第七十七話   「贈応神天皇」(3)

写真 毎年八月に行われる姥神大神宮前で行われる「渡御祭」

山車「豊公山」の旗に「三階松紋」が見えます。

出典:江差町の観光情報ポータルサイト

注)姥神大神宮 北海道檜山郡江差町字姥神町

写真 姥神大神宮前の全山車と神輿の乗り入れ 出典:同上

写真 「渡御祭」に参加する松寶丸の“三階松紋」  出典:同上

写真  姥神大神宮    出典:北海道神社庁HP

○贈応神天皇は正統天皇開化天皇の皇子ではありません。

○ウマシウチ宿禰による武内宿禰の讒訴

○壱岐真根子(いきのまねこ)は、なぜ武内宿禰の身代わりとなって自死したのか。

 

1.贈応神天皇は正統天皇開化天皇の皇子ではありません。

開化天皇の御子を祭祀する福岡県久留米市山川町字王子山の高良御子神社のご祭神は、応神天皇・譽田別命・譽津別命の名は祀られていません。以下の「九躰皇子」が祀られています。

斯礼賀志命   母神功皇后・後の仁徳天皇

朝日豊盛命   母神功皇后 藤高麿勝村大明神 宮地嶽神社ご祭神

暮日豊盛命   母神功皇后 藤助麿勝頼大明神 宮地嶽神社ご祭神

淵志命     母不明

谿上命     母不明

那男美命    母国片姫 “那男美命は姫路城の富姫”伝説上のモデル

坂本命     母国片姫

安志奇命    大宰府を防衛する宮地嶽の神籠石のある一帯が「阿志岐」と呼ばれていま

す。母不明

安楽応宝秘命  母不明

故百嶋氏は、「朝日豊盛命と暮日豊盛命は列島の産業革命のため旅立たれた」と述べています。

(1)朝日豊盛命を祀る神社

大和神社境内摂社朝日神社 奈良県天理市新泉町星山

ご祭神:朝日豊明神(百嶋説は朝日豊盛命)

朝日豊明神を女神としていますが、「千木は外削ぎですか ら男神の朝日豊盛命」が本来の伝承と推測します。

写真  右端が「朝日神社」千木に注目してください。 出典:大和神社HP

(2)坂本命(さかもとのみこと)を祀る神社

高良御子神社 境内社 坂本本社(祭神:坂本命)

東坂本社(祭神:櫛磐窓命(くしいわまどのみこと)=日吉様=大山咋命(おおやまく

いのみこと)

西坂本社(祭神:豊岩窓命(とよいわまどのみこと)=山王様=猿田彦大神)

春日の坂本神社 福岡県太刀洗町春日

金島の坂本神社 久留米市北野町金島

広川の高良坂本神社 福岡県八女郡広川町新城

山川の坂本神社 久留米市山川町字王子山

2.ウマシウチ宿禰による武内宿禰の讒訴

「神々の系図―平成12年考」を参考にした「表 ウマシマチ宿禰と武内宿禰の系譜」

 

甘美内宿禰

AD222年生

父 屋主忍男武雄心命

AD192年生

祖父:彦太忍信命(またの名内色許男命)

AD170年生

祖母:葛城高千那姫(またの名菅忍比売)

AD176年生

母:不明 祖父:不明

祖母:不明

武内宿禰

AD222年生

父:孝元天皇

AD200年生

祖父:孝霊天皇

AD176年生

祖母:細姫(=壱與)

AD180年生

母:山下影姫

AD202年

祖父:彦太忍信命(またの名内色許男命・忍山宿禰)

祖母:葛城高千那姫(またの名菅忍比売)

注)生年は故百嶋氏の推定

『記紀』が記す二人の関係は「兄武内宿禰・弟昧師内宿禰」とあり、他方、「神々の系図-平成12年考」を熟視すると二人は同一人物のようにもうかがえ、二人に関係する神社を調査すると

(1)千栗八幡宮(ちくりはちまんぐう)境内社 武雄社 佐賀県三養基郡みやき町

祭神:屋主忍男武雄心命(やぬしおしおたけおこころのみこと)

祭神は祭祀を司る武内宿禰の父で、昔から手足の神として祀られています。

(2)武雄神社 佐賀県武雄市武雄町

祭神:武内宿禰・武雄心命・仲哀天皇・神功皇后・応神天皇

上記二社から武内宿禰の父は屋主忍内宿禰が天下を望み、密かに三韓を招き入れ、筑紫を裂こうとしていると、甘美内宿禰が応神天皇に讒言した。」と記します。

「三韓」とは、「新羅・百済・高句麗」を指しますが、当時の朝鮮半島情勢は開化天皇・安曇磯良の活躍により、同半島南部の盟主であった金官海伽耶国の実権は倭人による「任那國」に代わり、同じく“ナンバーツー”はスサノオ系のツヌガアラシト率いる倭人の牙城「安羅国」が強力な軍事力を背景に「任那国(みまなこく)」を支えていました。

