第五十五話  「崇神天皇」(1)

写真 貴志川 十三神社の参道梯(みやばし)より撮影

出典:Wikipedia(2 022/02/18  20:50)

○『古事記・日本書紀』記事の特徴

○崇神天皇は正統な天皇ではない

○贈崇神天皇の皇后・妃と皇子・皇女

 

1.『古事記・日本書紀』記事の特徴

同天皇に関する『記紀』記事は「安寧~開化天皇」までとは対照的に極めて豊富です。その

意図するところは、阿蘇ご一家を先祖とする藤原氏による遠大な歴史改ざん計画の中核を成す

ものです。

2.崇神天皇は正統な天皇ではない

御真木入日子印恵命こと崇神天皇は、藤原氏によって贈られた天皇で、正統な天皇ではありま

せん。

『記紀』は、父開化天皇、庶母伊迦賀色許売命との皇子としますが、名に「倭」あるいは「倭

根子」がなく、明らかに開化天皇の皇子ではないことが一目瞭然です。

「神々の系図-平成12年考」では、御真木入日子印恵命(みまきにゅうひこいにゑのみこと)

は、天忍穂耳命こと贈孝昭天皇と市杵島姫(いちきしまひめ)の御子大山咋(おおやまくい)こ

と熊甲安羅梶彦(くまかぶとあらかじひこ)を父、母は市杵島姫と大国主の間に生まれた鴨玉依

姫(かもたまよりひめ)とし、姉に活玉依姫(はえたまよりひめ)、兄は稻飯命(いなひのみこ

と)、弟に梶取こと椎根津彦(しいねつひこ)またの名に倭彦としています。

したがって、正当な天皇ではなく藤原氏によって贈られた「贈天皇」と、故百嶋氏は述べてい

ます。

3.『古事記』記事が記す皇后・妃と皇子・皇女

(1)木の国造荒河刀弁(あらかわとべ)の娘、遠津年魚目微比売(とおつあゆめはしひめ)を

娶り、豊木入日子命(とよきにゅうひこのみこと)・豊鉏入日女命(とよすきにゅうひめ

のみこと)の二柱。

「神々の系図-平成12年考」によれば、荒河刀弁は、紀の川の最大支流である貴志川、別

名荒河とも呼ばれる川畔(現和歌山県紀の川市桃山町)に盤踞した女性首長(酋長)とし

ています。

写真 貴志川 十三神社の参道梯(みやばし)より撮影

私は大学生時代訪れたことがあり、それはきれいな清流でした。

出典:Wikipedia(2022/02/18  20:50)

