写真 国宝宮地嶽古墳出土「壺鐙(つぼあぶみ)」 出典:宮地嶽神社HP
○『日本書紀―雄略紀』が語るもの
○大伴(室屋)大連に関わる不可解な記事
○国内の動揺はあったのか。
○『日本書紀-雄略天皇十八年秋八月条』
1.『日本書紀-雄略天皇紀』が語るもの
第九十六話で「韓半島との外交史」を検証した結果、西暦356~479年までの外交史記事
から雄略天皇の治世期間は凡そ120年以上にも及びます。
同書は雄略天皇の治世を23年間とし、明らかに矛盾しています。
とても一人の天皇の治世とは考えられません。
この120年以上の時の経過の中には、少なくとも五人以上の天皇が実在した可能性がうかが
え、同時に雄略天皇実在性に疑問が付きまといます。
ブログ「ひぼろぎ逍遥」を主催する古川清久氏に雄略天皇について尋ねると、故百嶋氏は「天皇
家の血筋をひいている」と答えられたようです。
おそらく雄略天皇は九州王朝の正統な天皇ではなく、庶流の王で、藤原氏によって贈られた
「贈天皇」ではないでしょうか。
2.大伴(室屋)大連に関わる不可解な記事
『日本書紀-雄略天皇八年五月条』
「名前を明らかにすることは出来ない倭子連は八咫鏡を大伴(大屋)大連に奉り、私と紀郷は共
に天朝に仕えることに耐えられません.今後は角國に隠棲することを聞き届けられん。」とあ
ります。
倭子連が三種の神器の一つである「八咫鏡」を持っていたのは不思議です。また、何故大伴
(室屋)大連に奉ったのでしょうか。
倭子連は、ツヌガアラシトこと贈崇神天皇の実弟、椎根津彦こと倭彦(やまとひこ)の後裔
と推測されます。
第七十話で紹介しましたが、国家が動揺しているときは流出を避けるため、三種の神器は分
散して保管されていました。
したがって、倭子連は安全性が担保出来ない状況が出来したため、大伴(室屋)大連に託した
かもしれません。
3.国内の動揺はあったのか。
『日本書紀-雄略天皇紀』を読む限り、西暦396年高句麗による百済侵攻に対して、「百済積
極救援派と消極派」の二つのグループが存在したことが読み取れます。
積極派・・・大伴氏・紀氏など。
消極派・・・吉備上道臣・膳臣・物部氏など。
高句麗軍の猛攻に遭い、倭国軍は大伴談連(おおとものかたりむらじ 室屋の嫡男)・紀岡前
来目(きのおかさきくめ)が戦死し、また戦地で疲弊し病死したのは紀小弓宿禰です。
九州王朝にとって、最大の与党である「紀氏」と「紀氏系大伴氏」の両将軍が高句麗との戦闘
で命を落としたのです。
国内が激しく動揺したのは明らかです。
また韓半島に派遣された倭国正規軍にも影響を与えました。
この浮き足だった倭国正規軍を助けたのが伽耶(任那)連合を構成する安羅国などです。
西暦400年、新羅の王都を占領していた高句麗軍を安羅国軍などが後背部から襲い、動揺した
高句麗軍に対して倭国軍が挟み撃ちにして、ようやく高句麗軍は撤退します。
勇猛な安羅国の王はツヌガアラシトこと贈崇神天皇の後継者八坂入日子の後裔と推測します。
ここで疑問となるのが、何故安羅国の救援が遅れたかです。
安羅国王は、高句麗軍に打ち勝つには機動力の強化が必要と判断し、騎馬を調達するため時間
を要したと推測します。
その証拠が「広開土王碑文」が刻す高句麗軍の戦利品「鐙(あぶみ)・鉀(こう)一万余」で
す。
写真 国宝宮地嶽古墳出土「壺鐙(つぼあぶみ)」 出典:宮地嶽神社HP
写真 古墳時代の鉄製鋲留板鉀(東京国立博物館所蔵)
出典:Wikipedia (2021/12/13 14:00)
4.『日本書紀-雄略天皇十八年秋八月条』
天皇、物部莵代(ものべうしろ)宿禰と物部連目に「伊勢の朝日郎(あさひのいらっこ)」を
討つように命じました。
同記事は本質的に異様です。何故ならば、同記事は、高句麗との戦いで危急存亡の時に、一地方
の豪族の反乱に構っている余裕などない時です。
伊勢の朝日郎は官軍到るとの報告を聞き、早速伊賀の青墓に拠点を築きます。
射撃の得意な伊勢の朝日郎の反撃はすさまじく、物部莵代宿禰は怖じ気づき、自らは前線に出
ませんでしたが、副将の物部目連は筑紫聞物部大斧手(ちくしきくものべおおおのて)を率い
て、ようやく朝日郎を捉え斬り殺しました。
この経緯を知った天皇は怒り、物部莵代宿禰の所領を奪い、物部連目に与えました。
不思議なことに『先代旧事本紀-天孫本紀』に物部莵代宿禰は記述されていません。また、物
部目連は継体天皇~欽明天皇に仕え、大連に出世したとあります。
同記事は、凡そ120年タイムスリップしている可能性があります。
「伊勢は三重県の伊勢」だと信じ込んでいる方が多いと思いますが、福岡県には「伊勢」と関わ
りのある神社が2箇所存在します。
・伊野伊勢天照皇大神宮(いのいせてんしょうこうたいじんぐう)
福岡県糟屋郡久山町猪野 地元では「九州の伊勢」と呼ばれています。
ご祭神:天照狼・手力雄命(=スサノオ)・萬幡千々姫命
・伊勢天照御祖(いせあまてらすみおや)神社 通称「大石神社」
福岡県久留米市大石町
ご祭神:天照國照彦天火明命・天照大神
天照國照彦天火明命は大日孁貴こと後の卑彌呼であり天照大神と大幡主の間の御子。
写真 伊勢天照御祖神社で行われる「十五夜さん大綱引き」出典:久留米市HP
大綱は長さ35メートル、直系35センチ、重さ約1トン。
大綱は「龍神」を表わしています。
最後に残されたのが「朝日郎」です。「郎(いらっこ)」は男性を表す普通名詞です。
したがって、本来は「朝日○○」ですが『日本書紀』編纂者は意図的に隠しました。
おそらく名前を特定すると嘘がばれるのを恐れたからでしょう。
高良御子神社が祀る「九躰皇子」に「朝日豊盛命」が見えます。
「斯賀礼志命」は仁徳天皇ですから、「朝日豊盛命」は実弟で、故百嶋氏によれば、日本列
島に産業革命をもたらしたとしています。
もしかすると「朝日郎」は朝日豊盛命の末裔かもしれません。
写真 高良御子神社(福岡県久留米市山川町王子山)が祀る「九躰皇子」
次回は番外編「日本の古代馬」です。
お知らせ:名古屋市主催の”サマーセミナー2022”に私が所属する「東海古代研究会(旧称古田史学・東海)」が参加します。
日時:7月18日(月・祭日)3限:13:10~14:30
場所:愛知東邦大学及び東邦高校
題目:教科書が教えない!!古代史
教科書から消えつつある聖徳太子はいなかったのか。
講師:当会所属 畑田寿一・石田泉城
詳しくは「東会古代研究会」HPをご参照ください。