第百十話 「継体天皇 和風諡号男大迹(おほど)天皇」(1)

○最初の候補者 足仲彦天皇(仲哀天皇)五世の孫「倭彦王」 

○本命、誉田天皇五世の孫彦太尊(ひこふとのみこと) 

  最初の候補者 足仲彦天皇(仲哀天皇)五世の孫「倭彦王 

    小泊瀬幼武天皇には継嗣が無く、生前から後継者の選定に悩み、大伴金村大連に候補者の選

   定を急がせました。 

    最初の候補者は、丹波國の桑田郡(現京都府亀岡市周辺)に住む足仲彦天皇(仲哀天皇)五

   世の孫倭彦王でしたが、迎えの兵の多さに怖じ気山間に逃亡します。 

  (1)丹波國の桑田郡とは 

    現在の京都府亀岡市周辺における著名な神社 

   ・丹波國一宮「出雲大神宮 京都府亀岡市千歳町千歳 

      ご祭神:大己貴命 その妻三穂津姫(豊玉彦の娘豊玉姫)・男大迹 天皇 

      本来は二柱で、男大迹天皇は後に合祀したと推測されます。 

      創建は崇神天皇再興の後、元明天皇和銅二年(709)に初めて社殿を造営。 

   写真 亀岡市千歳町千歳「出雲大神宮」 出典:同社HP 

・出雲大神宮より古いとされる「小川月神社」 

  写真 小川月神社 京都府亀岡市馬路町月読 出典:ガイドブックに載らない京都 

    ご祭神:月読命 明治以前は「月読社」と称しました。 

   別名は大山祇神(おおやまづみのかみ)、後継者は大己貴命です。

    

 (2)倭彦王とは 

    丹波國桑田郡は、「倭彦王」やその先祖を祀る神社が管見にはみえません。 

    すなわち、『日本書紀』編纂者の創作としか思えません。 

     「倭彦王」とよく似た古代史上の人物に「倭彦命」がいます。 

     神武神話に「椎根津彦または槁根津彦」として登場しますが、「百嶋神社考古学」では、

    ツヌガアラシトこと自称神武天皇と共にヤマトの「纏向地区」へと進出し、後裔が「大倭国

    (やまとこく)現在の奈良県香芝市・北葛城郡・王寺町全域」へ入植しました。 

    「大倭国は、その後大養徳国・大倭国と表記が改められ、天平宝宇元年(757)に大和国」

    となります。 

     もうお解りでしょう。倭彦命は3世紀初め頃に活躍した人物で、丹波國とは縁もゆかりも

    ありません。 

     倭彦命はAD197年生まれで、足仲彦天皇(贈仲哀天皇 AD215年生)五世の孫であるわけ

    がありません。 

 (3)大伴金村大連とは 

     第六十話で紹 介した〔大伴氏系図〕では 

      始祖 天忍日命(あめのおしひのみこと)別名興津彦 

         父草部吉見命(かやべよしみのみこと)母烤幡千千姫 

      妃は海幸彦こと天忍穂耳命と市杵島姫の間に生まれた興津姫 

      主人は格上の興津姫、家臣が興津彦という関係 

     大伴氏の家系は、興津彦直系の孫生目入彦(贈垂仁天皇)が大 伽耶国王に転出したため、

    新たに大伴氏の姓を九州王朝から賜 り、数代を経て大伴室屋が家長となり、九州王朝の重臣

    として活躍します。 

   〔大伴氏家系図〕 

     天忍日命―日中咋―大伴氏数代―大伴室屋―大伴談(かたり)-大伴金村 

  表 興津姫を中心とする系図  

  名前  関係  生年  またの名など 
素戔嗚尊  曾祖父  AD127  天手力雄命 
阿加流姫  曾祖母  AD130年   
天忍穂耳命  祖父  AD138  海幸彦・安日彦・贈孝昭天皇 
市杵島姫  祖母  AD147  瀛津姫・須勢理姫 
興津姫  本人  AD160年   
大山咋  実弟  AD162  熊甲阿羅鍛冶彦 
日中咋  御子  AD178   
生目入彦    AD198  贈垂仁天皇 

    大伴氏の血筋は「白族額大幡主系」と推測されます。 

  図 故百嶋由一郎作成「最終神代系譜(一部)

 

2.本命、誉田天皇五世の孫彦太尊(ひこふとのみこと) 

