写真 高良御子神社の案内板 出典:宮原誠一氏“神社見聞牒”No.70高良九躰皇子と坂本命と
二人の門神様①
○高良御子神社(こうらみこじんじゃ)が伝える九躰皇子(くたいおうじ)
○応神天皇とは誰か
1.高良御子神社(こうらみこじんじゃ)が伝える九躰皇子(くたいおうじ)
高良大社の境内摂社である高良御子神社に九躰皇子が祀られています。
九躰皇子とは、開化天皇の九人の皇子を指します。
斯礼賀志命(しかれしのみこと)神・朝日豊盛命(あさひとよさかりのみこと)神・暮日豊盛
命(くれひとよさかりのみこと)神は神功 皇后との御子ですが、那男美命(なおみのみこと)
神・坂本命(さかもとのみこと)神・は神功皇后の連れ子説(神功皇后と贈仲哀天皇との御子)
もありますが、故百嶋氏はツヌガアラシトこと贈崇神天皇と五十鈴比売との王女国片比売(くに
かたひめ)との御子としています。
淵志命(ふちしのみこと)神・谿上命(たにかみのみこと)神・安志 奇命(あしきのみこ
と)神・安楽応秘命(あらおひのみこと)神の四神の母親は不明です。
2.応神天皇とは誰か
『記-仲哀天皇記』は、父仲哀天皇、母息長帯比賣命(しなたらしひめのみこと)、名を大鞆
和気命(おおともわけのみこと)、亦の名を品陀和気命(ほむだわけのみこと)。珍しく注記で
「品陀真若王の父五百木入日子(いおきにゅうひこ)、母志理都紀斗売(しりときとめ)」と記
しています。
五百木入日子の父は大足彦(おおたらしひこ)こと贈景行天皇、母は八坂入日子(やさかにゅ
うひこ)の娘八坂入比売(やさかにゅうひめ)です。
関係者の生年を「神々の系図-平成12年考」から列挙すると
祖父大足彦こと贈景行天皇 AD200年
祖母八坂入比売 AD230年
父五百木入日子 AD248年
母志理都紀斗売 不詳
品陀真若王 AD265年以降
贈応神天皇 AD240年
以上の通りです。
父とされる品陀真若王は贈応神天皇よりも年下になり、また額田の大中津日子命は『古事記-
垂仁記』が記す丹波の比古多多須美知能宇斯王(ひこたたすみちのうしおう)(『日本書紀』は
丹波道主王(たんばみちぬしおう)と表記)と丹波の遠津臣の娘髙材比売の御子大中津彦と同一
人物です。
『古事記』は系譜のすり替えが見られ、信じるには足りません。
髙木入日売命(たかきにゅうひめのみこと)は、建南方命(たけみなかたのみこと)の後継者
迦邇米雷王(かにめづちおう)の妃高材比売(たかきひめ)と同一人物で、名に「入(にゅ)」
があり、天皇に仕える家系と考えられます。
応神天皇の出生について記事が混乱しているのは明らかです。「鞆(とも)」の由来は生まれ
たとき、上腕に鞆のような瘤があったことによると伝えられています。
若宮神社 滋賀県県高島市武曾根山
ご祭神を仁徳天皇とし、同社の旧社名は鞆結(ともゆい)神社と呼ばれました。神社明細帳
にも鞆結神社と記載され、仁徳天皇は「上腕に鞆のような瘤」があったと伝えられています。
「鞆(とも)のような瘤」は本来、仁徳天皇の逸話であった可能性がうかがえます。
『紀』では、父仲哀天皇、母氣長帯姫尊、名を譽屋別(ほむやわけ)皇子、別の名譽田別尊
(ほむたわけのみこと)、譽田天皇と記し、生まれたばかりの御子を「譽田天皇」と命名するの
は不自然極まりありません。
両書に共通するのが「和気・別」で、少なくとも両書の編纂者は正統な天皇ではない「別天
皇(わけてんのう)」と認識していたようです。
故百嶋氏は、贈応神天皇は天皇家の血筋をひいていると述べていますが、父母の名について
は口をつぐまれています。
手がかりは、豊玉彦と櫛稲田姫の御子鴨玉依姫(かもたまよりひめ)から、モーゼの家紋で
瀛氏の象徴であるイスラエルの「十字剣」が与えられていることです。
この事実は贈応神天皇が瀛氏(いんし)の血筋に繋がる後継者であることを物語っていま
す。
ブログ“神社見聞牒”を主催する宮原誠一氏は
「息長帯比売は仲足彦こと贈仲哀天皇と別れた後、賀茂別雷命 (かもわけいかづちのみこ
と)こと贈崇神天皇との間に生まれたのが、誉田別命こと贈応神天皇であるとしています。」
賀茂別雷命は、開化天皇の皇后となった神功皇后(故百嶋氏は皇宮皇后としています。)に
お仕えし、名を中臣烏賊津臣に改めました。」との仮説を提起しています。
同氏の指摘は、瀛氏の直系鴨玉依姫が孫の誉田別命に「瀛氏の直系の証(あかし)十字剣を
渡した。」ことは、故百嶋氏の説をわかりやすく説明しています。
しかし、私見は「故百嶋氏が贈応神天皇は天皇家の血筋をひいている。」との発言を重視す
ると、贈応神天皇は神功皇后の血筋を引いていても、開化天皇の血筋を引いているわけではあ
りません。
おそらく宮原氏は「別王」の血筋と解釈しているのでしょう。
贈応神天皇の系譜が全く掴めていないという点にもこだわりがあります。
現時点では、贈応神天皇の出生の謎は深まるばかりです。
写真 熊本県山鹿市鹿本町高橋 「高橋八幡宮」の神紋”円天角地十字剣“
”円天角地十字剣”の拡大写真
故百嶋氏は、久留米大学の講演会で「金山彦の御紋章円天角地十字剣」について、「円は太陽・
天は地球・十字剣はキリスト教の親衛隊十字軍」と述べています。
次回は「贈応神天皇」(4)です。