写真 嘉瀬川「精霊流し」毎年8月15日実施 嘉瀬川河川敷 出 典:佐賀市観光協会HP
読経が流れるなか、大小さまざまな鷦鷯船が流され、幻想的な風景を醸し出します。
○神功皇后の家系図
○神功皇后は三種の神器の一つである「鏡」を保管
○神功皇后の御妹豊姫(おんいもうとゆたひめ)
○豊姫のまたの名虚空津姫(そらつひめ)
1.神功皇后の家系図
神功皇后の名の由来は『記紀』ともに記されていませんが、記事からは「神をも思わせる事
跡」によって神功皇后と『記紀』編纂者から“諡名(おくりな)”された可能性がうかがえます。
故百嶋氏は「神々の系図-平成12年考」で“皇宮皇后”としています。
『記』は神功皇后の出自を記していませんが、『紀』は父を息長宿禰王(しなすくねおう)、
母を葛城高額媛(かつらぎたかぬかひめ)としています。
写真 神功皇后とご両親の息長宿禰王・葛城高額比売を祀る野波神社下之宮 案内板 佐賀県
佐賀市三瀬村杠 出典:宮良誠一氏“神社見聞牒”「No.25神功皇后生誕の地・佐賀県
背振の野波神社」
図 「野波神社」周辺地図 出典:同上
表 「息長帯比売の系譜
神功皇后
息長帯比売 AD226年 |
父 息長宿禰
AD200年 スサノオの曾孫
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祖父 大筒城真若王こと建南方命
スサノオの孫 AD174年
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曾祖父 天忍穂耳命
AD138年
曾祖母 武内足尼 スサノオの娘 AD152年
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祖母 八坂刀売
高木大神の曾孫 AD164年
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曾祖父 天忍日命こと興津彦
天忍穂耳命の御子 AD158年 曾祖母 雨宮姫 ニニギノミコトと木之花咲耶姫の御子 AD167年 |
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母 葛城高額比売 AD216年 スサノオの曾孫 |
祖父 多遅摩比多訶
スサノオの孫
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曾祖父 沾解尼師今こと
多遅摩比那良岐 スサノオの御子 曾祖母 不明
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祖母 菅竈由良度美
AD178年 |
曾祖父 豊玉彦
AD132年 曾祖母 木之花咲耶姫 AD150年 |
注)生年は故百嶋氏の推定
上記系譜を辿ると、神功皇后はスサノオ系の姫であることが一目瞭然です。また、葛城氏もス
サノオ系一族と推測されます。
2.息長帯比売こと神功皇后は三種の神器の一つである「鏡」を保有していた。
『記紀』には記述されていませんが、故百嶋氏は「三種の神器」の保管者について講演会で特
に説明しています。
・「ざか瓊(に)の勾玉(まがたま)」・・・・開化天皇
・「鏡」・・・・・・・・・神功皇后
・「劒」・・・・・・・・・安曇(あづみの)磯(いそ)良(ら)
分散保管の理由は、その原因が『魏志』倭人伝が記すように、邪馬壹国の女王卑弥親衛隊が伊
都国の旗下に組み込まれており、九州王朝が他の部族に庇護され、脆弱であったことを物語って
います。
故百嶋氏によれば、戦禍の度に「初期九州王朝親衛隊長金山彦、中期九州王朝親衛隊長大国
主、後期九州王朝親衛隊長宇摩志麻治命」に守られ、戦禍から遠い地で逼塞していました。
おそらく神武天皇失脚後、九州王朝の象徴である三種の神器を守るため、姉大日孁貴(おおひ
るめむち)は“ざかにの勾玉”を自らが保管していたようです。
『紀』は、鏡を天忍穂耳命に託したかのように示唆していますが、格式の低い天忍穂耳命に託
すはずもなく、当時天忍穂耳命の妃で格式の高いスサノオの娘豊受姫に託し、その後は豊受姫の
娘細姫こと壱與(いよ)に託されたと考えられます。
「劒」は、九州王朝中期親衛隊長の大国主に託し、以後大国主の嫡子のウガヤフキアエズ・孫
の安曇磯良(あずみのいそら)に託されたと考えられます。
3.『高良玉垂神秘書(こうらたまたれじんぴしょ)』が記す神功皇后の妹豊姫(ゆたひめ)とは
皇后の御妹(おんいもうと)豊姫について「神々の系図-平成12年考」では、夫安曇磯良、嫡
子は日往子(ひゆきこ)、豊姫の父はウガヤフキアエズ、母は奈留多姫としています。
したがって、豊姫は神功皇后の御妹ではありません。
では、なぜ豊姫を神功皇后の御妹と記したのでしょうか。
故百嶋氏は「開化天皇の少年時代、乳母豊姫と間違いを起こし、生まれたのが、莵道稚郎子
(うじのわかいらっこ)。神功皇后に配慮して、神功皇后の御妹とせざるを得なかった。」と述
べています。
その後、豊姫は神功皇后崩御後に高良玉垂宮を出て、最終的には、佐賀県佐賀市大和町川上
「與止日女(よどひめ)神社」に落ち着かれました。
「高良玉垂宮神秘書 第142・237」
「高良大菩薩は神功皇后崩御のあと、住み慣れた大宰府の皇居を出て、甥に当たる日往子尊を
連れて、宝満川を小舟で下り,やがて筑後においでになり、まず久留米市大善寺に着岸。ここで
御船を新造して大舟で漕ぎ出し、大川市酒見に上陸。風浪の九九社大権現を祀り、さらに有明海
に出て、こんどは大牟田市黒崎に上陸、ここからまっすぐ北に陸行して山門郡瀬高イチカウラ、
八女郡人形原を経て高良山に登り、八葉の石畳を築いて地主神たる高樹神を退け、ついに高良山
に鎮座になった。ときに仁徳天皇の御宇9月13日のことであったという。」
写真 嘉瀬川「精霊流し」毎年8月15日実施 嘉瀬川河川敷 出典:佐賀市観光協会HP
4.豊姫のまたの名“虚空津比売命(そらつひめのみこと命”
同姫を祀る神社
○八幡古表神社 大分県中津市伊藤田 神紋“花菱”
御祭神:息長帯姫(しなたらしひめ)尊・虚空津比売命
故百嶋氏のメモによると、同地は瀛一族の一時の仮住まい。「胡」は西から来た胡人を
表わし、「表・要」は酒泉(万里の長城の西の終点嘉峪関)と記されています。
同社が伝承する「細男舞」「八乙女舞」とは、
細男:開化天皇と推測されます
八乙女:稚日女大神(=卑弥呼宗女壱與)・爾保津(にほつ)姫大神(=豊玉姫)八
街比売大神(=瀛津世襲足姫)・広田大神(=天照大神)・石坂姫大神(=イザナ
ミ)・豊受姫大神(=伊勢外宮様)・立田大神(=市杵島姫)・美奴売(みぬめ)大
神(=八女津姫、父天種子・母百姫)
以上、いずれも九州王朝を代表する女神たちで、最も年少の女神は美奴売姫であること
から、細男舞の主人公細男はほぼ同年齢の開化天皇と考えられます。
写真 細男舞 出典:福岡県築上郡吉富町観光物産ガイドHP
○古要(こよう)神社 福岡県筑上郡吉富町 神紋“剣花菱”
御祭神:息長帯姫命・虚空津比売命
両社は『記紀』が記す”神功皇后“ではなく”息長帯姫“としているのが特徴的です。
次回は「神功皇后」(3)です。