写真 稲佐の浜 出典:しまね観光ナビ
八百万の神々をお迎えする 神迎え神事の浜
「造化三神(ぞうけさんしん)」のトップランナー「天之御中主(あめのみなかぬし)」に関して、『古事記』『日本書紀』に全く記述がみえません。対照的にセカンドランナーの「高御産巣日神(たかみむすひのかみ)」は多くの場面で華々しく登場します。
高天の原の主祭神である同神の行動範囲並びに系譜は全く不明で、現在の皇室にも斎祀されていません。
歴史学会では同神を日本の神ではなく、朝鮮半島から渡来した神とする指摘がありますが、『三国史記』や『三国遺事』を何度読み込んでも、彼らの主張に繋がる記述は見られません。神道学会も同様に同神の研究論文は管見に見当たらないのが現状です。
ところが、天之御中主を祀る神社を調査すると両書とは違い、事情は一変
します。
同神を祀る神社の分布状況は愛媛県が最も多く、次に島根県・京都府・奈良県・福井県・兵庫県が続きます。最多数の愛媛県における特徴は愛媛県南部に集中し、同神を祀る神社名の最多が大元(おおもと)神社です。
大元神社は島根県・福岡県・大分県・和歌山県にも分布し、島根県の出雲大社では別天津神(ことあまつかみ)の祭祀が古くから行われ、本殿に御客座五神(造化五神)の一座として同神が祀られています。
石見国一宮の物部神社(島根県大田市川合町)の、主祭神は宇摩志麻遅命(うましまじのみこと)、相殿の左殿に饒速日命(にぎはやひのみこと)・布都霊神(ふとだまのかみ)、右殿に天之御中主神・天照皇大神とあり、物部氏の祖神である可能性も指摘できます。
岡山県の吉備津彦神社は「造化五神・イザナギ・イザナミ・気比大明神(けひだいみょうじん).・月読大神・スサノオ」などが主祭神で、社伝によれば古くは天之御中主の神一座と伝えられています。
天之御中主のまたの名として、故百嶋氏は「白山姫・菊理姫・ククリ姫」を挙げています。
白山姫は全国の白山社・妙見宮(みょうけんぐう)・水(すい)天宮(てんぐう)のご祭神として祀られています。
(1)
- 白山社総本社
白山比咩(はくさんひめ)神社 石川県白山市三宮町
ご祭神:白山比咩神・伊弉諾神・伊弉冉神とされていますが、本来は白山比咩神一座
図1 霊峰白山案内板
○別山 大山祇命(おおやまづみのみこと)
天之御中主こと白山姫の長男
○大汝峯(おおなむちのみね)
大山祇命の長男大己貴命(おおなむちのみこと)、後に大幡主の入り婿となり、大國主に名を改めます。天之御中主のお孫さんです。
写真2 白山比咩神社 出典:同社HP
全国に3千社もある白山神社の総本宮
(2)
妙見宮(みょうけんぐう) 熊本県八代市妙見町
代表的な神社は八代神社。明治以前は妙見宮と呼ばれていました。
ご祭神:天之御中主・国常立尊
由来は。妙見社実記や社記などによると天武白鳳九年(680年)秋、中国明州(現在の寧波市)から妙見神が目深検校(まぶかけんぎょう)、手長次郎、足長三郎の形と化して亀蛇(きだ)の背に乗って海を渡り、八代郡北郷八千把村竹原津に上陸し、この地に約3年間仮坐したのがはじまりと伝えられています。
天之御中主は夫である金官伽耶(きんかんかや).国王の金越智ことウマシアシカビヒコチ(現地名金越智)と共に金海(現在の金海市付近)から九州へ渡来したと考えています。
故百嶋氏は、天之御中主を白(ペー)族の統領大幡主(おおはたぬし)の姉とし、活躍年代は2世紀初頭としています。
写真 八代神社(妙見宮) 出典:同社HP
妙見神が亀と蛇が合体した「亀蛇(きだ)」の背に乗って海を渡ってきたという伝承
写真 「亀蛇(きだ)」出典:同社HP
(3)
水天宮(すいてんぐう)
全国総本宮 水天宮 福岡県久留米市瀬下町
ご祭神:天之御中主・安徳天皇・高倉平中宮・二位の尼
同社の由来は、安徳天皇の母である高倉平中宮に仕えていた按擦(あぜちの)伊勢は寿永四年(1185年)壇ノ浦の戦いの後、千歳川(現筑後川)の辺り鷺野ヶ原に遁れて来て建久元年(1190年)初めて水天宮を祀ったことに始まります。
その後、慶安三年(1650年)久留米藩第二代藩主有馬忠頼公により、現在の社地・社殿の寄進を受け、この地に遷し奉られるとあります。
文政元年(1818年)11月1日には第九代藩主有馬頼徳公が江戸三田藩邸に御分霊(みわけたま)を勧請(かんじょう)し、ご祭神に天之御中主の夫ウマシアシカビヒコチを合祀しました。
写真4 東京水天宮 東京都中央区日本橋蛎殻町 出典:東京都神社庁HP
鈴の緒ガランガラン 今日も境内には お参りの鈴の音が響きます。