第四十九話  「孝霊天皇」(4)

○壱與(いよ)と宇摩志麻遅命(うましまちのみこと)の願い

○英雄の登場

○英雄の軌跡

○忠臣御年神の系譜

○孝霊天皇の陵墓

 

1.壱與と宇摩志麻遅命の願い

孝霊天皇の周囲には皇后壱與、後期九州王朝親衛隊長の宇摩志麻遅命の兄妹に加えて軍事面

で孝霊天皇を支えた同じくスサノオの孫クマカブトアラカジヒコこと大山咋(おおやまくい)

が固めており、壱與は九州王朝の復興(孝霊天皇の治下で実現)と建南方(たけみなかた)の

叛で潰れた狗奴国(くぬこく)の復興とスサノオ系の復権に意を注ぎました。

兄宇摩志麻遅命は、弱体化した朝鮮半島諸国(金海伽耶国・大伽耶国・安羅国・百済国)と

の関係を強化するため派遣されました。

特に百済国との通交では、第五代肖古王と好(よしみ)を通じました。

『日本書紀』は、百済国が返礼として久氐氏(くてし)が七支刀・七支鏡を孝霊天皇に献上

したとしていますが、故百嶋氏は百済国による宇摩志麻遅命への献上品としています。

『日本書紀』は、宇摩志麻遅命の名を消し、「神功皇后紀」が記す千熊長彦(ちくまながひ

こ)に改変しています。

2.英雄の登場

故百嶋氏の講演会記録を読むと、「幼少期の名を阿曾国造“速瓶玉命”(はえみかまたまのみ

こと)」といい、九州王朝に反乱を起こしたスサノオの嫡男長髄彦(ながすねひこ)の罪をわ

  びるため、スサノオは孫の当時六歳前後の速瓶玉命を連れて、金山彦が鍛えた「草薙剣(くさな

  ぎのつるぎ)」を携え、「卑彌呼」の宮を訪れたと述べています。

    スサノオは少年速瓶玉命の才能をいち早く見抜いたのでしょう。

 3.英雄の軌跡

   (1)阿蘇開拓神「速瓶玉命」として祀る神社

       国造神社 熊本県阿蘇市.一の宮町手野

         主祭神:速瓶玉命・雨宮姫(妃)高橋神(御子)・火宮(御子惟人、これひと)

       小国両神社 熊本県阿蘇郡小国町宮原

主祭神:雨宮姫(速瓶玉命の妃)・高橋の宮(速瓶玉命の御子)・火の宮

本来の主祭神速瓶玉命が隠されています。

      写真  国造神社 出典:熊本県観光サイトもっと もーっと!くまもと

写真  小国両神社  出典:同社HP

(2)佐田大神として祀る神社

・佐田神社 大分県宇佐市安心院(あじむ)町

主祭神:佐田大神

・佐太神社 島根県松江市鹿島町佐陀宮内

       主祭神:佐太大神

「佐太大神」を猿田彦としていますが、故百嶋氏は「大山咋」と指摘しています。

   写真 宇佐市「佐田神社」  出典:宇佐市公式観光サイト

写真  松江市「佐太神社」  出典:同社公式HP

4.忠臣御年神(みとしのかみ)の系譜

御年神は『古事記・日本書紀』が記す贈孝安天皇ですが、正統な天皇ではありません。藤原氏

によって贈られた天皇です。

御年神は、父天忍穂耳命(贈孝昭天皇)母はスサノオの娘志那津姫の王子です。

姉の息長水依姫(しなみずよりひめ)は腹違いの兄天足彦こと日子坐王に嫁ぎ、御年神は、

腹違いの兄天足彦の王子丹波道主の娘ヒバス姫を妻とし、生まれたのが大足彦、後の贈景行天

皇です。

故百嶋氏は、御年神を「九州王朝特務機関長」と述べています。特務機関長とは現代で云え

ば「スパイ組織の親玉」を指します。

一体、誰の情報収集を進めていたのでしょうか。

5.御年神を祀る神社

御年神は、九州では波比岐神(はびきのかみ)またの名拝跪神(はいきのかみ)として祀られ、

それ以外の地では御年神として祀られています。また、父大年神(おおとしのかみ)またの名

天忍穂耳命を祀る神社に重なります。

(1)波比岐神を祀る神社

○疋野(ひきの)神社 熊本県玉名市立願寺

ご祭神:波比岐神  相殿:大年神

○坐摩(いかすり)神社 大阪市中央区久太郎町

ご祭神:生井神・福井神・綱長井神・阿須波神・波比祇神

(2)御年神を祀る神社

○水無(みなし)神社   高山市一之宮町石原

ご祭神:水無神(みなしかみ) 御年神のまたの名

「水無(みなし)」とは「水主(かこ)」の意と説明されています。なお、同社は島崎藤

村の父が宮司を務めていたことで知られています。

     写真  水無神社  出典:同社公式Facebook

5.孝霊天皇陵墓

通説は、片岡馬坂陵としていますが、同陵墓は「二区に分割された山形古墳で、上の区は上辺

にアールを巡らした正方形、下区は正方形で、この簡素化された形状から古墳時代後期のものと

考えられ、大和(やまと)大国(おおくに)魂(たま)として崇められた孝霊天皇の陵墓とは考えられま

せん。

私見ですが、62歳の高齢で「第二次九州王朝御神霊東遷船団」を組織して、大和・山代に楔を

打ち込み、日本海側にその支配を広げた事業により心身を蝕んだであろうと想像します。

南あわじ市榎列上幡にある大和大国魂神社は、

中殿:大和大国魂大神 左殿:八千戈大神、右殿:御年大神が祀られていますが、本来は大

和大国魂大神の一柱であったと考えられます。

孝霊天皇は九州へ帰国するため淡路島に寄った推測されますが、淡路島には孝霊天皇の陵墓に

該当する古墳は管見では見当たりません。

同天皇の名「根子」に関して、故百嶋氏は福岡県筑紫郡那珂川町市ノ瀬に「根子城」があった

とし、また「根子」は日本の根本とも述べています。

したがって、同天皇の宮は「根子城」付近にあったと推測されますが、陵墓は不明です。

那珂川町市ノ瀬の南に「不入道」という不思議な地名が遺存しています。

神聖な地として、その出入りを禁じた「禁足地」が陵墓かもしれません。

図 那珂川市市ノ瀬町周辺の地図

次回は「孝元天皇」です。

タイトルとURLをコピーしました