高句麗国によって圧迫されていた百済国は九州王朝後期親衛隊長であったウマシマジ命の信を得、百済国は倭国から高級官僚を受け入れるなど九州王朝の「属国化」に傾いていきました。

このような政治状況下で、『紀』が記す「武内宿禰が三韓の兵を招き入れた」という記事はきっぱ

りと否定されるべきでしょう。

武内宿禰が筑紫を離れ、出雲の地へ移動した理由は奈辺にあったのでしょうか。

『高良玉垂神秘書』は、神功皇后死去により高良の地を離れたとしていますが、根拠は乏しく、

「讒言したとされる甘美内宿禰は盟神探湯(くがたち)で敗れ、死を与えられた。」とあります。

一方、武内宿禰は嫌疑が晴れたにも拘わらず、出雲に去っています。

おそらく開化天皇薨去後、新政権との距離を取ったと推測します。

出雲へ異動した理由はわかりませんが、迎え入れる勢力があったと推測します。

ところが、処刑されたはずの昧師内宿禰(甘美内宿禰とも表記)を祀る神社があります。

内神社   京都府八幡市内里内

主祭神:山代内臣(やましろうちおみ)・昧師内宿禰

味斯内宿禰は仁徳天皇東遷に同行したと考えられます。

3.壱岐真根子(いきのまねこ)は、なぜ武内宿禰の身代わりとなって自死したのか。

『紀』によると、甘美内宿禰の讒言を信じた応神天皇は「武内宿禰の殺害」を命じました。

この命に対して武内宿禰は「罪なくして死を賜らねばならないのか。」と反論しました。

この事態に驚いた壱岐真根子は、いたく武内宿禰に同情し、容貌がうりふたつであることを幸いに武内宿禰の身代わりとなって自死したと記しています。

同記事の不審点は以下の2点です。

(1)天皇家の忠臣で功績大の武内宿禰の弁明も聞かず、天皇が武内宿禰殺害を命じる理由が納得できません。

(2)容貌が似ているからといって、壱岐真根子が自死する合理的理由が見当たりません。

表 壱岐真根子の系譜 「神々の系図-平成12年考」からみると

関係 名前 生年 またの名など
ツヌガアラシト AD195年 贈崇神天皇(自称神武天皇)中筒男・中臣烏賊津臣・御真木入彦・鴨別雷命
五十鈴姫 AD205年 父事代主・母活玉依姫
本人 壱岐真根子 AD222年 盟神探湯
国片姫 AD224年 開化天皇の妃

注)生年は故百嶋氏の推定

壱岐真根子の父ツヌガアラシトのまたの名「御真木入彦」の“「入(にゅう)”」は“天皇にお仕えする人の美称”であることは紹介しました。

また、実の娘国片姫(くにかたひめ)は開化天皇の妃となり、同天皇との間に「那男美命・坂本命」の二人の御子をもうけています。

このような家族関係から、開化天皇の外戚である壱岐真根子が武内宿禰の身代わりとなって自死を選ぶなど考えられません。

『記紀』編纂者は、贈応神天皇を実在化させるために、珍妙な系図造りや、作り話に奔走しま

したが、彼らの目的は達成できませんでした。

其の証左が神社に残されています。

壱岐真根子を祀る神社

高良大社境内末社真根子神社 福岡県久留米市御井町

ご祭神:壱岐真根子命

壱岐神社(通称壱岐宮) 福岡市西区下山門

ご祭神:壱岐真根子命

写真  壱岐神社 鳥居から見た社殿 出典:福岡の社ブログ

写真  壱岐神社「手水舎」に記された「三階松紋」 出典:同上

福岡県福津市の宮地嶽神社神紋と同じです。

「三階松紋」は北海道の「姥神神社の渡御祭」に参加する「山車と松寶丸」に見ることが出来ます。

写真 姥神大神宮渡御祭に参加する「松寶丸の三階松紋」

「鰊(にしん)の豊漁を祈願する祭」に「三階松紋」。

不思議ですね。開化天皇の末裔はいつ頃進出したのでしょうか。

 

織幡神社 宗像市鐘崎字岬

ご祭神:武内大臣・住吉大神・志賀大神・天照大神・宗像大神・八幡大神・壱岐真根子臣

「延喜式」神名帳では、祭神は武内宿禰一座。祭祀は代々壱岐氏が担い、この事実は武内宿禰と壱岐真根子は篤い信頼関係にあったことを如実に示しています。

なお、同社の神額には「竹」紋が描かれています。したがって、『記紀』が記す「建内宿

禰・武内宿禰」は本来の表記は「竹内宿禰」であったと考えられます。

 

次回は「応神天皇」(4)です。

 

 

 

 

 

 

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