   大伴金村大連は、物部麁鹿火大連・許勢男人大臣らの同意を得て、「男大迹王」を推薦しま

  す。 

   男大迹天皇またの名は彦太尊(ひこふとのみこと).誉田天皇の五世の孫、彦主人王(ひこうし

  のおう)の子なり。母は振媛.活目天皇の七世の孫なり。 

   近江國の高嶋郡の三尾の別業(別邸)より、使いを遣わして三國の坂仲井に振媛を迎えたとい

  う。 

(1)物部麁鹿火大連とは 

    第百九話で紹介しましたが、『日本書紀』編纂者は「蘇我氏を物部氏」に改変しています。

   物部麁鹿火の「麁鹿は蘇我」で、物部氏ではありません。 

    蘇我氏は瀛氏(いんし)金山彦の直系で、九州王朝を絶えず支えてきた忠臣中の忠臣で、大

   臣に相応しい家系です。 

 (2)許勢男人大臣とは 

     第八十九話の「武内宿禰系図」で紹介しました。始祖は許勢小柄宿禰で、原郷は肥前国旧

    巨勢郡高尾村(現在の佐賀市巨瀬町大字牛島) 

     私見は、許勢男人は大臣ではなく大連と推測しています。 

(3)男大迹天皇の父彦主人王とは 

    『日本書紀』を読む限り、彦主人王の本貫地は現在の福井県坂井郡周辺で、 飛び地に近江國

   高嶋郡三尾の別邸で振媛を迎え、妃としたとしています。 

    宝賀寿男氏は『越と出雲の夜明け 206p』で「三尾君の本拠については、近 年は米沢康正

   氏などのいう越前否定説が強くなっている.坂井郡式内社の高向神社は、いま坂井市丸岡町高田

   に鎮座するから、このあたりが高向の地ちとみられる。(中略)三尾の地名は、羽咋市のごく

   近隣(氷見市西端の山間部)や福 井市南部(旧足羽郡)の三尾野町にもある。越前国坂井郡に

   は後世、三尾君の痕跡がないとして、越前三尾説を否定する説もあるが、一族挙げて近江に遷

   住 すれば、そうした事情も生じよう。としています。 

    私見は、宝賀寿男氏が指摘するように、三尾君の本願地が「越前国坂井郡」 で、その後「近

   江国高嶋郡三尾里」へ移住したと推測しています。 

    彦主人王を祀る神社が越前國坂井郡・近江国高嶋郡に存在しないのは何故でしょうか。 

    彦主人王は越前国坂井郡の盟主でもなく王でもありません。三尾君の家臣から抜擢されて

   振媛に婿入りしたのではと推測します。 

   写真 水尾(みお)神社 滋賀県高島市背戸(はいど 出典:Wikipedia (2022/ 05/26  13:00) 

     ご祭神:磐衝別命・比咩神(振媛?) 

     かっては、同社のご祭神は天細女命別名豊宇気姫と夫の猿田彦の二柱が祀られていまし 

    た。 

 (4) 振媛とは    

      第五十九話「垂仁天皇(2)」で紹介しましたが、うんざりするほどの御子の多さに辟易

    した思いがあります。 

     『釋日本紀』では、「垂仁天皇と山代大国淵の娘刈羽田戸弁との間に生まれた磐衝別命五

    世の孫。振媛は彦主人王に嫁ぎ、平富等大公主を生んだ。」としています。 

     平富等大公主のよみはわかりませんが「おほどのおおきみ」とよむのでしょうか。 

     『上宮記』では振媛を「布利比弥命」と記しています。    

     写真 福井市舟橋町 黒龍(くろたつ)神社 同社公式HP  

       ご祭神:高龗大神たかおかみおおかみ=神沼河耳命)別名黒龍大明神闇龗大神

           (くらおかみおおかみ=神俣姫)別名白龍大神 

       由緒:雄略天皇二十一年、後の継体天皇が越前国の日野・足羽・黒龍の三大河川の治

          水大工事が行われ、越前平野を拓かれた際に、北陸随随一の黒龍川(九頭龍

          川)の守護と国家鎮護興隆を祈願され、高龗大神と闇龗大神之御二柱の御魂を

          高尾村黒龍村毛矢の社に創始された。 

 

   写真 九頭竜川で夏の風物詩「永平寺大灯籠ながし」 

      コロナ対策で規模縮小 福井県 出典;福井新聞30/05/2022 

 

次回は「継体天皇」(2)です。

 

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