娘とされる遠津年魚眼微比売は、父御年神(みとしのかみ)、母古許牟須姫(こけむすひ

め)との間に生まれ、兄は水沼君(みぬまのきみ)・伊予御村別(いよみむらわけ)の祖武国

凝別命(たけくにこりわけ)です。

したがって、この系譜は御年神こと贈孝安天皇の系譜を紛れ込ませたようです。

○豊城入彦命を祀る神社

二荒山(ふたらさん)神社 宇都宮市馬場通り

祭神:豊城入彦命とされていますが、豊城入彦自身が東国下向の際、御諸山の大神(大物

主こと大己貴命)を祀ったとされています。

赤城神社 前橋市富士見町赤城山

祭神:赤城大明神(=大己貴命)豊城入彦命

写真 赤城神社周辺の四季 出典:赤城神社HP

大荒比古鞆結(おおあらひこともゆい)神社 高島市マキノ町浦

祭神:豊城入彦命・大荒田別命・須勢理比売命・大己貴命・誉田別命

写真 大荒比古鞆結神社 「変形三ツ鳥居」

大荒比古神社 祭神:大荒田別命・豊城入彦命

大荒田別命は、おそらく豊城入彦のまたの名と考えられます。

豊城入彦命は武将として能力に優れ、九州王朝に忠実で、最初は近江国へ赴任、その後

大己貴命が支配する上野(こうずけ)国へ赴任。その後、安羅国王として赴任したと推測

します。

(2)尾張の連の祖意富阿麻比売(おおあまひめ)を娶り、大入杵命(おおいりきのみこと)・八

坂入日子命(やさかにゅうひこのみこと)・沼名木入日売命(ぬまなきにゅうひこのみこ

と)・十市入日売命(といちにゅうひめのみこと)の四柱。

「神々の系図-平成12年考」によると、ウガヤフキアエズと下照姫との間に生まれた大海姫

(おおあまひめ)は意富阿麻比売と同一人物です。

故百嶋氏は講演会で「にゅう(入・乳)」は天皇にお仕えした人物名の特徴と述べていま

す。

(3)大毗古命の娘御真津比売(みまつひめ)を娶り、伊久米入日子伊沙知命(いくめにゅうひこい

さちのみこと)・伊耶能真若命(いざのまわかのみこと)・国片比売命(くにかひめのみこ

と)・千千都久和比売命(ちちつくわひめのみこと)・伊賀比売命(いがひめのみこと)・倭

日子命(やまとひこのみこと)の六柱。

「神々の系図-平成12年考」によると、御真津姫の父は大毗古命ではなく事代主としていま

す。

御真津姫の本来の名は『日本書紀』が記す御真城姫(みまきひめ)です。結婚前の名は五

十鈴姫です。

ツヌガアラシトのまたの名に御間城入彦があり、御真城姫はツヌガアラシトこと贈崇神天皇

と結婚して名を改めてからの名です。

伊久米入日子伊沙知命は、五十鈴姫との間の御子ではありません。詳細は「垂仁天皇」の稿

で説明します。

倭日子命は前述したように、ツヌガアラシトの弟椎根津彦です。

国片姫はツヌガアラシトこと贈崇神天皇と御真城姫の娘で、後に開化天皇の妃に成られま

す。

兄は盟神探湯(くがたち)こと壱岐真根子です。

4.『日本書紀』が記す皇后・妃と皇子・皇女

(1)皇后御真城姫との間に活目入彦五十狭茅(いくめにゅうひこいさちの)天皇・彦五十狭茅

命(ひこいさちのみこと)・國片姫命(くにかたひめのみこと)・千千衝動倭姫命(ちち

つくやまとひめのみこと)・倭彦命(やまとひこのみこと)・五十日鶴彦命(いかつるひ

このみこと)の六柱。

彦五十狭茅命・彦五十日鶴彦命は不明です。

(2)紀伊國の荒河戸畔(あらかわとべ)の娘、遠津年魚眼眼妙姫(とおつあゆめまくはしひめ)

との間に豊城入彦命・豊鍬入姫命の二柱。

故百嶋氏は「紀の国」を大幡主の支配地としています。

したがって、遠津年魚眼眼妙姫は大幡主の血筋に繋がる姫と推測されます。

(3)尾張大海媛との間に八坂入日子命・渟名城入姫命・十市瓊入姫の三柱。

表  ツヌガアラシトを中心とする家系図

名前 血縁 生年 またの名など
大山咋 AD162年 熊甲阿羅鍛冶彦・大直日命・日吉様
鴨玉依姫 AD167年 神直日命
ツヌガアラシト 本人 AD195年 御真城入彦・都怒我阿羅斯等・仲筒男命
御真城姫 皇后 AD205年 五十鈴姫
壱岐真根子 次男 AD222年 通称盟神探湯
國片姫 長女 AD224年 後に開化天皇の妃
大海姫 AD200年 父ウガヤフキアエズ、母下照姫
八坂入彦 長男 AD215年 母大海姫
活玉依姫 AD187年 事代主の妃
稲氷命 AD190年  
倭彦命 AD197年 椎根津彦・梶取

生年は故百嶋氏の推定

 

次回は「崇神天皇」(2)です。

 

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