父豊玉彦・前夫彦火々出見命の近くでひっそりと余生を送ったと推測します。
おわりに
彦火々出見命(ひこほほでみのみこと)こと別名猿田彦の名の由来について、故百嶋氏は「猿田を
赤米研究田」と述べています。
すなわち、「猿田(赤米研究田)に没頭する姿」から、彦火々出見命は「猿田彦」と呼ばれていた
のかも知れません。
Wikipediaによると、赤米(あかまい)はイネの栽培品種のうち、玄米の種皮または果皮の少なくと
も一方(主に種皮)にタンニン系の赤色素を含む品種で、野生のイネの殆どは赤米で、一般的に吸肥
能力が強く、病害虫や気候変化など環境変化に強い特徴を備えています。
一方、丈が長く倒れやすく、収量が少ないのが難点です。
紀元前以前から、特に九州では多く栽培されていたようです。その名残を残すのが下記の神社です。
多久頭魂(たくつたま)神社 長崎県対馬市上県町佐護湊
ご祭神:多久頭神・天照大神・日子穂々出見命・彦火能邇々芸尊・鵜茅草葦不合尊葦
日子穂々出見命の表記に注目すると「穂々はイネ、出見はイネの開花」と推測されます。
同社は、現在も「赤米の神田」を保ち、田植神事が続けられています。
なお、対馬の南西部対馬市下県町豆酘にも同名の神社がありますが、周囲は1㍍以上の草が生い茂
り、昔日の面影はありません。
宝満神社 鹿児島県熊毛郡南種子町茎永
ご祭神:玉依姫
次回は第三話「イワナガヒメ」です。