写真 都萬神社に伝わる特殊神事「更衣祭」 出展:同社HP
お化粧をして白衣に包まれた「コノハナサクヤヒメ」
○「ニニギノミコトの天孫降臨はなかった」
○ニニギノミコトと木の花佐久夜毗売との出会い
○石長比売とは
1.「ニニギノミコトの天孫降臨はなかった」
六年前に『記紀神話』の疑問と「神々の体系化」をまとめた『古代史の疑惑』を執筆しまし
たが、その後「百嶋神社考古学」を熱心に指導していただいた古川清久氏によってフイール
ドワークに目覚めた私は勉強不足を思い知りました。
前話では敢えて言及しませんでしたが、「ニニギノミコトの天孫降臨はなかった」とする推
論に至りました。
九州王朝内の政治集団を考慮すると、ニニギノミコトは政治集団の中では上位の政治集団では
なく、むしろ下位の政治集団に属していました。
したがって、仰々しく「天孫降臨」など出来るはずもありません。
「百嶋神社考古学」による九州王朝内の政治集団の序列は以下の通りです。
倭国君長 「大率姫氏」>「白族大幡主」・「昔氏スサノオ」・「瀛氏金山彦」・「越智
族大山祇」>「許氏高木大神」>「阿蘇族多氏」
2.ニニギノミコトと木の花佐久夜毗売との出会い
ニニギノミコトの父は許氏高木大神、母は大率姫氏の娘大日孁貴(おおひるめむち)後の卑彌
呼です。主人は大日孁貴、家臣許氏高木大神の関係になります。
他方、コノハナサクヤヒメの父は越智族大山祇命、母は白族大幡主の妹埴安姫です。この夫婦
は対等な関係です。
当時の韓半島の最大国家「金官伽耶国」の国王は越智族金氏で、許氏高木大神は金官伽
耶国から任命された大伽耶国王の血筋に繋がります。
すなわち大山祇命は許氏高木大神の主人筋にあたります。
ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメの出会った地は、西都市の神社を調査するとおおよそ理解
できます。
(1)日向国一宮都農(つの)神社 宮崎県児湯郡都農町河北
主祭神:大己貴命 木花開耶姫の実の兄
写真 都農神社 出典:同社HP
(2)日向国二宮都萬(つま)神社 宮崎県西都市大字妻
主祭神:木花開耶姫尊
同社境内社 大山祇神社 主祭神:大山祇命
同社境内社 霧島神社 主祭神:瓊々杵尊
写真 都萬神社 出典;同社HP
写真 都萬神社に伝わる特殊神事「更衣祭」 出典:同社HP
毎年七月七日に催行。通称「七夕祭」 木花開耶姫の別名は「七夕姫」です。
(3)石貫神社 宮崎県西都市大字三宅
主祭神:大山祇神 木花開耶姫の父
写真 石貫神社 出典;宮崎県観光商工課
写真 石貫神社に伝わる不思議な伝承「鬼がコノハナサクヤヒメを嫁にもらいにきた」
出典:九州御朱印巡り
「鬼」とは誰を指すのでしょうか。
本来ならば木花開耶姫は瓊々杵尊にとって主人筋ですが、大日孁貴(おおひるめむち)の政治的地位が強まるにつれ、その御子である瓊々杵尊は威張り始めます。
故百嶋氏によると「木花開耶姫と瓊々杵尊との婚姻期間は1年未満。」
また「威張った態度によって、九州王朝内での評価は散々であった。」と述べています。
(4)日向国総社三宅神社 宮崎県西都市大字三宅
主祭神:天津彦瓊々杵命 配祀神:天児屋根命・天太玉命
相殿神:木花開耶姫命ほか
写真 三宅神社 出典:同社HP
3.石長比売とは
故百嶋氏は講演会で「イワナガ姫は朝鮮半島時代のお名前で、父大幡主・母伊弉冉命」。
「日本 へ戻ったときにアカル姫に名を改められた。」と述べています。
その後、父大幡主が紀州の熊野へ移動後は「家都美御子(けつみみこ)」に名を改め、和歌山
県田辺市本宮町本宮の熊野本宮大社の證証殿(しょうじょうでん)に「家都美御子大神」として
祀られています。
写真 熊野本宮大社「證証殿」 出典:ぶろぐ”参道を行く”
ニニギノミコトの短命の理由について、太安万侶は持って回った理由を記していますが、「長命冨貴(ちょうめいふき)の神石長比売こと豊玉彦の姉アカル姫」のことを知っていて、創作した神話と推測します。
ニニギノミコトは「尊大な性格で人気はさっぱり」という理由で、流石に天照大神ことヒミコもかばいきれなく、その職を解き九州王朝から去らざるを得ませんでした。
その後は叔父の神八井耳命(かむやいみみのみこと)を頼り、甲斐国へ旅立ちましたが、山梨県甲府市の「佐久神社」で向山土番比古(むこうやまとほひこ)として祀られました。当地には伝承さえ伝えられていません。
石長比売を祀る神社
穴場神社 岡山県倉敷市中島
大山祇神社境内摂社阿奈場神社 愛媛県今治市大三島町宮浦
次回は「木の花佐久夜毗売」(2)です。